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潜入警部と忘れない少女  作者: 青山春彦
第3章 記憶少女の警護編
24/33

24話 静かな戦場

 朝の霞が関は、いつも通り忙しかった。官庁街を行き交う車の流れ。スーツ姿の職員たち。

 その中を、1台の黒いセダンが静かに走っていく。

 やがて車は警察庁の敷地へ入り、地下へと続くスロープを下りた。

 コンクリートの広い空間。警察庁地下駐車場だ。

 龍二は、指定スペースに車を停め、エンジンを切る。

 腕時計を見る。

 時刻は、午前8時12分と表示されていた。

 車のドアを開けると、ひんやりした地下の空気が流れ込んできた。

 ジャケットの裾を整える。その下には薄型の防弾ベスト。さらに、肩のホルスターには拳銃───H&K VP9。マガジンには装弾済み。そして、予備弾倉は、ジャケットの内ポケット。

 完全に任務用の装備だった。

 龍二は、車のロックを確認すると、エレベーターへ向かった。


 ───警察庁・警備局フロア。


 朝の課内はすでに動き始めていた。

 電話の声・キーボードの音・資料をめくる音。

 警備企画課は、常に情報が流れ続ける部署だった。

 龍二が席へ向かうと、若い刑事が振り向いた。


「おはようございます。係長」


 龍二は、軽く頷く。


「ああ、おはよう」


 デスクに座り、パソコンを立ち上げる。すぐに数件の報告書が画面に表示された。

 全国の公安警察から集まる情報。海外の治安機関との共有データ。

 不審人物の動向。

 その中の1つに、龍二は目を止めた。

 “ノクティス”関連情報。龍二は、その資料を開く。数日前の海外通信・資金移動の記録・匿名口座。そして、それらが日本国内で行われた可能性。

 完全に消えたわけではない。むしろ水面下で動いている。

 龍二は、小さく息を吐いた。

 そしてその時だった。


「大黒警部」


 振り向くと、部下の刑事が立っていた。三十代前半の男。


「例の件の資料です」


 封筒を差し出す。

 それを龍二は受け取る。その中には、写真が数枚入っていた。監視カメラの映像を切り出したもの。

 駅構内・交差点。そして1人の男。帽子を深くかぶり、顔ははっきり見えない。だが、龍二の目は止まる。


「これはいつだ?」

「昨日です」


 刑事が答える。


「港区のカメラに映りました」


 龍二は、写真を見つめる。


「追跡は?」

「現在継続中です」


 龍二は頷いた。


「そうか。分かった」


 その時、課内の奥から声がした。


「大黒警部」


 振り向くと、今野が立っていた。スーツ姿に鋭い目をしている警備企画課の課長補佐だ。

 龍二は、席を立つ。


「お疲れ様です」


 今野は言った。


「会議室へ」


 短い指示だった。


 ───小さな会議室。


 机の上には、数枚の資料。龍二と今野が向かい合って座っている。

 今野は、一枚の写真を机に置いた。


「この男」


 龍二は、視線を落とす。先程見た監視カメラの人物だった。

 今野は言う。


「海外の情報機関からの連絡があったわ」


 資料をめくる。


「その情報によると“ノクティス”の残存メンバーの可能性があるわ」


 龍二は、静かに聞いていた。今野は続ける。


「もちろん。断定はできないわ。ただし無関係とも言えない」


 龍二は言った。


「引き続き、監視を続けます」


 今野は頷く。


「当然」


 少し沈黙が流れる。今野は、ふと龍二を見る。


「ところで、鈴木春菜さんはどうしてる?」


 龍二の表情は変わらない。


「警護継続中です」


 今野は言う。


「今のところ動きはないわ。ただし」


 視線を資料へ戻す。


「“ノクティス”が動いているなら話は別よ」


 龍二は、短く答えた。


「もちろん、理解しています」


 今野は、椅子にもたれた。


「あなたの任務は2つ」


 指を立てる。


「1つは、情報収集」


 そしてもう1つ。


「そしてもう1つが最も重要な任務である、鈴木春菜の警護」


 龍二は言った。


「優先順位は分かっています」


 今野は小さく笑った。


「でしょうね」


 そして資料を閉じる。


「今日は、ここまで」


 龍二も立ち上がる。


「失礼します」


 会議室を出る。廊下は、静かだった。龍二は、歩きながら、スマートフォンを確認する。

 画面には短いメッセージが表示される。


春菜:授業終わったよ


 その下にもう1つ。


春菜:今日、早く帰れる?


