11話 かすかな期待
四人は駅から十分ほど歩いたところにある、ビルの前で足を止めた。
駅前の雑居ビルが立ち並ぶ通りから少し外れた場所に、その建物はあった。
十階ほどの高さがある、ガラス張りのオフィスビル。
正面には大きな企業名が掲げられているわけでもない。ただ、入口の脇に設置された案内板には、いくつかの会社名が整然と並んでいた。
「大きな建物ですね」
葵はビルを見上げながら素朴な感想をもらした。
首を曲げて見上げる様は、社会見学に来た小学生のような雰囲気だ。
「すごいですね……」
奈々も葵と同様に、ビルを見上げながら短く呟いた。
建物の立派さに圧倒されているようで、その姿からは緊張が覗く。
「本当に知り合いだったんだね」
莉子はいつもと変わらぬ冷ややかな態度で、橘にチクリと一言差し込んだ。
「だから言ったろうが。さあ、行こう」
橘は三人を先導し、ビルの自動ドアをくぐる。
外から見てもそれなりに立派な建物だったが、中に入るとその印象はさらに強くなった。
ピカピカに磨かれた床。天井から吊られた照明。正面には受付カウンターがあり、エントランスには小綺麗なスーツを着たサラリーマン達が行き交っている。
どこか自分たちが普段生きている場所との違いを感じる。
「すみません。加賀さんとお約束している橘と申します」
「お待ちしておりました」
受付の女性に橘が名前を告げると、受付の女性はにこやかに頭を下げた。
受付の女性は四人を一瞥したが、表情を変えることなく慣れた様子で応じた。
「加賀様から伺っております。五階までお上がりください。エレベーターを出て右手が受付になります」
「ありがとうございます」
案内に従い、四人はエレベーターに乗り込む。
鏡面の壁には四人の姿が映っている。
葵は緊張した面持ちで背筋を伸ばしている。
奈々は両手を前で重ね、落ち着かなさそうに足元を見ている。
莉子だけはいつも通り、気だるそうにスマホをいじっている。
――普段は扱いづらいが、こういう時に物怖じしない性格は助かる。会う前から飲まれているようじゃ話にならないからな。
そんなことを思いながらも、橘は自分でも気づかないうちに何度も襟元を直していた。
静寂を乗せたエレベーターが止まる。
エレベーターが五階に到着し、扉が開く。
そこには、一階とは違う静かな空間が広がっていた。
壁には会社のロゴ。ガラス張りの扉の向こうには、整然と並んだデスクと仕事をする社員たちの姿が見える。
その前に立っていた男性が、橘たちに気づく。
「橘様ですね?」
「あ、はい」
「お待ちしておりました。加賀がお待ちです。こちらへどうぞ」
四人はその後をついていく。
橘が加賀に会うのは二度目だ。
だがあの時とは違う。一人で思うままに振る舞えたあの日とは違う。今日は一人ではなく、自分が集めた三人を連れている
加賀がどのように評価するのかは、さすがの橘も自信がなかった。それでも、加賀の要求は果たしたという自負があり、気合いは十分だった。
――ここまで来た。
まだ何も始まっていない。
それでも、自分たちは確かにここまで来た。
そう思いながら、橘は応接室へ足を踏み入れた。
大きな窓から街を見下ろせる部屋だったが、内装は意外なほど簡素だった。
壁際には本棚。部屋の隅に置かれる観葉植物。
中央には、四人掛けのソファとローテーブル。
その奥、窓際に一人の男が立っている。
「久しぶりだな」
橘の夢物語のきっかけとなった、加賀文明が立っていた。
年齢は五十代半ば。白髪の混じった髪に、皺の刻まれた顔。特別大柄なわけではないが、立っているだけで妙な存在感がある。
加賀の視線が、一瞬のうちに三人を通る。
値踏みするような厳しい視線ではない。 かといって、歓迎している様子でもない。
それは静かな観察だった。
「お久しぶりです加賀さん。三人、連れてきましたよ」
怯えは出さない。それを見せては交渉が進まない。
橘は努めて平静を装った。
「そうだな。立ち話もなんだ。皆座ってくれ」
加賀に促され、四人は大きなソファに腰をおろした。
葵、橘、莉子、奈々の順で横並びに座る。
加賀が対面のソファに腰かけるのとほぼ同時に、ノック音とともにお茶が運ばれてくる。
一口喉を潤してから、橘は本題に入る。
「加賀さんとの約束は守りましたよ。アイドルの原石を集めてきました。だから――」
「まあ、待て。まずは自己紹介からだろう」
前のめりになった橘をたしなめた加賀は、穏やかな口調で話し始める。
「はじめまして皆さん。加賀文明です。君たちの世代は知らないかもしれないが、元々は曲を作っていたこともあるおじさんだ。といっても、今は制作会社の社長業が中心だけどね」
加賀は、橘には見せたことのない、柔和な態度で簡単な自己紹介をした。
――エロおやじが。
