3.噂
ーー"それ"を観た観客には幸運が訪れた
その幸運とは、仕事や恋愛など様々なことが
うまく回り始めるという。
この噂はこの時代にしては奇妙な広がり方をした。
SNSには書かれない。
公共の場で大声で話す人もいない。
もちろん、動画も存在しない。
だがその噂の元となった日、
劇場を出た人々はみんな口揃えて言った。
「……終わっても、すぐに席を立てなかった」
と。
小さなバー。
夜の歩道。
ホテルの一室。
誰もが何かを言いかけては閉じ、すぐには想いがまとまらないようだった。
けれど、あの夜に味わったこの感情を自分の言葉で理解したいと思った。
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「その日、台詞が変わった。」
噂が始まりの日の "それ"は、物語の中のほんの一瞬だったらしい。
場面は
若い恋人たちの束の間の逢瀬
だが2人は今まさに引き裂かれようとしていた。
離れていく女の背に、男が静かに投げかけた想い。
「愛している」というその台詞を、
ただ「信じている」と言った。
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それは、
何度も上演され
キャストを変え再演され
都度"チケ難"と呼ばれた
誰もがよく知る有名な演目だった。
それは、
その後のエンディングに繋がる
あまりにも有名な台詞だった。
ほとんどの観客が間違いに気付いた。
でもだからこそ、
意表をつかれ、
その言葉の意味を探し、
心が震えた。
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舞台は一拍、静まり返った。
女は一瞬表情を崩し、思わずといった素振りで男にかけ寄り抱きついた。
静まり返った余韻の中、客席から抑えきれなかった嗚咽が響く。
予定調和から外れた"それ"が、
観た者の心に、一筋の光を差し込ませる。
そこに居合わせた者だけが得た
配信や公式記録には存在しない、光だ。
だからか、噂は大切に慎重に口伝された。
公には語られない。
まるで都市伝説。
まだ信じる者の方が少なかった。
理由は単純だ。
多くの人にとって、日常で触れる機会のない
「予定されていない感動」
だったのだから。
……その役者は、あの夜の日のカーテンコールを境に
二度と表舞台に立つことはなかった。
「この夜の記憶を、演劇を愛するすべての人に。」
そんな確信めいた言葉を置いて。




