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潜入警部と忘れない少女  作者: 青山春彦
4章 “ノクティス”戦争編
30/33

30話 静かな校舎

 放課後の校舎は、昼間とはまるで違う空気をまとっていた。

 教室から聞こえていた賑やかな声はすでに消え、廊下にはまばらな足音だけが残っている。

 部活動へ向かう生徒や帰宅する生徒。

 窓から差し込む夕方の光が、床の上に長い影を落としていた。


 ───3階の廊下。


 春菜は、教室の扉を閉めながら、小さく息をついた。


「やっと終わったぁ……」


 手には教科書とノート。机の中を整理して、ようやく帰るところだった。

 クラスメイトの工藤が振り返る。


「春菜、今日一緒に帰る?」


 春菜は少し申し訳なさそうに笑った。


「ごめん、今日は先帰るね」

「オッケー」


 工藤は、軽く手を振り、部活の仲間のところへ走っていった。

 教室の中は、もうほとんど空だ。春菜は、鞄を肩に掛け、窓の外を見る。

 グラウンドでは、サッカー部が練習している。そして、体育館からはバスケットボールの音。

 どこにでもある、普通の放課後だった。

 だが、春菜はふと廊下を見る。少しだけ寂しい。


「龍二くん……今日も来てないな」


 龍二は、今日は学校を休んでいる。

 警察庁の仕事。詳しい内容は、聞いていない。

 春菜は小さく肩をすくめた。


「きっと、忙しいんだろうな」


 そう呟き、教室を出て、廊下を歩く。

 窓の外の夕焼けが赤く広がっていた。


 その頃……同じ校舎の1階。非常階段の扉が静かに開いた。

 音はほとんどない。現れたのは、龍二だった。

 制服姿。だが、その下には、薄型の防弾ベスト。肩のホルスターには拳銃。完全な実戦装備だった。

 龍二は、階段の陰に立ち、廊下の様子を確認する。

 誰もいない。そして、ゆっくりと歩き出す。今日は、授業に出ていない。

 公安の仕事のためだ。だが、放課後だけは別だった。

 春菜の警護……それが最優先任務だからだ。

 龍二は、ポケットから小型イヤーピースを取り出し、耳に装着する。

 そして小さく呟く。


「こちら大黒」


 数秒後、通信が入る。


『こちら監視班』


 龍二は歩きながら聞く。


「周囲は?」

『異常なし』


 短い返答に、龍二は頷く。


「了解」


 通信を切る。廊下を曲がり、階段へ向かう。

 その時、校門前の道路。

 黒い車の中で、双眼鏡を持つ男が校舎を見ていた。

 昨日と同じ男だ。

 “ノクティス”の工作員。通信機に向かって、小さく話す。


「対象はまだ校内」


 向こうの声を聞く。


『例の公安の男は?』


 男は答える。


「確認できていない」


 だが次の瞬間、男の視界の端に、校舎の窓を横切る影が見えた。

 背の高い男。落ち着いた動き。男は双眼鏡を構え直す。

 そして小さく笑った。


「いや……いたな」


 通信機に呟く。


「大黒龍二」


 3階の廊下。春菜は、階段へ向かって歩いていた。

 廊下には、ほとんど人がいない。遠くから部活の声が聞こえるだけ。

 その時、階段の角から誰かが現れた。

 春菜は足を止める。


「あれ?」


 見慣れた顔。少し驚いた声が出た。


「龍二くん?」


 龍二は階段から出てきて、春菜を見る。


「春菜」


 春菜は目を丸くする。


「え、今日学校休んでたよね?」


 龍二は、落ち着いた声で答えた。


「ああ」


 春菜は首を傾げる。


「じゃあなんで?」


 龍二は、少しだけ間を置いて言った。


「単なる迎えだ」


 春菜は、一瞬きょとんとする。それから嬉しそうに笑った。


「ほんと?」


 龍二は頷く。


「ほら、帰るぞ」


 春菜は小さく笑う。


「なんかさ」


 鞄を持ち直す。


「こういうの、秘密の待ち合わせみたい」


 龍二は軽く肩をすくめた。


「そうかもな」


 2人は並んで歩き出す。

 階段を下りる。夕方の校舎は静かだった。


 その時、龍二の視線が一瞬だけ鋭くなる。

 階段の踊り場の窓の外。

 道路に停まっている、わずかに見える車のシルエット。

 龍二はすぐ視線を戻した。

 春菜は、気付いていない。普通に話をしている。


「今日ね、英語の先生がさ───」


 龍二は聞きながら歩く。だが、頭の中では状況を整理していた。


 ───監視。


 昨日と同じ。

 “ノクティス”の工作員。龍二は、イヤーピースを軽く押す。

 春菜に聞こえないほどの小さな声で言った。


「こちら大黒」


 すぐ返事が来る。


『こちら監視班』


 龍二は短く言う。


「至急、校門前の黒い車を確認しろ」


 数秒後。通信の向こうが答えた。


『確認の件完了』


 間が空く。そして声が変わる。


『……“ノクティス”の監視車両の可能性あり』


 龍二の表情は変わらない。春菜は、隣で楽しそうに話している。まるで、何も知らない世界の中にいるようだった。

 龍二は階段を下りきる。

 校舎の出口が見える。夕焼けが強くなっていた。

 龍二は心の中で静かに呟く。

 もう始まっている。外では、敵が監視している。

 だが、それでも春菜には、まだ何も知らせない。それが龍二の役目だった。

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