2話 笑わない
翌日、橘は約束した場所に立っていた。
指定したのは、駅から少し離れた場所にあるチェーンの喫茶店。店の前で橘は『おむらいす』を待つ。
待っている間、加賀との件が頭をよぎる。
期待して裏切られた。
あくまでも橘目線での事実だが、あの日の苦い記憶が蘇る。
――今度は失敗しない。なんとしてでも曲を手に入れる。
「あのー、すみません」
待ち合わせ時刻を間近に控えた頃、背後から声がかかる。
「橘さん、ですか?」
「はい」
その声に振り返る。
そこに立っていた人物は、一目見ただけでわかるほどのカリスマ性を漂わせていた。
なんて都合のいい話はなく、どこにでもいそうな青年だった。年齢は橘とそう変わらないように見える。少し伸びた髪。ラフな服装。肩から提げたバッグ。 特徴的な要素はなく、手垢のついたメガネが少し気になった。
「どうも。『おむらいす』です」
「ああ、おむらいすさん! どうもはじめまして、橘です。今日はお忙しい中、お時間をとっていただきありがとうございます」
営業スマイルを仕立て、橘は丁寧に頭を下げた。
「すみませんちょっと迷ってしまって遅刻しそうでした。いやー、このあたりはあまり来ないんで詳しくなくて。ややこしいですよね。橘さんは迷いませんでしたか? あ、喉も渇いたしお店入りましょう」
おむらいすは早口でまくしたてるかのように舌を回した。
言うが早いか、おむらいすは橘を気にせず店へと入っていく。
――うまくやれるだろうか。
一抹の不安を抱えつつ、橘はおむらいすのあとを追った。
店に入った二人はそれぞれ注文する。
橘はアイスコーヒー、おむらいすはオレンジジュースとナポリタンを頼んだ。
――いやオムライス頼めよ。
内心では強くそう思ったが、なんとなく癪だったので言葉を慎んだ。
――というかこういう場でガッツリ食べるタイプなんだなこの人。
なにかを作り出す人は常人とは違うのだろう、と無理やり納得し、橘はさっそく本題に入ることにする。
「今日はご足労いただきありがとうございます。あらためまして、私はアイドルのプロデュースをやっている橘と申します。おむらいすさんの曲を聞いて、ビビッときました。うちのアイドルと、おむらいすさんの曲があれば間違いなく売れる!と確信しました。なので、ぜひおむらいすさんにご協力いただけないかと」
「いやー、そう言っていただけて嬉しいです。僕なんかただの素人みたいなもんですからプロデューサーさんに褒めていただけて光栄です。あ、プロデューサーって響きすごくカッコいいですよね。憧れます。あ、というか元々音楽系の専門学校行ってたんですよ僕」
回る回る、舌が回る。
おむらいすは一度話し始めると止まらない。息継ぎをしながら、思いの丈を吐き続ける。
話の筋道が整理されておらず、二転三転しながら聞かされるものだから、橘の目が回る。
「おまたせいたしました」
その声とともに、水滴のついたグラスを二つテーブルに置く店員。
注文したドリンクが運び込まれてきたことで、おむらいすの話が一度中断される。こんな形で店員に感謝する日が来るとは思わなかった。
ストローを使わずにオレンジジュースを流し込んだおむらいすは、再びそのお喋りな口を休ませることなく動かす。
「音楽系の仕事につきたかったんですけど専門学校出てもなかなか就職には繋がらないんですよ。同級生の中でもその道に進んだ人間の方が少ないんじゃないかな。僕も例にもれず普通のサラリーマンしてるんですけどやっぱり曲を作るのは好きなわけで。仕事終わりと休みの時間はほとんど作ってます。まあ言うなればライフワークってやつですかね」
「へぇ、そうなんですね」
「まあライフワークって言うと大げさか。でも趣味って言うと軽く聞こえるし。橘さんは趣味ありますか?」
「趣味は――」
「って急に親しくなり過ぎか。よく言われるんですよ僕。距離が近いとか距離を詰めるのが早いとか。自分としては全然そんなことないんですけどそう見えるんですかね? あ、でね、曲作りに関してなんですけど、自分としては悪くないと思うんですけどなかなかバズらなくて悔しいなーと思うわけですよ」
――……こいつマジでうるせぇな。絶対友達になれないタイプだ。
