9話 文化祭の人質
秋晴れの空の下、湊高校の校門には色とりどりの看板が並んでいた。
年に一度の文化祭───校内は、朝から活気に満ちている。
校庭には、屋台のテントが立ち並び、校舎の窓からは、音楽や笑い声が流れていた。焼きそばの香りや甘いクレープの匂いが風に乗って漂い、訪れた来場者たちの足を自然と止めていく。
龍二たちのクラスである、3年A組の教室も例外ではない。
「いらっしゃいませー! メイド喫茶はこちらでーす!」
クラスメイトの声が廊下に響く。その教室の奥、窓際の席で、龍二は静かに周囲を眺めていた。
制服姿の高校生。どこから見ても普通の生徒。だが、彼の視線は祭りを楽しむそれではない。
出入り口。窓。廊下の人の流れ。すべてを冷静に観察している。その隣に、トレイを持った春菜が立った。
「龍二くん、ずっと警戒してるでしょ?」
小さく笑いながら、紙コップのコーヒーを置く。龍二は肩をすくめた。
「仕事みたいなもんだ?」
「せっかくの文化祭なのに?」
「文化祭だから、だ」
龍二は、静かに廊下を見る。
人が集まる場所では警備の穴をついて侵入される場合があり、その結果、混乱が生じるケースも珍しくない。まさしく、テロの条件としては十分すぎる。
春菜は少しだけ頬を膨らませた。
「今日は事件、起きないと思うけどなあ」
「そりゃあ、俺もそう願ってるよ」
そう言いながらも、龍二の視線は鋭い。春菜は、その横顔を見て、少しだけ微笑んだ。
「でも、もし何かあっても」
彼女は静かに言った。
「私もいるから」
龍二は一瞬だけ彼女を見る。
“完全記憶能力”
それは、直接的な武力というわけではないが、想像以上に強力な武器だ。
この数日で、龍二はそれを何度も思い知らされていた。
「頼りにしてるよ」
短い言葉だった。だが、春菜は嬉しそうに笑った。
その時だった。
───パァン!!
校舎の奥から乾いた破裂音が響いた。一瞬、教室が静まり返る。
「……え?」
誰かがつぶやいた次の瞬間。廊下の向こうから悲鳴が広がった。
「きゃあああ!!」
「銃だ!!」
龍二の目が鋭くなる。
(やはり来たか……)
彼はすぐ立ち上がった。
「春菜は、ここに───」
言いかけて、春菜の目を見る。不安な目をしている。だが、逃げる気配はない。
「私も一緒に行く」
迷いのない声。龍二は、一瞬だけ考え、静かに頷いた。
「絶対に俺の後ろにいろ」
「うん。わかった」
2人は廊下へ飛び出した。
階段の下。人の流れが逆方向に走ってくる。
逃げる生徒や泣く来場者。その間を縫うように、龍二は進む。春菜もぴったり後ろについてくる。
そして。2階の多目的ホールの前。
扉の前で、男が銃を持っていた。
黒いパーカーに帽子。手には拳銃が握られている。
そして、ホールの中には、十数人の生徒と来場者がいて、完全な人質状態だった。
男が怒鳴る。
「おいお前!それ以上こっちに近づくな!!」
龍二は、ゆっくり手を上げた。
「落ち着け」
静かな声。
「俺は警察だ」
男の目が揺れた。
「警察……?」
「そうだ」
龍二はポケットから警察手帳を少しだけ見せる。だが、男はすぐに叫んだ。
「嘘だ!! その制服、ここの生徒じゃねえか!!」
「こっちにも事情があるんだよ」
龍二は一歩だけ近づく。その瞬間、男が銃を向けた。
「動くな!!」
緊張が走る。その時、後ろにいた春菜が、静かに言った。
「大黒くん」
「……?」
「この人」
春菜の目は男をじっと見ていた。そして、小さくつぶやく。
「昨日、校門の前にいた人だよ」
龍二の視線が鋭くなる。
「何?」
「午後3時20分」
春菜は迷いなく言った。
