12話 本当の始まり
「今日はお時間をとってもらってありがとうございました。加賀さんって普通に優しいとこあるんですね。思ったよりメンバーと楽しそうで良かったです」
「お前以外には優しくできるさ」
「手厳しい。まあそれはいいとして、どうですか加賀さん。俺が集めたメンバーは。今はまだ原石って感じですけど、磨けば光ると思うんですよね。加賀さんの曲と、俺のプロデュース力で絶対成功させます」
「なあ橘、お前は売れると思うか?」
「え? そりゃあもちろん。そう思って集めましたから」
「もう一度聞く。お前は本気であいつらが売れると信じているのか?」
「……」
確かな手応えを感じ、上機嫌に回っていた口が止まる。
静かな視線が橘を射抜く。
加賀の問いかけは、不必要に厳しい口ぶりではなかった。
ただ、曖昧な誤魔化しを許さない重みを持っていた。
「……売りますよ。言ったじゃないですか。加賀さんの曲と俺のプロデュース力があれば――」
「曲は作らない」
「は……?」
瞬間、目の前が真っ白になった。
「え? いやどういうことですか?」
「言葉の通りだ。曲を作るつもりはない」
言葉が音として鼓膜を通り抜けていく。
意味が理解できず、加賀の声は振動となって思考を揺らす。
「い、いやそれは違うでしょ! 話が違うじゃないですか! 約束だったでしょ!」
「最初から言っただろう。話は聞く、と。曲を作るとは一言も言っていない」
そう言って加賀の口は閉じる。
待てどもそれ以上の言葉は出てこない。
言いようのない焦燥感。
胃に直接なにかを詰め込まれたかのような不快感。
押し寄せてくる恐怖。そして怒り。
「ふざけるな! 一言も言ってない? そんなもん通るわけないだろ! そう思うに決まってんだろうが!」
得意と自負していた口先は回らない。
憤りを感じる橘は感情のままに言葉を吐く。
立ち上がり怒声を上げるが、加賀は座ったまま平静を保っていた。
その態度が腹立たしく、橘の思考はさらに鈍くなる。
目を剥き、怒りの感情をそのままぶつける。
「楽しかったかよ? 俺をもてあそんで楽しかったか? なめてんじゃねぇぞ! 誰のためにやったと――」
「やめろ。言葉を間違えるなよ。誰のため? 全部お前自身のためだろ」
熱くなった頭に冷静な指摘が突き刺さる。
いっそのこと、暴れて全て台無しにできたら、そんな危険な考えが頭を過るが、橘はそれを実行できるほど愚かでも、開き直れる強さも持ち合わせていなかった。
認めたくない現実が背中にのし掛かる。
計画のキモは加賀のネームバリューだった。
昔ほどの認知度はないにせよ、一世風靡した加賀の名前を利用すれば、自分なら成功できると思っていた。
だが加賀はそれを拒否した。
説得が意味を成さないことは橘でもわかった。
何を言っても、この人は曲を作らない。
それだけはわかった。
つまり、もう――。
掴んだと思ったチャンスが手からこぼれ落ちていくのを感じる。足に力が入らず、橘は倒れ込むようにソファに座った。
「……どうしてですか? 俺の集めたメンバーがものたりないからですか? 売れる見込みがないからですか? どうして……」
懺悔のような問いかけ。
気持ちを保つことができず、すがるように橘は尋ねた。
「それをお前が言ったらおしまいだな」
しかし、返ってきたのは答えではなく耳の痛い宣告。
橘は自分の感情がコントロールできず、両手で顔を覆い隠していた。
「繰り返しになるが、曲は作らない。ただ、お前が一週間で集めてきたことは認めよう。うちの会社が運営するスタジオは安く利用させてやる。録音や練習がしたければ使うといい。ただし、会社からのサポートは一切しない。それでも良ければ好きに使うといい」
加賀が何かを言っているが、橘にはもう届いていなかった。見かねた加賀は、返答は後日でいい、と言って応接室をあとにした。
残された橘は、深い虚無感に襲われて、立ち上がることができなかった。
計画が破綻した。
最初から無茶なことはわかっていた。
仮に加賀の力を借りたとしても、勝算が高い計画でないことはわかっていた。