謂れのない不満を抱きつつも、そんなことは間違っても言えない。
「私加賀さんの曲好きでした! 小学校の時、運動会のダンスの曲が加賀さんの曲だったんですけど、すごく良い思い出になってます!」
加賀の自己紹介に対して、間髪入れずに大きなリアクションをしてみせる莉子。
キラキラと輝く目は、憧れの対象に会えた嬉しさに心震わせている、とでも言わんばかりだ。
「君みたいな若い子にも認知されているとなると、がんばってきた甲斐があるよ。君の名前は?」
「私は莉子といいます! ふふっ、ちょっと加賀さん。名前の聞き方が、映画であったようなフレーズで思わず笑っちゃいました」
「はは、確かにね。ちなみにどの曲で踊ってくれたのかな?」
「『ラブリーズ』のセカンドシングルだったと思うんですけど、『愛を届けたい』です!」
間を置かず即答する莉子。
――こいつ、調べてきたな。
初めて会った時には、加賀の名前すら曖昧だったはずだ。
それが今では、曲名まで即答している。
人懐っこい態度で接する莉子だが、その真意はわからない。本当に憧れているのか、単に気に入られようとしているのか。どちらでもいい。
こういう場で愛想よく振る舞える。それだけで十分だった。
「嬉しいね。君は色んなところにアンテナを張っているんだね」
「そんなことないですよー。っと、私ばっかり喋っても意味ないですよね。じゃあ次は葵どうぞ」
「え、あ、はい! は、はじめまして。一ノ瀬葵です。えっと、その、あの、すみません。昔からテレビとかあんまり見てなくて、加賀さんの曲はあんまり知らなくて……」
小さく縮こまりながら、申し訳なさそうに頭を下げる葵。
「ははは。私の曲の感想を言ってもらうために自己紹介をはじめたわけじゃないんだから、気にしないで。気を遣ってくれてありがとう。葵さんは優しい心を持っているね」
「いえいえ、滅相もないです」
「じゃあ次はスーツ姿の君のことも聞かせてもらってもいいかな」
「は、はい! 藤森奈々と申します。私は元々ダンスをやっており、『ラブリーズ』さんの踊りも参考にさせてもらったことがあります。なので、加賀さんの曲はたくさん聞いたことがあります」
「はは。君はずいぶんとしっかりした話し方だね。まるで面接みたいだ。安心して。別にとって食おうってわけじゃないんだから」
「え、あ、はい。申し訳ございません。失礼いたしました」
三者三様の挨拶。
莉子は社交性。葵は生真面目。奈々は緊張。
三人とも見事なぐらいにバラバラだった。
良いプレゼンになったとは思えないが、加賀は終始穏やかに耳を傾けていた。
「一応俺もしたほうがいいですかね?」
「お前は大丈夫だ」
「ちょっと!」
橘の確認を、加賀が雑にあしらうことで、場に笑いが起こる。場の空気が少し緩んだ気配がした。
それからしばらく、四人は取り留めのない話をした。
橘の過去の事業について、莉子がキャバクラで働いていること、活動を始めたきっかけ、芸能界の裏話など、時には加賀も話題を提供しながら、和やかに時間は流れていく。
最初こそ橘が率先して間を取り持とうとしていたが、次第にその手助けは不要となっていた。
葵が笑う。
奈々も少しずつ緊張が解けていく。
莉子は加賀を相手に楽しそうに話している。
数日前まで、ただの他人だった三人が、今は自分の作ったグループとして同じ場所にいる。
そんな三人を眺めながら、橘は少しずつ肩の力が抜けていくのを感じていた。
「――さて、楽しい時間はあっという間だな。そろそろ私は仕事に戻らないと」
ひとしきり話してから、加賀は切り出した。
「ええー! もうそんな時間ですか? もっと話したかったですー」
白々しいまでの莉子の発言に対して、満更でもないのか加賀の表情が緩む。
「またお店にでも行かせてもらうよ。そうだ。今日は時間をとってもらってありがとう。これはつまらない物だが、お土産だ」
そう言って加賀は紙袋を取り出し、橘を除く三人にそれぞれ手渡す。
「え? これいつも並んでるお店のクッキーじゃないですか! いいんですか? 私ずっと食べたかったんです!」
「ああ。良かったら食べてくれ」
「ありがとうございます!」
三人は揃って頭を下げ、感謝を告げた。
そんな三人に穏やかな視線を送る加賀。
「橘。少し話がある。お前は残れるか?」
三人には見せない、厳しさを含んだ視線が橘に焦点を合わせた。
「はい」
三人をエレベーターまで送ったあと、応接室には橘と加賀の二人。先ほどまでの和やかな雰囲気はない。どこか緊張感のある空気。
橘としても消化不良であり、こうして話せるのは願うところだった。メンバーと加賀が交流を深められたのは良かったが、本題はそこではない。
加賀の言う通り人は集めた。あとは加賀が曲を提供してくれさえすれば活動が始められる。そして成功を手に入れられる。
――きっと大丈夫。




