5話 夜の蝶と昼の蛹《さなぎ》
三人は駅前の広場を抜け、小さなカフェに入った。
店員に案内された席で、橘と莉子が向かい合う。
葵は立ったまま、二人を見比べていた。
「ん」
橘が自分の隣りを案内するより先に、莉子が自分の隣りの椅子を引く。ここに座るようにと目で促す。
「あ、すみません。ありがとうございます」
慌てて座る葵。
足元にバッグを置くが、その所作はどこか慎重だった。
「こんな怪しいおじさんの隣りは怖いもんね。女子同士座ろ」
「誰がおじさんか。怪しい青年だから訂正してくれ」
「怪しいのは自覚してるんだ」
「あはは」
二人のやりとりを前に、乾いた笑い声を控えめに上げる葵。背筋を伸ばして座る姿は、面接を控える就活生のようだ。
莉子は対照的に、椅子に大きく座り、片肘をテーブルにかける。足を組み、髪を耳にかけながらメニューを眺めている。
あらためて並べて見ると対照的な二人だ。
優劣をつけたいわけではないが、二人は明らかに違う。
一人は地味で垢抜けない。もう一人は派手で華やか。大多数の目を惹くのは後者だ。
「私アイスティー。葵ちゃんはなににする?」
「あ、じゃあ私も同じのでお願いします」
手渡されたメニューを見ることもなく即答する葵。
好みというより、その場の流れを崩さないために手早く答えたように映った。
「じゃあ俺はアイスコーヒーにしよ。すみませーん」
莉子が何か言いたげな表情をしていたので、橘はその隙を与えないように店員を呼んだ。
数分後、店内の奥から氷の触れ合う音が聞こえてくる。
「アイスティーを二つと、アイスコーヒーですね」
グラスがテーブルに置かれていく。
莉子はグラスの水滴を指先でなぞりながら、二人の顔を見比べる。そうして思い立ったかのように口を開く。
「まずは自己紹介しよっか。私は莉子。今年ハタチで、普段はキャバクラで働いてる。この怪しい青年に馬鹿みたいなスカウトされて、気まぐれでついて来た。アイドルとかよくわかんないけど、上手く行きそうだったら続けるし、そうじゃないなら辞める。以上」
莉子はスラスラと自身の思いを口にした。
店での愛嬌とは正反対の、飾らない挨拶だった。
「じゃあ次は俺が。俺は橘恭平。今年で二十七歳。一応、肩書は社長。昔は社員もいたけど、今は一人。一人になってから事務所も引き払ったし、本当の意味での“個人”事業主って感じ。好きなものはー、なんだろ? 煙草かな? まあいいや。夢はアイドルプロジェクトを成功させて、超大金持ちになること。長所は諦めの悪さ。あらためてよろしく」
「加賀とはどういう繋がりなの? どうやってあんな人と知り合えたの?」
「夜の街で偶然見かけてさ、これはチャンスだと思ってヤケクソで近づいた。雇用関係とか業務提携ではないんだけど、まあそういう話はややこしいから、サポート体制にあるって認識で大丈夫」
「まとわりつかれて鬱陶しかっただろうね」
「長所だからな」
橘は嘘はついていない。
なるべく事実だけを語った。
嘘はついていない。
ただ、真実を全て話したわけでもない。
「葵ちゃんは何歳?」
次は葵が自己紹介を始める番だったが、莉子が先んじて問いかける。
「あ、はい。十七歳です」
「若! でもそうだよね。肌めっちゃキレイだし羨ましい。高校二年生?」
「いえ、学年で言ったら三年生です。ただ、去年辞めたんで、今はフリーターで、アルバイトをかけもちしてます」
「え、そうなの? 私なんか中卒だし、受験戦争を勝ち抜いた人尊敬する。なんのバイトしてるの?」
「えーっと、スーパーのレジ打ちと、定食屋さんと、コンビニと、三つです」
「そうなんだ。めっちゃレジ打つの早くなりそう。私子どもの時、レジ打つのにめっちゃ憧れてたなぁ。何処の定食屋さんなの。今度行くから教えてよ」
「えっと、西ビルの近くの交差点の所です」
「ああー、確かになんかあったかも。私意外と鯖の味噌煮とか好きなんだけど、置いてる?」
「はい、あります。けっこう美味しいって評判ですよ」
「ホント? やったー、今度行こうっと。葵ちゃんは好きな食べ物なに?」
「私はー……、おそばとかですかね?」
「わかる! 私もそば好き! 美味しい店知ってるんだけど、今度一緒に行こ。もちろん橘社長のおごりで」
「あはは。ぜひ行きたいです」
「葵ちゃんは兄弟はいるの? しっかりしてるし、一人っ子っぽい」
「しっかりしてはないんですけど、一人っ子です」
「良いなぁ。私お兄ちゃんいるんだけど、マジでムカつくからね。一人っ子憧れる」
「そうなんですか。兄弟がいると楽しいのかと思ってました」
「全然。ってかさ、こんな変な男にスカウトされた時、最初は怖くなかった? 無理やり勧誘されたんだったら言ってね。お客さんに弁護士とかもいるから、慰謝料とろ」
「そ、そんなことないです。最初は信じられなかったんですけど、私なんかって。でも嬉しかったです。だから頑張りたいなって、思います」
「良い子過ぎ! 騙されないように注意してね。お姉さんはそれが心配」
「あはは、ありがとうこざいます。気をつけます」
莉子は自然な形で自己紹介を誘導する。
