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五人の少女を騙して地下アイドルを始めた  作者: 田中
一章 何者かになるために
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9話 騙されたと思って

 橘の言葉に、リクルートスーツの女性は足を止めた。

 胸の奥には、少しの安堵と強い切迫感が同時に湧く。


 声をかけたのは衝動だった。

 明確な目的なんてない。


 ここで初めて橘は女性の顔をまじまじと見つめる。

 黒いショートボブに猫のような目、細身で姿勢が良い。

 派手ではないが容姿は悪くない。二人とも違うタイプで、グループのバランスがとれそうだと期待できる。

 

 たまたま声をかけた相手の容姿を、自分に都合よく評価する橘。


 ――十分だ。これなら使える。

 この子を逃すわけにはいかない。


 そう思った瞬間、手のひらに汗が滲むが、平静を心がける。

 一呼吸置き、いつも通りの笑みを準備する。


「もしかして警戒してる? 安心して。言動ほど怪しい人間じゃないから。テレビの占い結果で一喜一憂するぐらい素直な人間なんだよ。嘘ついたことないし。人からはよく橘って呼ばれてる」

 

 軽口を叩いて、彼女の反応をうかがう。


 眉がわずかに寄る。

 それでも逃げようとはしない。立ち止まっている。それだけで十分だった。


「急に声をかけて驚かせたよね。ごめん。たぶん就活生、だよね? 忙しいのに足を止めてくれてありがとう。さっきの話、冗談じゃなくて本気なんだ。アイドルの候補生を探してて」


 乾いた喉が上手く口を回してくれない。

 それでも努めて穏やかに語りかけた。


 彼女がこちらを見上げた。


「えっと、お兄さんは芸能関係の人ですか?」


 やっと返ってきた言葉。

 そこには警戒心と好奇心が入り混じっていた。


 その一言に胸が跳ねる。

 久しぶりに、自分の声が誰かに届いた気がした。

 逸《はや》る気持ちを抑えるのに必死だった。

 

「違うよ。ただの個人事業主。メンバーもまだ二人しかいない。でも本気なんだ。成功させる自信がある。……まあ今のところ自信“しか”ないけど」


 橘が苦笑する。

 それに釣られて、少しだけ彼女の表情がやわらいだ。


「名前、聞いてもいい?」


「奈――藤森です」


「藤森さんか。よし、覚えた。馬鹿みたいに聞こえるかもしれないけど、俺は本気なんだ」


 藤森の視線がわずかに揺れる。

 そして、小さく息を吐いて問う。


「どうしてそこまで頑張ってるんですか?」


 その声はどこか投げやりで、乾いた悔しさが滲《にじ》んでいた。 


 橘は反射的に答えた。


「夢だから。って言えばかっこいかな? けどまあ本気なのは本当」


「夢、ですか」


 “夢”という言葉に、彼女の顔が曇る。


「藤森さんの夢は?」


「……わかりません」


 その答えが落ちた瞬間、空気が静まり返った。

 街の雑踏の音だけが、二人の間を流れていく。


 彼女は疲れて見えた。

 夢見る就活生のはずなのに、小綺麗なスーツに身を包んでいるのに、その姿は希望とはかけ離れて見えた。


「どうして私なんですか?」


 その質問に、橘は息をのんだ。

 

 理由なんてない。声をかけたのは偶然。期限までに結果を出す、それだけのためだった。


 ただ、その思いを馬鹿正直に言うわけにはいかない。このチャンスを逃せばもうあとはないかもしれない。


 目が死んでいるわけじゃない。

 ただ、何かを諦めようとしている目だった。

 それはつけ入る隙に見えた。


「正直さ、誰でも良かった。元々期限を決められてたんだけど、それが今日までなんだ。だから焦って数をこなしてた。それで足を止めてくれたのが藤森さんだったってだけ」


 橘は一度、言葉を探した。


「でも、すげぇ救われたんだよ。誰にも見向きされなかったからさ。足を止めてくれたってだけなのに、なんというか、まだ俺の話を聞いてくれる人がいるんだって思った」


「……普通そういうの、もっと上手く言うんじゃないですか?」


「さっきも言ったじゃん。嘘ついたことないって」


「絶対嘘」


「はは。まあまあ。その目を見て思った。なんか、もの足りないんだろうなって。俺、そういうの嫌いじゃないんだよね」


「……え?」


「諦めた顔してるけど、諦めきれてない。だから俺はこうして誘いたくなったんだと思う」


「……」


「アイドルって、そういう人間の方が向いてるんじゃないかな。何か足りないから、それを埋めるために必死になれるんじゃないかな。まあ根拠はないけど」


「……私、そんなふうに見えますか?」


「見えるよ」


 間髪入れない橘の返答に言葉を失う藤森。

 橘は続ける。


「立ち止まって、俺の話を聞いて、今もここにいる。それだけで、俺には十分なんだよ」


 藤森が黙る。


「……」


「だから、もう一回聞く。藤森さん」


 橘は笑った。

 今度の笑顔には、さっきまでの作り物とは少し違うものが混じっていた。


「俺と一緒に、アイドルやってみない?」


「……めちゃくちゃですよ」


「知ってる」


「変わってます」


「知ってる」


「めちゃくちゃです。就活生をスカウトしますか普通。意味わかんないです」


「凡人には見えないものが見えるんだよ俺」


「……面白い人ですね。でもごめんなさい。私は就活しないといけないんで、協力はできません」


「両方やればいいじゃん」


「はい?」


「就活しながらアイドル活動すればいいじゃん。志望する会社から内定が出ればそっちを優先してもらっていいよ」


 橘の言葉に、藤森の表情が怪訝《けげん》なものになる。


「いい加減過ぎませんか? 本気じゃなかったんですか? やっぱり私のこと馬鹿にしてます?」


「俺は本気だよ。本気で成功するつもり。ただ、就活を捨てろなんて言えるほど俺は偉くない。だから両方やればいい。無理になったら、その時考えればいい」


「……」


「俺は本気でやる。藤森さんが一緒に来てくれるなら君にも本気でやってもらう。でも強制はしない。就活をしてもらってもいい。将来なにを選んでもらったっていい。ただ、少なくとも、今のまま何となく就職して、何となく十年過ごすよりは面白いことができる自信はある」


 橘は強い口調ではっきりと宣言する。

 自分を疑わない橘の言葉は、妙な自信に満ちていた。


「根拠は……ないんですよね」


「ない」


「……ふふっ。本当に、本当に変な人ですね」


「知ってる」


 藤森は手元のスマートフォンを見つめる。 そこには、さっき届いたばかりの不採用通知が残っている。


 藤森は難しい顔をしながら押し黙るが、橘はそれを静かに待った。

 そして意を決したかのような表情で、藤森が重い口を開く。


「……詐欺じゃないですよね?」


「詐欺じゃない。けど騙されたと思ってついて来て欲しい」


「……やるって言ったら笑いますか?」


「笑わないよ」


 橘は即答した。

 それを受けて藤森は困ったように笑った。


「……じゃあ、騙されてみます」


「決まりだな」


 橘が差し出した手を握り返す藤森。

 その表情に、まだ夢を掴んだ者の輝きはない。

 ただ、ほんの少しだけ張りつめていたものが緩んでいるように見えた。


 その瞬間、胸の奥から熱が込み上げてくる。


 ――ついに、三人揃った。やっとスタートラインに立った。ここからだ。


 根拠なんてない。そんなものは最初から必要なかった。

 橘は込み上げる笑いを必死に堪えながら、藤森の手を強く握った。

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