それでも、もう他に這い上がれるものがないと思っていたから、無理矢理に始動した。そんな薄い算段で始まったプロジェクトだが、加賀の協力が望めないことで正式に瓦解した。
裏切られた、と恨み節を吐く気力も残っていない。
残ったのは素人三人。
橘には資金も人脈もない。
あの三人の地力を使って売れるしか成功の道はない。
――無理だろ……。売れるわけない。
絶望と虚脱感にさいなまれながら、しばらくしてから橘は応接室をあとにした。
******
「あ、橘さん」
無気力になりながらビルの玄関を通り抜けた先には、葵と奈々の姿があった。橘の姿に気づいた葵が声をあげた。
必死の思いで集めたメンバーだが、今となってはありがたみを感じられない。
「けっこう話してたんですね。全然センスない、とか言ってませんでした……?」
恐る恐る、奈々が加賀の所感を尋ねた。
「大丈夫大丈夫。そんなこと言ってなかったよ。待っててくれたんだな。ありがとう」
形式だけのいつも通り。
考えて言葉を選んでいるわけではなく、適当な言葉を口から吐き出しているだけだった。
「あれ、莉子は?」
「莉子さんは帰りました」
葵が少し躊躇いながらそう言った。
「あいつらしいな。まあ俺たちも帰るか」
帰路につく三人。
「やっぱり芸能界を生き抜いて来た人は迫力があるね」
「そうですよね。緊張しました。でも意外って言っていいのかわからないですけど、優しかったですね」
「ね。っていうか私大丈夫かな? 莉子ちゃんに絶対ダメな奴って思われたよね……。はぁ、なんでこんな日に遅刻するかなぁ私」
「大丈夫ですよ。莉子さんはきっとわかっていると思います。就活も大事なことですし、仕方ないですよ」
「葵ー……。本当良い子だね。うん、よし。一緒にがんばろうね」
葵と奈々は待っている間に打ち解けたようで、少し親しげな雰囲気になっていた。
だが橘にとってはどうでもいいことだった。二人が会話を弾ませるが、橘はその輪に入ろうとはしなかった
――終わった終わった。あーあ……。
最低の気分だ。どうするかな。
頭の中はそれでいっぱいだった。
幸いな点でいえば、まだ活動自体していないため、経済的な損失はない。失ったのは時間。それから淡い希望。
今ならまだ辞められる。
メンバーの理解は得られないかもしれないが、知ったことではない。
お遊びで始めようとしていたわけではなく、ビジネスとして考えていた。勝算のない三人を率いて活動することに価値を見出だせない。
「あの、橘さん……」
おずおずと遠慮がちに葵が声をかけた。
「ん? どうかしたか?」
「気のせいだったらすみません。なにかありましたか……?」
「え? 俺が? いやお前らだけお土産もらってズルいなーって拗ねてた」
「そ、そうですか。あ、良かったら私のお土産どうぞ」
「いやマジにしないでくれ。冗談だから。ホント葵は真面目だな」
「……もし私たちのことで、加賀さんからなにか言われたんだったら、と思って。私がんばります。橘さんが選んでくれたこと、本当に嬉しかったんです。だから、期待に応えられるようがんばります」
「……」
「お、葵良いね。橘さん、私もがんばります。でも私達売れますかね?」
「…………ああ、売れるさ。絶対に」
それは初めて明確についた嘘だった。
「……そうだ。腹減らないか? 帰りにラーメンでも食いに行こう。今日は俺の奢りだ」
「え、いいんですか? やったー。緊張してご飯食べてなかったんでお腹ペコペコです」
「私は自分で――」
「馬鹿言うな。それぐらい奢る甲斐性はあるわ。葵が断ると奈々だけ欲張った感じになって気まずいだろ」
「そうだよ。せっかくだし、今日は橘さんのご厚意に甘えちゃお」
「じ、じゃあお言葉に甘えて」
――……まだ終わってない。
加賀との関係が終わったわけではない。繋がりは残っている。活躍さえすれば、心変わりすることだって望める。
――なによりも、このまま終わってたまるか。
浅はかな皮算用で始まった計画は泡となって消えた。
ここからは、橘自身の手による無謀な夢物語の始まりだつった。