相槌を随所に挟みながら、柔和な態度で葵の背景を掘り下げる。共感の声を心地よい温度で発するため、雰囲気は和やかだ。葵の緊張感も薄らいでいる。
橘はアイスコーヒーを一口飲みながら、二人の会話を眺めていた
――さすがキャバ嬢。喋らせるのが上手い。だけど、少し意外な対応だ。
ここまで友好的な態度で接するとは思っていなかった。アイドルの適性が無いとかなんとか、酷いことを言うんじゃないかと心配していた。
「お金の問題は大丈夫なの?」
それは核心的な問いかけだった。
莉子の顔に、先ほどまでの柔和な色はなく、静かでどこか厳しい印象を受ける。
言葉に詰まる葵に対し、莉子は続ける。
「橘さん、活動費としてお金払える?」
「……軌道に乗るまでは出せない」
社長と名乗ったものの、それは肩書だけであり、資産などあるはずもない。当然給料を支払う余裕もない。その現実が歯がゆいが、誤魔化しようもない事実だ。
「だよね。それでも大丈夫? アイドルを目指すってことは、バイトする時間が削られるってことだよ。給料が少なくなっても生活は問題ないの?」
アルバイトを三つかけもちしているということは、単に忙しいという話ではなく、そうまでしてお金が必要ということだ。その事実を提示し、意思を問う莉子。
「……両立できるようにがんばります」
弱々しく返す葵。
莉子の問いかけは止まらない。
「ご両親は?」
「おい、そこまで聞くなよ」
「なんで?」
「初対面だぞ」
「でも必要でしょ」
「必要でも聞き方ってもんがあるだろ」
「それはそうだね。でも聞かなきゃわからないじゃん」
「だからって今聞くことじゃないだろ。そういうセンシティブな話は、初対面で話せることじゃないだろ。配慮が足り――」
「はあ? なに? それが優しさだと思ってんの? 未成年の子の人生を預かろうとしてるんだよね? 最初にハッキリさせとかないといけない問題でしょ。そっちの方こそ無責任じゃない」
「そういうことを言ってるんじゃないだろ。聞き方とか、タイミングとか、そういうのを考えろって言ってんだよ」
「じゃああんたは知ってんの? この子の家庭事情を知った上で、ついて来いって言ってんの?」
「それは……」
莉子の言葉が突き刺さる。
橘には返す言葉がなかった。
「ふ、二人ともやめてください。すみません。私が中途半端な態度をしてしまったからです。すみません」
険悪な空気を制したのは他ならぬ葵だった。
繰り返し謝罪の言葉を口にしながら、頭を下げた。
十代の少女に頭を下げさせていることが、橘は情けなくてたまらなかった。莉子も同様に、忍びなさそうな表情だった。
「葵ちゃん、気を悪くしたらごめんね。デリカシーがないのはわかってる。でも私は心配で」
「莉子さんが気づかってくださっていることはもちろんわかってます。私も大事なことだと思います。だから答えさせてください」
そう言って橘に目線を送る葵。
『私は大丈夫だから、心配しないでください』
そんな思いが伝わってくる。
少女に気づかわせていることが、橘は本当に情けなかった。
「両親は離婚して、今はお母さんと暮らしてます。お母さんは元々体が弱かったんですけど、去年体調を崩してしまって。今まで通りに働くことが難しくなったんで、高校を中退して、私が働くことにしました。最初は正社員の募集を見たんですけど、なかなか良いものがなくて。それだったらアルバイトの方が、長い時間働いて、給料も稼げるかなって、今の生活になりました」
「そっか。私も片親で、お金のない家育ちだから、私たち似てるのかもね。その上でもう一度聞くね。本当に橘さんについて行っていいの?」
「……正直私、アイドルとかよく知らないですし、わかりません。生活と活動が両立できるのかどうかもわからないです。莉子さんみたいに綺麗じゃないですし、向いてないって思います。でも、橘さんに声をかけられた時、本当に嬉しかったんです。期待に応えたいって思いました。頑張りたいないって思いました。私じゃ役不足かもしれませんが、莉子さん、私も一緒にやらせてください」
そう言って葵はもう一度頭を下げた。
莉子の言い分は正論だった。
スカウトは橘の目的を反映した行動であり、相手の事情は汲み取っていない。気付いていなかったわけではない。目を背けていただけだった。それが莉子の指摘で浮き彫りになり、胸が痛かった。
そんな浅はかさを肯定したのは、他ならぬ葵だった。
戸惑うばかりの少女かと思っていたが、それだけではなかった。
「葵ちゃん、それたぶん役不足じゃなくて力不足じゃない?」
「え、あ、そうなんですか。知らなかったです……」
赤面しながら動揺する葵を見て、莉子は無邪気に笑う。
「あはは! もう、真面目に捉えすぎ。試すようなことしてごめん。私の方こそよろしくね、葵」
そう言って莉子は葵に手を差し出す。
「はい。よろしくお願いします」
握手を交わす二人の手を見つめながら、橘は深く息を吐いた。
自分が始めた。自分が声をかけた。そして今、この二人は自分の言葉でここにいる。
――だったら、せめて失望だけはさせたくない。




