10話 三人の少女
藤森と別れたあと、橘は一人、夜の街を歩いていた。
その足取りは軽い。
――三人揃った。
思わず笑みが浮かぶ。
加賀の提示した条件はクリアした。
簡単なことではなかったが、なんとか期日ギリギリに達成できた。
思いつきで始まった夢物語が始まろうとしている。
まだ名前すらない。
それでも、スタートラインに立つことができた。
――これからが本番だ。今度こそ成功してみせる。
決意を胸に、橘はスマートフォンを取り出し、加賀の連絡先を開く。そして期待交じりに通話ボタンを押す。
「もしもし」
数コールの後、低い声が返ってくる。
「もしもし、俺です。オレオレ」
「……お前か。相変わらずだな。用件はなんだ」
「見つけましたよ。アイドルの原石を三人見つけました。加賀さんとの約束を果たしましたよ」
「そうか、良かったな」
橘の逸る気持ちとは裏腹に、加賀は冷めた態度で他人事のように受け止める。
文句の一つでも言いたくなったが、気分の良い今はその気持ちはおさめることにした。
「今週どこかで時間もらえませんか?」
「今週か。少しなら空けられる」
「三人連れて行きます。実物見た方が早いでしょ」
「スケジュールが確認できたら、場所と時間を送る。それじゃあな」
「ありがとうございます! 楽しみにしてます!」
通話が切れる。
事実だけを共有する淡白な会話だった。
加賀からは特別な感情は感じられなかった。
褒めてもらえるなどとは思っていなかったが、思ったよりも冷たい態度で水をさされた気分だった。
――まあいい。会って協力を約束させてやる。
あのおっさんへの不満はあるが、それよりも、今は休みたい。
一週間走り続けて疲労が限界に近い。
喜びを胸に、橘は帰路を急いだ。
******
それから数日後。
加賀から提示された日、橘は駅前で他のメンバーを待っていた。
待ち合わせ時間までまだ余裕はあるが、気持ちが落ち着かない。
これまでとは違う。自分一人で夢を語るわけじゃない。
三人を連れて、加賀の前に立つ。
ここで認められなければ話にならない。
そう考えると、昨日までの勢いが少しずつ現実味を帯びてきた。
「すみません。おまたせしました」
その声とともに現れたのは葵だった。
小走りで駆けてくる葵。その勢いで髪が揺れる。
綺麗にカットされた髪型もあって、初対面の時とは違い暗い印象はない。ただ、慣れていないのか、化粧は薄く、垢抜けない印象は残っている。
「お疲れ。急に呼び出してごめんな」
「お疲れ様です。とんでもないです」
――相変わらず礼儀正しいというか堅苦しいというか。
一番手に来るのがなんとも葵らしい。
「今日は莉子さんと、もう一人の方も来るんですよね?」
「そうそう。まあ紹介は来てからするよ。もしかして緊張してる?」
「……ちょっとだけ」
「全然ちょっとじゃなさそうだな。大丈夫。莉子みたいな気の強い女じゃないから」
「誰が気が強くて可愛くて魅力的な女だって?」
橘の軽口に野次が飛んでくる。
その声の先には、いつも通りのバッチリメイクと垢抜けたファッションで身を整えた莉子がいた。
「そこまでは言ってない」
「人の悪口を言わないでもらえる?」
「悪口じゃない。俺なりの評価だ」
「あっそ。口下手なんだね」
橘への口撃はそこそこに、莉子は葵のもとにつま先を向ける。
「葵久しぶり。元気してた?」
橘には向けたことのない、あけすけな笑顔で再会を喜んでみせる。
「莉子さんお久しぶりです。それなりにやってました。莉子さんはお元気でしたか?」
「元気に毎晩お酒飲んでるよ。髪の毛良いじゃん。やっぱこっちの方が可愛い。でも、化粧はまだまだだね。今度じっくり教えてあげる」
「いいんですか? ありがとうございます」
あらためて見ても対照的な二人。
普通に生きていたらきっと関わることのなかった二人だ。
ただ、意外と相性は悪くなさそうで安心する。
ここにもう一人が参加するわけだが、藤森が上手く噛み合うのかが少し心配であった。
それから時間が流れ、待ち合わせの時刻を迎えるが、藤森はなかなか姿を現さない。きっちりしてそうな印象を持っていた橘は、不安が膨らんでいく。
――まさか飛んだのか……? 土壇場で嫌になったのか……? 勘弁してくれ。来てもらわないと非常に困る。
時間が流れる度に焦りが増す。
連絡を入れるが返信はない。
頭の中に、熱を持った不快なモヤがかかる。
「ねぇ、いつ来るの? 遅刻? いい度胸してる」
不満を隠すことなく、表情とともに口に出す莉子。
――お前もこの間遅刻してただろ。
普段ならそう口を挟めたが、今の橘はそんな余裕がなかった。
――もし来なかったら……。
