8.5話 就活生の憂鬱
夕方のファーストフード店。
ファーストフード店には油の匂いがこもり、電子音が絶えず鳴っている。隣の席では高校生がスマホを見て笑っていた。 カウンターでは、小さな子どもがハンバーガーを握りつぶしている。
藤森奈々《ふじもりなな》は、そんな喧騒の中で一人、冷めたポテトを指先でつまんでいた。紙袋に残ったポテトは、もうしんなりしていて、塩の粒だけがやけにざらつく。
スマホの通知欄に『選考結果のお知らせ』という文字が浮かんだ瞬間、無意識に息を止めた。今度こそは、との念を込めながらスマホを押す指に力が入る。
『このたびは誠に残念ながら──』
「はぁ……」
手応えがあったわけではない。
それでも少しの望みにかけていたが、その願いは落胆に変わる。お祈りメールが届くたびに、自分の価値を否定されているような気がして、スマホを閉じる指が震えた。
――何回お祈りされんのよ私。その辺の神社より祈られてるじゃん。
そんな冗談を思うが笑えるはずもない。
でも冗談でも言わないと崩れてしまいそうだった。
藤森奈々は、就職活動がうまくいかない大学四年生だった。季節は五月。周りは内定をもらい始めており、自分との格差に頭を悩ませていた。
志望動機、自己PR、将来のビジョン、飽きるほどに聞かれた質問。自分なりに考えて、対策して、練習して臨んできた。
それでも結果は振るわない。
ライフワークバランスが取れているから、勤務地が近いから、大手だから、本音ではそんな薄っぺらい理由しか思いつかない。
何度も自己分析を繰り返した。
しかし掘れば掘るほど、出てくるのは“何者にもなれない自分”の姿だった。そんな自分に嫌気が差す。
「もう就活やめたい……」
思わず独り言が漏れた。
――でも、やめたら何するんだろ。バイト? いや、それも嫌だ。じゃあ何したいの?
「……知らんがな」
ふと頭をよぎったのは、高校時代のダンス部。
照明の下で踊っていた自分。汗で前髪が額に貼りついて、それでも笑っていた。
大会では大した成績も残せなかったが、皆で声を出して、励まし合って、バカみたいに練習した。あの瞬間はやりがいに満ちていた。
スマホで撮った集合写真。失恋した時も、受験勉強で辛かった時も、その写真が自分を支えてくれた。
だが今はもう違う。
あの写真に写る仲間たちは、みんな内定をもらっている。
笑顔の中で、自分だけが置いてけぼりになっている気がして、写真を見ることすら辛くなった。
「……もう、何もしたくない」
小さく呟いた声は、ファーストフード店のざわめきに消えた。
藤森は人目も気にせずカウンターのテーブルに突っ伏した。上体を預けたまま、窓の外をぼんやりと眺めるながら冷めたポテトをつまむ。
――十年後、今を笑って話せる日が来るかもしれない。でも、その十年が遠すぎる。今が苦しい。
窓から見える景色は、雨上がりの歩道に夕陽が反射している。その中で、何かの勧誘をしている男の姿が見えた。黒いジャケットに身を包んだ男が、通行人に次々と声をかけている。
──あ、見たことある。
数日前、面接に向かう途中で見かけた男だ。
『宇宙一のアイドルグループを作る!』
そんな馬鹿げた声が聞こえてきて、思わず笑ったのを覚えている。
その男は何度も何度も挑んでいた。面接からの帰り道でも、まだ声をかけ続けていた姿が妙に印象に残っていた。
――まだやってる。バカみたい。
成果が出ていないのに、断られても立ち止まらない。その粘り強さは、今の藤森にはもうないものだった。
――あの人はまだ何かを信じているのかな。私にはもう信じるものがない。
諦めないという単純な行為が、今の自分には眩しく見えた。
そう思った瞬間、足が勝手に動いていた。
店を出ると、湿ったアスファルトの匂いが鼻を刺した。空はまだ灰色で、雨戸いから雫がぽつりと落ちる。
ビル風に髪を押さえながら、藤森はふらりと橘の立つ歩道の方へ向かった。
面白半分で、店を出て橘の前を通り過ぎてみる。
リクルートスーツ姿の、冴えない就活生。
――どうせ声なんてかからない。
そう思いながら通り過ぎようとした、その時──
「お姉さん、ストップ」
足が止まった。
思わず振り返る。
雨上がりの夕陽が、彼の頬を照らしていた。
「就活生でしょ? 良い就職先があるんだけどどう?」
一瞬、目が合った。冗談みたいな誘いなのに、彼の目はやけに輝いて見えた。
「俺と一緒にアイドルグループを作ろう。俺には、君が必要だ」
必要とされている。そんな感覚を、いつから忘れていたんだろう。




