15話 ノクティス
夕暮れの湊高校の校舎は、いつもより静かだった。
理科教師:村上隆志が、拳銃を持って逃走した事件は、当然ながらすぐに警察と公安の知るところとなり、学校は臨時休校となっている。
校門の外には、警察車両が並び、立ち入りは禁止されていた。
その少し離れた場所に、1台の黒い車が停まっている。
その車内には、龍二と春菜の姿があった。
運転席の龍二は、ハンドルに腕を乗せ、前方を見つめている。
隣の春菜は、窓の外の校舎を見ていた。
しばらく沈黙が続き、やがて春菜が口を開いた。
「……なんだか変な感じだね」
龍二は視線を動かさない。
「何がだ?」
春菜は、少し考えてから言った。
「毎日通ってた学校なのに」
校舎を見る。
「急に別の場所みたい……」
龍二は短く息を吐いた。
「どんな場所でも、たった一件の事件があれば、そうなるものだ」
春菜は小さく頷いた。だが、その表情はどこか遠い。
龍二はそれに気づく。
「春菜」
「うん?」
「さっきの話、あまり気にし過ぎるなよ」
春菜は少しだけ笑った。
「記憶の実験のこと?」
龍二は頷く。春菜は、窓に映る自分を見る。
「正直ね」
小さく言う。
「ちょっとだけ怖いの」
龍二は黙って聞いている。春菜は続けた。
「もし、あの話が本当にそうなら」
ゆっくり言葉を選ぶ。
「私の人生って、何だったのかなって……」
龍二は、すぐに答えた。
「それでも春菜は春菜だ」
春菜は、驚いたように龍二を見る。龍二は、静かに続ける。
「過去がどうでも、今の春菜には変わらない」
短い言葉。だが、春菜の表情が少し緩む。
「……ありがとう、龍二くん」
その時だった。
龍二の携帯が震える。
画面を見る。
そこに表示されていたのは、須藤慎一の名前だった。
龍二は、すぐ通話に出た。
「大黒です」
須藤の声は緊張していた。
「大黒、村上の足取りが掴めた」
龍二の目が鋭くなる。
「どこですか?」
「市街地の外れだ」
少し間が開く。
「そこにある古い研究施設」
龍二の思考が止まる。
研究施設。それは、村上が言っていた言葉と一致する。
須藤が続ける。
「10年前に閉鎖された場所だ」
龍二は低く言う。
「記憶拡張プロジェクトか……」
須藤が息を飲む。
「お前もそう思うか?」
龍二は答えない。須藤が続ける。
「その場所には、もうすでに公安と特殊部隊が向かってる」
そして言った。
「どうせ、お前もあの場所に行くんだろうが……」
少し声を落とす。
「鈴木春菜は連れてくるな」
龍二の眉がわずかに動く。
「それはなぜですか?」
須藤は答える。
「奴の目的は彼女だ」
静かな声。
「罠の可能性が極めて高い」
龍二は窓の外を見る。
校舎と夕焼け。そして隣に座る春菜。
数秒の沈黙の後、龍二は言った。
「承知しました」
通話を切る。通話を聞いていた春菜が聞く。
「村上先生?」
龍二は頷く。
「場所が分かった」
春菜はすぐ理解した。
「行くんでしょ?」
龍二は黙る。そして言う。
「今回ばかりは、春菜は来るな」
春菜はすぐに首を横に振った。
「嫌」
龍二が春菜を見る。春菜の目は、真剣だった。
「私が原因なんだよ」
龍二は静かに言う。
「だからこそだ」
春菜は小さく息を吐く。そして言った。
「龍二くん」
龍二を見る。
「私、あの場所に行って、全部思い出したいの」
龍二の表情が変わる。春菜は続ける。
「もし、あの研究施設に行けば」
ゆっくり言う。
「私の記憶の秘密が分かるかもしれない」
車内に重たい空気が流れる。そして、龍二は小さく息を吐いた。
「……分かった」
春菜が顔を上げる。龍二はエンジンをかけた。
「怒られるのは、俺だけだし仕方ない。一緒に行くぞ」
車がゆっくり走り出す。
そして2人の向かう先は、10年前の秘密が眠る場所だった。
夜の山道を、車が走っていた。
街の光は遠くなり、周囲は森に囲まれている。ヘッドライトだけが、暗い道路を照らしていた。
しばらく走ると、龍二が車を止める。
「ここだ」
前方に建物が見える。
古い研究施設。窓ガラスの多くは割れ、外壁は剥がれている。だが、建物の奥に、わずかな光があった。春菜が小さく言う。
「……人がいる」
龍二は拳銃を取り出す。そして、マガジンを確認。
「春菜」
「うん」
「絶対に俺から離れるな」
春菜は頷いた。2人は、車を降りる。
夜風が強く吹き、草の音が揺れる。
建物の入口は半分壊れていた。龍二は、慎重に中へ入る。
廊下は暗い。古い研究機材が散乱している。
そして、春菜の足が止まった。
「龍二くん」
小さな声。
「ここ」
壁を見る。そこには、色褪せたプレートがあった。
《記憶研究室》
春菜の胸が強く鼓動する。頭の奥で、何かが揺れる。
断片的な記憶。
白い部屋に光。そして───
「やはりここへ来たようだね」
低い声が響く。2人が、その声の方へと振り向く。
廊下の奥。影の中から歩いてくる男。
村上隆志だった。彼の手には拳銃握られている。だが、今回は落ち着いていた。
まるで待っていたかのように。
そして村上は笑う。
「歓迎するよ」
視線は春菜に向いている。
「鈴木春菜くん」
春菜は、一歩下がる。そして龍二が春菜の前に出る。
「村上」
村上は軽く肩をすくめる。
「いや」
そして言った。
「ノクティス日本支部、研究責任者。村上隆志」
龍二の目が鋭くなる。村上はそのまま話を続ける。
「この施設こそ」
ゆっくり手を広げる。
「君が生まれた本当の場所だ」
春菜の呼吸が止まる。村上の声は静かだった。
「10年前、ここで行われた実験」
春菜を見る。
「君は“完全記憶人間”として作られた」
春菜の頭の中で、何かが弾ける。まるで、フラッシュのように記憶が蘇る。
白衣の人たちにベッド。そして様々な機械の音。
そして、ガラス越しに見ている1人の男。
その顔を思い出した春菜の目が見開かれる。
「……あなた」
村上は笑った。
「思い出したようだね」
春菜の声が震える。
「私を実験した人」
村上は静かに頷いた。
「そうだ」
そして拳銃を上げる。
「だから」
引き金に指がかかる。
「あの学校の教師となり、君を取り戻しに来たんだ」
その瞬間、龍二の拳銃が動いた。
廊下に銃声が響く。
戦いは、ここから始まるのだった。
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