20話 守られる日常─前編─
朝の空気は少しだけ冷たかった。
住宅街の道を、2人の高校生が並んで歩いている。
春菜は、肩に鞄をかけながら、大きく息を吐いた。
「なんだか、久しぶりだね」
隣にいた龍二は、前を見たまま答える。
「何がだ?」
「学校に行くの」
事件のあと、湊高校は臨時休校になっていた。
校内で起きた騒動。そして警察の捜査。
生徒の安全確保のため、数日間学校は、閉鎖されていたのだ。
春菜は空を見上げる。
「普通の登校って、こんなにありがたいんだね」
龍二は、特に感慨もなく言った。
「そうか」
春菜は、少し頬を膨らませる。
「龍二くん、もっと共感してよ」
「任務上は、普段と変わらない」
春菜は、呆れたように笑う。
「もう」
しばらく歩くと、学校の校門が見えてきた。だが、以前とは明らかに様子が違った。
校門の横には警察車両。制服警察官が2人立っている。
さらに少し離れた場所では、パトカーがゆっくりと巡回していた。
春菜が小声で言う。
「……すごい警備」
龍二は周囲を軽く見渡す。
学校の外周や道路の向こう側。さりげなく立っている数人の男たち。
一見すると、ただの保護者や通行人のようだが、歩き方や視線の動きで分かる。私服警官だ。
龍二は短く言った。
「想定通りだな」
春菜は聞く。
「全部警察なの?」
「ほとんどな」
校門を通ると、さらに異変に気づく。
校内にも数人の大人がいる。教師ではない。スーツ姿に無線機。そして、ジャケットの下の不自然な膨らみ。その不自然な膨らみを見た春菜は、小さく呟いた。
「……拳銃?」
龍二は小さく頷く。
「ああ」
私服警官たちは全員、防弾ベストを着用している。
ジャケットの下には拳銃。さらに予備弾倉も携帯していた。
校内は完全な警戒体制だった。
春菜は苦笑する。
「なんか映画みたい」
龍二は淡々と答える。
「映画の方がまだ平和だ」
昇降口に入ると、生徒たちの声が響いていた。久しぶりの登校で、皆どこか浮かれている。
その中で、1人の男子生徒が龍二に気づいた。
「おーい大黒!」
クラスメイトの高橋だった。龍二は、軽く手を上げる。すると、高橋が駆け寄ってくる。
「お前無事だったのか!」
春菜を見る。
「それに鈴木も!」
春菜は笑った。
「うん」
そして高橋は、興奮気味に言う。
「学校すげーことになってるぞ。そこら中、警察だらけだ」
春菜は、少し曖昧に笑う。龍二は平然としていた。
高橋は、興奮気味のまま話を続ける。
「なんか、テロとか噂になってるけど、あれってマジなん?」
春菜が答えに詰まりかけた瞬間、龍二が先に言った。
「それ、デマらしいぞ」
落ち着いた声だった。
「どうやらこの学校も含めて、凶悪犯罪が増えたから警備強化するらしい」
高橋は、納得したように頷く。
「まぁそうだよな」
そしてニヤッと笑う。
「それよりさ」
春菜を見る。
「2人、今日一緒に登校してきたよな?」
春菜の顔が赤くなる。
「えっ」
高橋は腕を組む。
「な〜んか、怪しいな」
すると龍二は、普通に答えた。
「そんなの俺たちが付き合っているからだ」
春菜が固まる。
「ちょっと龍二くん!?」
高橋は大声を出した。
「マジかよ!!」
廊下にいた数人の生徒が振り向いた。
教室に入ると、クラスはすぐにざわついた。
理由は単純だった。高橋がさっきの話をすでにクラス中に広めていたからだ。
「え!?2人とも付き合ってるの!?」
「ねぇ!いつから!?」
「マジで!?」
春菜は、顔を真っ赤にしていた。机の前に立ったまま動けない。龍二は、自分の席に座りながら言った。
「まったく、少しは静かにしろ」
だが、全く効果はない。女子生徒の1人が春菜に詰め寄る。
「ねぇ、告白はどっちから!?」
春菜は、完全に混乱していた。
「え、えっと……」
龍二は静かに窓の外を見る。
校庭の端。そこに立っている男が目に入る。
私服警官。無線機を触っている。さらに体育館の近くにも2人、校舎の屋上にも人影があった。
完全な警戒配置だ。
龍二は小さく息を吐く。すると、春菜が小声で言った。
「龍二くん」
「なんだ?」
「助けて」
龍二は、一言だけ言った。
「……自力で頑張れ」
春菜は、恨めしそうに見る。
その時だった。教室のドアが開く。担任教師が入ってくる。
「はい席につけー」
生徒たちは渋々席へ戻った。担任は、教壇に立つ。
「えー、今回の休校についてだが……」
教室が静かになると、教師は続ける。
「学校の安全確保のため、警察の協力を受けている」
窓の外を指す。
「まぁ、見ての通りだ」
生徒たちはざわざわする。そんな中、教師は言った。
「しばらくこの体制が続くが、安心して学校生活を送ってほしい」
話はそれで終わった。
そして、授業が始まる。
久しぶりの普通の授業だ。黒板のチョークの音にノートを取る音。
春菜は、その光景を見ながら、少しだけ安心していた。
だが、ふと気づく。
龍二がほとんどノートを見ていない。
窓の外・廊下・ドア。それらに対して、常に視線を動かしている。
春菜は小さく言った。
「警戒してるの?」
龍二は小さく答える。
「当然だ」
春菜は言った。
「でも今日は何も起きないと思うよ」
龍二は少しだけ笑う。
「本来は、それが一番いいんだよ」
春菜も笑った。
何事もない平和な授業。友達との会話。普通の高校生活。
それは、守られているからこそ存在している。そして龍二は、その守る側の人間だった。
───放課後にチャイムが鳴る。
授業をすべて終わった春菜が、背伸びをする。
「疲れたー」
龍二は、鞄を持ち上げる。
「それじゃあ、帰るぞ」
2人は教室を出る。廊下の向こうに、私服警官の姿が見えた。
視線が一瞬だけ龍二と合う。小さく頷く警官。龍二もわずかに頷いた。それは、言葉のない確認だった。
警戒は続いている。しかし今はまだ、平穏だった。
春菜が歩きながら言う。
「ねえ龍二くん」
「なんだ?」
「今日」
少し笑う。
「ちゃんと恋人っぽかったかな?」
龍二は少し考える。そして言った。
「十分だ。それに実際俺の恋人なんだし、ぽかったとかっていうのはないと思うぞ。まぁ、少なくとも、クラスの連中は、俺たちが恋人関係になったって知っても、なんも疑いもしなかったから、自然な恋人関係には、見えていたんじゃないか?」
春菜は満足そうに笑った。そうして2人は、夕方の校門を出る。
その先には、また新しい日常が待っていた。
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