3話 ガラスの靴
「マリカちゃんの夢ってお金持ちになることなの?」
「あ、話変えてるー。マリカのおねだりなんて聞いてくれないんだ。やだなぁ。絶交しちゃおっかな」
「ごめんごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど、そっちの方が気になって。好きなの飲んでいいよ」
「え、ホントですか? すみませーん、ドンペリボトル――」
「ちょちょ! それはさすがに!」
「あはは! ジョーダン。お兄さんがマリカのことからかったからお返し。焦ってる顔ウケる」
「走って逃げようかと思ったよ。ドンペリボトルはまたいつかね」
「あはは、約束だからね? 橘さんは営業職ですか?」
「え? なんで?」
「口が上手いし、革靴の使用感的にそうなのかなって」
「ああこれ。マリカちゃんに会うために、山を越えてきたからくたびれてるだけだよ」
「あはは! ホントウケる! ああー、久しぶりにこんなに笑った。ってかごめんね? マリカばっかり楽しんじゃって。お兄さんといるの楽しくて素で楽しんじゃう」
相手の言葉一つで表情を鮮やかに変え、耳触りのいい声で好反応を示すマリカ。
プライベートだったなら、橘はこの居心地の良い雰囲気に酔っていただろう。
だが今は違う。今後の運命を左右する大事な局面だ。
「マリカちゃんの夢ってなに?」
橘は再度問う。
これまでとは違い、真剣なトーンで聞いた。
「マリカの夢? まあ簡単に言うとお金持ち!」
「お金を稼ぎたいってこと?」
「働くのしんどいしお金持ちの旦那さんもらいたいかな。あ、お客さんの前で働くのしんどいとか言っちゃった。もうー、お兄さんの前だと素が出ちゃうー!」
「どれくらいのお金持ちがいいの?」
「どれくらい? 考えたことなかったなー。んー、年収一億とか? 年収で聞かれたらわかんないよ」
「その夢はここで叶えられそう?」
「え、どうなんだろ。わかんない。ってかお兄さんなんの話? 実は年収一億ぐらい稼いでて、私をお嫁にもらいたい的な? 一目惚れで口説いちゃおう的な? 白馬の王子様的な? そんな感じ?」
「将来はそれぐらい、いやもっと稼ぐよ」
「だからお嫁に来てくれってこと? 照れる……!」
「マリカちゃん、腹を割って話そう。君はここで満足?」
のらりくらりとかわしていたマリカだったが、この言葉で口が閉じた。ニコニコと三日月状だった目の奥に雲が宿る。
「ねぇお兄さん、何が言いたいの? スカウト? 他店でのスカウト行為はご法度だよ」
これまでとは違う温度の低い声だった。
愛想はなく、警告と呼べる冷たさがあった。
橘はそれに構うことなく続ける。
「ああ、スカウトだよ。ただし水商売じゃない。アイドルのスカウトに来た」
「は?」
「アイドルになればマリカちゃんの夢は叶う。芸能界に行けば、一億どころかもっとだ。ここで出会う人間より遥かに稼いだ旦那候補がゴロゴロいる。外車も海外旅行もブランドも、思うままだ。だからアイドルにならないか? マリカちゃんには素質がある」
橘の大言壮語を聞いて、マリカの目から完全に色が消える。
「へぇー、すごーい。でも私は興味ないかな。話はそれだけ? もっと話したいなら指名してもらえる?」
マリカは感情の伴わない淡白な言葉を吐いた。
数分前と同一人物か疑わしくなるほど冷淡な視線を向けてくる。
その反応は予想の範疇だった。
橘とて、こんな戯れ言で上手くいくとは思っていない。
先ほどの勧誘は、心を動かすというより、素の感情を露呈させることが狙いだった。上辺の会話では交渉は進まない。接客して欲しいわけではなく、本音での会話を望んでいた。
「オッケー。すみませーん、場内指名お願いしまーす」
「はあ? いやダルいんだけど。無駄に時間使わせないでよ。どうせあんた金にならないじゃん」
「アイドルになろうぜ。お前ならできる。いや、俺ならお前を売れる。ここで終わるような人間じゃない。金持ちになりたいんだろ? だったら、もっと上を狙おうぜ」
「物分かりが悪いようだからハッキリ言ってあげるね。あんたから金の匂いはしない。汚い革靴も安っぽいスーツもそうだけど、ネクタイの結び方は甘いし、香水も安い。夢語るのは好きにしたらいいけど、説教臭い持論をウダウダと言ってこないで」
「そんなことは俺が一番知ってる。成功する勝算があるんだ。損はさせない」
「へぇ、そうなんだ。良かったね。私とは無関係のところで頑張ってね」
「加賀文明って知ってるか? 俺は加賀と協働して動いている。だからチャンスはある」
「誰それ」
「『ラブリーズ』は?」
「ああ、子供の時に流行ってたね」
「そのアイドルの曲作った人。テレビで見たことないか?」
「テレビ見ないし知らない」
「現代っ子かよ」
「現代っ子だわ」
「絶対見たことあるから検索してみて」
「めんどくさいなぁ。ああー、なんか昔見たことある。けっこう出てた気がする。え、知り合いなの?」
「ああ」
スマホを見るマリカの瞳に妖しい光が灯ったことを橘は見逃さなかった。
金の匂いを感じたのだろう。これを逃せば機は巡ってこない。
「お前の言う通り、今の俺に金はない。けど必ず掴む。俺はお前を仲間にできれば、グループとして成功できる確信を持ってる。別にアイドルに興味がなくてもいい。人脈を広げることに利用してくれたっていい。それでも俺はお前に来て欲しい。お前と一緒にやりたい。お前のその魅力で客を魅了して欲しい。なあマリカ、俺と一緒に一発当てようぜ。俺がその赤いヒールをガラスの靴に変えてやる」
根拠のない自信を迷うことなく言葉に乗せる橘。
失敗を微塵も疑っていないかのようで、その口振りには確かな芯があった。
「ぷっ、あははは! 臭すぎ! 超おもろしいねホントあんた! あははは!」
橘の口上を聞いたマリカは盛大に笑う。
大口を開け、手を叩きながら、目に涙を浮かべながら笑った。
「はぁー、久々にこんな笑ったわ。お腹痛い」
「……笑い過ぎだろ」
「ねぇ、加賀と知り合いってホント? 証明できる?」
マリカは涙を拭いながら問いかけた。
「ツーショット写真でも撮ってこようか?」
「――ねぇ、本当に私がアイドルになれると思ってんの?」
「じゃなかったらあんなに自信満々に長々と喋れねぇだろ」
「あはっ、確かに。あとさ、私ガラスよりダイヤモンドの靴が欲しいんだけど」
「金のかかるメンバーだな。靴箱をいっぱいにしてみせるから期待しててくれ」
「キャバクラは辞めないからね」
「もちろん。俺だって、いきなり人生賭けろなんて言わねぇよ」
「つまんなかったら辞めるから」
「その時は止めない」
「ってかさ、お前って呼ばれるのムカつくんだけど。お前って言わないで。私の名前は莉子。成瀬莉子」
そう言って莉子は笑った。
マリカの時に見せていた笑みとは違う、媚びも虚勢もなく、どこか挑発的でまっすぐな笑み。
軽くて自由で、でも不思議と目が離せない、そんな笑顔だった。
「次お前って言ったらぶん殴るから」
挑発するように言い放ち、莉子はグラスを傾けた。
その仕草に合わせて橘もグラスを持ち上げる。
コツン、とグラスが触れ合う音が、まるで夜がほどけていくように静かに響いた。
「個人的にはこっちのキャラの方が好きだわ」




