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五人の少女を騙して地下アイドルを始めた  作者: 田中
一章 何者かになるために
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8話 最終日

 夕方の繁華街は、金曜日特有のざわめきに満ちていた。

 週末を待ちわびる人混みの中で、店の看板が点滅し、往来の笑い声が断続的に跳ね返る。


 だが橘の気分は、その喧騒と完全に噛み合っていなかった。


 ――まずい……。


 頭の中を占領しているのは焦りだけ。

 期限は明日まで。今日が最終日だ。もう一人、最低でもあと一人を見つけなければ、スタートラインにすら立てない。


 そんな焦りが思考を鈍らせ、行動を駆り立てる。


「すみません、ちょっといいですか」


 声をかける。振り向きもせず去っていく背中。次の人に、また次の人に。


 何度背中を見送っただろう。断られるたび、胸の中の何かが削り取られていくのがわかる。周囲の笑い声だけが、別世界の音のように響く。 


 この一週間、ネットと街頭を往復し、数え切れないほど声をかけた。それでも結果は二人。


 選ばれない無力感だけが胸に滞留《たいりゅう》する。


 ――またダメなのか……。 

 

 希望をつないでいた糸が、少しずつ細くなっていく。


 膝に手をつき、橘は自分の顔を水たまりの中で確かめる。そこに映る目は、赤みを帯びず乾いている。寝不足と過労で輪郭が痩せ、覇気は抜け落ちていた。とても夢を見る者の顔ではない。

 

 「……限界か」


 思わず声が出た。言い放った途端、虚しさが広がる。

 だがすぐに自己嫌悪が追いかけてくる。


「……なめんじゃねぇぞ」


 橘はもう一度つぶやいた。


 その言葉の先は他でもない自分だった。


 腕を伸ばしてスマホを覗く。時間は容赦なく減っていく。秒針が刻むたびに、焦りが鼓動を速める。


 それでも笑顔を仕立てる。


 ――自分には似合わない作り物の笑み。それでもこれしかない。


 橘は顎を引いた。


 呼吸を整え、口角を上げる。大げさではなくさりげなく。まるで何度も練習した俳優のように、その表情を作り込んだ。

 

 そして舞台に立つ。

 

「お姉さん、ストップ」


 いつもの決まり文句をいつもの表情で言う。

 いつも通りだ。

 いつもと違うのは、声をかけた相手の服装ぐらいだろうか。 


 その女性は、真新しいリクルートスーツを着ていた。

 見るからに就活生。本来であればスカウトの対象ではない。場当たり的な行動だった。


 だから、彼女が本当に足を止めた瞬間、橘の方が面食らった。

 だが考えるより先に口が動く。


「就活生でしょ? 良い就職先があるんだけどどう?」 


 彼女の目には小さな驚きが宿っていた。

 その眼差しの奥には疲れと不安が見えた。


 ――まるでさっきまでの俺だ。


「俺と一緒にアイドルグループを作ろう。俺には、君が必要だ」


 飽きるほどに吐いたいつもの台詞《せりふ》


 言葉を発した瞬間、彼女の表情が変わった。

 驚きでも、拒絶でもない。張りつめていた糸がふっと緩み、ほんの一瞬、彼女の頬に安堵の色が差した。思い違いかもしれない。それでも、その顔は救われたように見えた。


 本当に救われたのはむしろ――。

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