23話 近づく距離
ショッピングモールの通路を、2人はゆっくり歩いていた。
休日の人波は相変わらず多い。子どもの笑い声に買い物袋を持った家族。そして、手を繋ぐカップル。どこにでもある休日の風景だった。
その中で、春菜は何度も自分の左手を見てしまう。
薬指……そこに、小さなリングが光っていた。
銀色のシンプルなデザイン。
飾り気はない。だが、確かな存在感があった。春菜は、また薬指を見つめる。そして、小さく呟いた。
「……本当にいいのかな?」
隣を歩く龍二が聞く。
「何がだ?」
春菜は、少し照れながら手を見せる。
「これ」
龍二の左手にも、同じリングがあった。
数分前。アクセサリーショップを出た直後のことだ。
春菜が驚いたのは当然だった。店の前で、眺めていただけのはずのペアリング。それを龍二が、いつの間にか購入していたのだから。
春菜は、少し笑いながら言った。
「私、見てただけだったのに」
龍二は、平然と答えた。
「欲しそうに見てたから」
「それは、遠慮してただけというか……」
春菜は困った顔になる。
「まぁ、確かにそうだけど……」
そして、少しだけ小声で言う。
「これ、普通のペアリングじゃないよね?」
龍二は、短く答える。
「ああ」
春菜が聞く。
「龍二くんは、この指輪の意味、ちゃんと分かってる?」
龍二は、春菜を見る。真っ直ぐな視線だった。
「もちろん、分かっているさ」
そして静かに言った。
「婚約だろ?」
龍二がその単語を言った瞬間、春菜の顔が、一瞬で赤くなる。
「龍二くん!」
思わず周囲を見る。幸い誰も気にしていない。
春菜は慌てて小声になる。
「普通、こういうのってもっと……」
言葉を探す。
「雰囲気とか、タイミングとかあるでしょ?」
龍二は少し考える。
「何か問題があるか?」
春菜はしばらく黙った。そして、小さく笑う。
「……ないけど」
また薬指のリングを見る。春菜の表情は、少しだけ嬉しそうだった。
龍二は周囲に視線を向ける。
人の流れに店の配置。そしてガラスの反射。警戒はまだ、続いている。だが、それを感じさせないように歩く。
春菜がふと聞いた。
「龍二くん」
「なんだ?」
「さっき、私が欲しそうにしてたから買ってくれたって言ってたけど、もしあの時、アクセサリーショップで私が立ち止まらなかったら、婚約指輪とかってどうしてたの?」
「そうだなぁ。付き合ってもう少し経ってから渡してたと思う」
それを聞いて、春菜は安心した。
春菜の心のどこかでは、龍二はただ、仕事のために私と無理して付き合ってると思ってだからだ。
だが、龍二自身も春菜のことを将来を夫婦となろうていることを知って、嬉しかった。
2人は、ショッピングモールを出る。
外の空気は少し暖かかった。春菜は、またリングを見る。
指先の感触が、まだ少し不思議だった。
2人は、近くの公園へ歩いていた。街の喧騒から少し離れた場所。ベンチが並び、木々が風に揺れている。
春菜は、ベンチに座った。龍二も隣に腰を下ろす。少し静かな時間が流れる。そして、春菜がぽつりと言う。
「なんか夢みたい」
龍二が聞く。
「何がだ?」
「これ」
春菜は手を上げる。薬指のリングが光る。
「恋人になって、一緒にデートして」
少し照れながら笑う。
「しかも婚約まで……」
龍二は、静かに聞いていた。
春菜は続ける。
「私たち、もう……普通の高校生じゃないよね」
龍二は短く言った。
「確かに、普通ではないな」
春菜は笑う。
「うん」
少し風が吹くと、木の葉が揺れる音が聞こえる。
春菜は、少し真面目な顔になる。
「龍二くん」
「なんだ?」
「私ね」
少し言葉を探す。
「怖くないわけじゃないんだ」
“ノクティス”に研究施設。そして銃撃戦の数々。あの出来事は、まだ終わっていない。
春菜は静かに言う。
「でも」
龍二を見る。
「1人じゃないなら」
少し笑う。
「私は平気」
龍二は、春菜の言葉を聞いて、ゆっくり頷いた後に言う。
「安心しろ。決して春菜を1人にはしない」
春菜はまた笑った。
その時だった。少し離れた場所。公園の入口付近で、男がイヤホンに小さく話す。
「対象、異常なし」
遠くの車の中で別の男が答える。
『了解』
さらに警備局のモニター監視室。そのモニターを見ている公安のオペレーターが報告する。
「警護対象、現在状況安定」
そして、その横で腕を組んでいる女性。それは今野だった。
モニターの中には、公園のベンチに座る2人の姿。
今野は、小さく息を吐いた。
「婚約指輪ね……」
誰も聞いていない独り言だった。そして呟く。
「本当に守りきりなさいよ、大黒」
一方その頃。
春菜は立ち上がった。
「次は、どこに行くの?」
龍二も立ち上がる。
「春菜に任せるよ」
春菜は、少し考えてから笑う。
「じゃあ」
龍二の手を軽く引く。
「もう少しデートしたいな」
2人は歩き出す。
春の風が静かに吹いていた。指先のリングが、陽の光を受けて、小さく輝いていた。
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