 龍二は少しだけ考えた。そして返信する。


龍二:夕方には戻る


 数秒後、すぐに返信が来る。


春菜:うん。わかった


 その短い言葉に、龍二はわずかに笑った。だが、次の瞬間、表情は元に戻る。

 それは、仕事の顔だった。

 廊下の窓から、霞が関の街が見える。

 そのどこかに敵が潜んでいるかもしれない。そしてその中に守るべき存在もいることを思い出させた。

 警備企画課室に戻ると、課内の空気はさらに忙しさを増していた。

 電話が鳴り、数人の刑事が同時に会話している。大型モニターには、複数の地図と監視映像。龍二は、自分の席へと戻り、ジャケットのボタンを外した。

 防弾ベストの重みが、わずかに肩へ伝わる。

 椅子に腰掛けると、先ほどの資料をもう一度開いた。

 監視カメラの画像に映る帽子の男。画質は荒いが、歩き方には特徴があった。龍二は、その画像を数秒間じっと見つめる。

 その時だった。隣のデスクから声がする。


「大黒係長」


 振り向くと、若い刑事が資料を持って立っていた。


「こちら、港区の続報です」


 龍二は、その資料を受け取る。

 新しい写真。それは同じ男だった。今度は、コンビニのカメラだった。時間は昨日の夜。

 龍二は質問する。


「接触は?」


 その刑事は、首を横に振る。


「残念ながら確認されていません。どうやら単独行動のようです」


 龍二は小さく頷く。


「男については分かった。それでは引き続き、この男の追跡を継続しろ」

「はい」


 刑事は、すぐに自分の席へ戻っていった。そして、龍二は再び画面を見る。

 写真を拡大する。

 男の腕。

 ジャケットの膨らみがわずかに不自然だった。銃を隠し持っている可能性が高い。だが、断定はできない。

 龍二は、とあるデータベースを開いた。海外機関から共有された人物リストだ。

 顔認証や歩行パターンを解析する。

 そして数分後、画面に解析結果の表示が出る。


 ───類似度 63%


 龍二は、眉をわずかに動かす。完全一致ではない。だが、偶然とも言い切れない。その時、背後から声がした。


「何か見つかった?」


 その言葉に振り向くと、そこには、今野が立っていた。龍二は、その解析結果の画面を見せる。


「一致率が約6割……」


 今野は腕を組む。


「なんだか微妙ね」

「はい」


 今野は、数秒画面を見つめる。そして言った。


「監視を強化するしかないわね。公安課の方にも共有して頂戴」


 龍二はすぐに答える。


「承知しました」


 今野は踵を返す。そして数歩、歩いたところで立ち止まり、振り向いた。


「それと」


 龍二を見る。


「そういえば大黒って、今日は、このまま家に帰るのよね?」


 龍二は短く答える。


「はい。そのつもりです」


 今野は少しだけ笑った。


「仕事も大事だけど、あっちの任務も忘れないでよね」


 龍二は静かに頷いた。


「承知しています」


 今野は、そのまま自身のデスクの方へ歩いていった。

 課内は、再び忙しさに包まれる。龍二は、椅子に深く座り直した。

 そして、画面の男をもう一度見る。

 何かが引っかかる。だが、まだ確証はない。

 ふと時計を見る。時刻は、午後3時40分だった。春菜からメールが送られてからそろそろ1時間近くが経つ。

 龍二は、パソコンを閉じ、机の引き出しから小さな通信機を取り出した。

 イヤーピースを耳へ装着する。そして、低い声で言う。


「こちら大黒」


 数秒後、通信が返る。


『こちら監視班。どうぞ』


 龍二は、静かに指示を出す。


「港区の対象、追跡継続せよ。また、警戒レベルを一段階引き上げるものとする」


 通信の向こうで短い返事。


『了解』


 龍二は、通信を切った。そして、立ち上がる。

 ジャケットを整え、肩のホルスターに触れ、拳銃の位置を確認する。

 問題なし。これから|春菜との恋人としての時間《夕方の任務》が始まる。

 警察庁の地下駐車場へ向かうため、龍二は、廊下を歩き出した。

 そして数分後。

 再び、あのコンクリートの空間へと戻る。


 ───地下駐車場。


 龍二は、車のドアを開け、運転席に座り、エンジンをかける。

 静かな振動が車内に広がった。

 そして、春菜の待つ家へと帰るのだった。

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