それは計画の破綻を意味する。
やっと始まりかけた物語があっけなく終わってしまう。
目眩がしそうになっていた、その時だった。
「すみませーん! 遅くなりました!」
大きな声で謝罪をしながら、藤森が息を切らしながら駆け足で現れる。
心底申し訳なさそうな顔をした藤森の服装は、あの日と同じリクルートスーツだった。
「すみませんでした! 面接があって、予定より長引いてしまって……」
はあはあと息を切らしながら、藤森は頭を下げた。
「良かった! 遅刻? そんなことはどうでもいい! よく来てくれた!」
九死に一生を得た思いで、橘は勢いよく言った。
喜びと安堵に身を預ける橘とは違い、それを良しとはしない人物が一人。
「面接?」
莉子が藤森の言葉を反芻する。
「というかリクルートスーツだよねそれ。え? 橘さん、どういうこと?」
不機嫌を覗かせながら莉子は問いかける。問い詰めると言い換えても差し支えのない口ぶりだった。
「彼女は藤森――えーっと、ごめん下の名前なんだっけ?」
「奈々です」
「そう、藤森奈々さん。お察しの通り就活生だ。けど問題ない。莉子も仕事と並行して活動するだろ? それと同じ」
「いや同じじゃないでしょ。就活しながら活動してるアイドルなんて聞いたことないけど。言っとくけど藤森さんのことをどうこう言ってるんじゃないからね。橘さんのいい加減さを言ってるんだから」
莉子の淡々とした指摘により、嫌な緊張感がその場に流れる。
自らを原因とした火種に戸惑う様子の奈々。
オロオロと落ち着かない葵。
――のっけから幸先が悪いな……。
早くも暗雲立ち込めそうな気配に、先が思いやられる。
「言い方が悪かったな。ちゃんと説明する。事情を話してもいいかな?」
橘が目配せすると、奈々は黙って頷いた。
「一つ勘違いしないで欲しいのは、藤森さ――奈々も生半可な気持ちでは来てない。今後の人生を左右する就活が、おざなりになるリスクを背負って活動するんだ。その意味はわかってくれるだろ」
「だから藤森さんじゃなくて、あんたの――」
「まあまあ! 今はやめましょうよ! せっかく藤森さんも来たことですし……その、自己紹介とかしませんか?」
熱くなりそうだった莉子を制したのは葵だった。
二人をなだめようとする葵は悲しそうな表情をしており、それを見た莉子の目から熱が引いていく。
「葵ごめんね。ありがと。まあ橘さんがいい加減なのは今に始まったことじゃないし、それについて来てるんだから、とやかく言うのも違うか。ごめんね橘さん。言い過ぎちゃった」
本心では納得していなそうだが、莉子は言いかけた言葉をのみこんだ。
橘としても言い分はあり、言われっぱなしは性に合わないが、葵に慣れない仲裁役をやらしてなお続ける気にはなれなかった。
「いや、俺の方こそごめん」
お互いが腹に一物を抱えつつも、その場をおさめるために形上の和解を選んだ。
加賀に会うという本懐の前に、危うくバラバラになるところだった。
――いい加減だと? 俺だって色々と考えてるんだ。お前らに言われる筋合いはない。
本心は奥底に沈め、橘はいつもの調子を仕立てる。
「と、まあこんな感じで本気でぶつかり合ってるメンバーです。あらためてだけど、一応社長の橘。社長っていっても登記すれば誰でもなれるんだけど。で、こいつが頼りになるウチのご意見番」
「はじめまして。莉子っていいます。普段はキャバクラで働いてまーす。急に喧嘩しだしてヤバい所に入っちゃったって思ったでしょ? でも安心して。社長はヤバい人間だけど、私とこの子はめっちゃ良い子だから」
「え? いや、私はそんなことないです。あ、私は一ノ瀬葵といいます。よろしくお願いします」
「あはは……。私は藤森奈々といいます。遅れてしまって本当にすみませんでした」
「硬いよ奈々ちゃん。趣味とか特技は? 私は買い物が趣味で、特技はおじさんからお金をまきあげること!」
「あはは……すごく良い特技ですね。たまにですけど、旅行に行ったりするのが趣味です。特技って言っていいのかわかんないですけど、元々ダンス部だったので最低限は踊れると思います」
「ダンス部だったの? エース候補じゃん! ってか就活してるってことは四年生? 私の方が歳下だと思うから、気をつかわずタメ口で喋ろうよ」
「いや、それは莉子じゃなくて奈々が言うことだろ」
「あはは……楽しそうなグループですね」
奈々は終始硬い態度を崩さなかった。
強張った表情で、乾いた笑いをあげるのが精一杯のようだった。
合流するや否や嫌な場面を見せられた奈々は何を思っただろうか。本当に騙された――そう思っていないことを祈りたかった。