「校門の警備員さんと話してた」
男の顔色が変わった。春菜はさらに続ける。
「その時、あなた───」
一瞬の沈黙。そして。
「“文化祭は人が多いから都合がいい”って言ってたよね?」
男の手が震えた。
「な……」
春菜は静かに言う。
「私、全部覚えてる」
その瞬間、龍二の中で、何かが確信に変わった。
(この子の“完全記憶“……本当に武器になるな)
だが同時に、犯人の目が狂気に染まった。
「黙れぇぇぇ!!」
銃口が春菜へ向く。龍二の体が動いた。すぐに、龍二は反射的に春菜を引き寄せた。
銃声が廊下に響く。弾丸が壁を削り、白い粉塵が舞う。
「下がれ!!」
龍二は、春菜を背中に押しやる。犯人の呼吸は荒い。目が完全に焦点を失っている。
「ふざけるな……!あの方の計画が……!」
龍二は静かに距離を測る。約5メートル。近い。だが、ここで撃てば、人質に当たる可能性がある。
「落ち着け」
龍二の声は低い。
「今ならまだ引き返せる」
犯人は笑った。乾いた、壊れた笑いだ。
「引き返す? 今さら?」
銃が人質へ向く。女子生徒が泣き崩れる。
「俺は全部失ったんだ!!」
怒号が廊下に響いた。その瞬間、春菜が小さくつぶやいた。
「大黒くん」
「……?」
「この人」
春菜は静かに言う。
「ポケットにもう1つ銃がある」
龍二の目が細くなる。
「本当か?」
「うん」
迷いのない声。
「右ポケット。昨日と同じなら確実に持ってる」
その言葉を聞き、龍二は一瞬で決断した。
「……なるほど」
次の瞬間、龍二はゆっくり一歩踏み出した。
「お前」
犯人が銃を向ける。
「止まれ!!」
だが龍二は止まらない。
「それにしてもお前、銃の扱い慣れてないな」
挑発だった。
犯人の眉が動く。
「なに……?」
「構えが甘い」
龍二はさらに一歩近づく。
敵までの距離……残り3メートル。
「撃つなら撃て」
犯人が怒鳴る。
「撃つぞ!!」
だがその瞬間、龍二は動いた。一歩踏み込み、腕を払い上げる。
銃口が天井へ向く。すると、銃声が一発鳴り、それと同時に、龍二の拳が男の顎を打ち抜いた。
男がよろめく。だが、まだ倒れない。するとポケットへ手が伸びる。
(やはり二丁目)
龍二は腕を捻り、体を回転させる。肘が男の胸にめり込む。
空気が抜けるような音がし、拳銃が床へ落ちた。
次の瞬間、龍二は背後へ回り込み、腕を極める。
「ぐああ!!」
関節が悲鳴を上げる。
「終わりだ」
龍二の声は冷たい。
男は抵抗をやめた。廊下に静寂が戻る。
それから数秒後。人質の生徒たちが泣き出した。
「た、助かった……」
「大丈夫?」
春菜が駆け寄る。龍二は犯人を床に押さえながら、春菜を見る。
「無事か?」
「うん」
少しだけ震えている。
龍二は手錠を取り出し、犯人の腕にかけた。金属音が静かに響く。そして、龍二はゆっくり立ち上がった。
春菜が小さく言う。
「ねえ」
「……?」
「私、役に立ったかな?」
その問いに、龍二は一瞬黙った。そして静かに言う。
「かなり」
春菜の顔が少し赤くなる。そして、龍二は続けた。
「むしろ───」
一瞬の沈黙。
「今回は、お前がいなかったら、正直危なかったな」
春菜は驚いたように目を見開く。そして、嬉しそうに笑った。
その笑顔を見て。龍二は、ふと思う。
(この子は……)
ただの守るべき存在ではない。隣で戦える。そんな気がした。
遠くからパトカーのサイレンが近づいてくる。文化祭の空に、赤い光が揺れていた。
そして、2人の距離は、また少しだけ近づいていたのだった。
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