こちらが依頼する立場であり、あまり下手なことは言えないが、そろそろしびれが切れてくる。このまま相手のペースに合わせていては、時間がいくらあっても足らない。こういう相手には、多少強引にでも話を進める必要がある。そう判断し、橘は対応をあらためることにした。
「おむらいすさん。わかりました。ありがとうございます。そろそろビジネスの話をしましょう。単刀直入に言います。曲をください。権利関係も含めて五万円で買わせてください」
「五万円ですか。こういう相場ってどれぐらいなんでしょうか。一曲あたりどれぐらいなんでしょう。ちょっと調べてみてもいいですか? いや安いって言ってるわけじゃないですよ? ただ相場を知っていた方が話はスムーズだと思いますし純粋な好奇心というかなんというか」
「ああ、おむらいすさん。勘違いしてます。一曲じゃないです。五曲で五万円です」
「え?」
今日初めておむらいすの口が止まる。
面食らった表情で、目をパチパチと開閉している。
「いやさすがにそれは安いんじゃないですか。相場知らないですけど権利込みで五万円って多分あり得ない金額だと思うんですけど。仮に相場が五万なら僕は受けられないですね。なんというかもう少し、いやらしい話ですけど値段を上げてもらわないと割に合わないですね」
能天気そうに、ぺちゃくちゃ喋っていたおむらいすの表情に影が落ちている。喜怒哀楽がわかりやすい男であり、あからさまに不機嫌な顔つきだった。
だが橘は動じない。
ここからが橘の仕事だ。
「安いかもしれないですね。ただ、ご用意できる金額はそれ以上ありません」
「じゃあこの話はなしということで」
「どうしてですか?」
橘の神経を逆撫でするかのような発言に、おむらいすは顔を赤くする。
「どうしてですか? いやあなた失礼ですよ。僕のこと馬鹿にしてますか? クリエイターが曲を作る大変さをわかっていないんでしょうね。一曲作ることがどれだけ大変か。時間も労力もかけて魂を込めて作ってるんですよ。言ってしまえば我が子のようなものです。それを譲ってくださいと言いながらお金は払わないって完全に馬鹿にしてますよね」
唾を飛ばしながら批難するおむらいす。
鼻息が荒く、興奮した様子だ。
敵意に近い感情を向けられながらも、橘はなおも平静を貫く。そしてゆっくりと言葉を紡ぐ。
「曲を作る苦労がわかりますだなんて俺には言えませんよ。だって作れないんだから。だからこうして依頼しています。でも作れないからって想像が働かないわけじゃない。どれだけの努力のもとに成り立っているかは想像ができます。しかもあなたは仕事をしながら作ってるんですよね? 時には寝る間も惜しんで命を削って、その結晶が作品でしょう。その魂を感じたからこそ、俺はあなたに連絡しました。馬鹿にしているわけないですよ。あなたの方こそ俺の覚悟をなめないでください」
「なら相応の対価を支払うのがすじってもんじゃないですか。それを――」
「おむらいすさん。あなたを信用しているから本当のことを言いましょう。俺には十分な資金がありません。提示した五万円もなけなしのお金です。馬鹿にしていると思われても仕方ありません。それでも這い上がろうと必死です。あなたの曲からは俺と似たものを感じました。這い上がろうとする意思、誰かに認められたいという強い気持ち、自分と似たものを感じたからこそ惹かれたんだと思います。だから恥をしのんでこうして交渉に来ました」
「……虫がいいですよ。お金がないならそれに見合った曲数にするべきです。一曲ぐらないなら――」
「俺は欲張りなんですよ。アイドルプロジェクトを絶対に成功させるつもりです。そのためには一曲じゃ足らない。あなたの力を貸してほしい」
「むちゃくちゃ言わないでください。権利含めて五曲を五万で譲れって、カツアゲみたいなもんですよ。僕になんのメリットがあるんですか」
「メリットはあります」
「は?」
「俺のグループは必ず売れます。我が子なんですよね。陽の目を浴びなくていいんですか? 今のままやっても限界を感じてるんじゃないですか? このままやっても注目を浴びることはないと薄々気付いているんじゃないですか? なら俺がやる。俺があなたの曲を世間に知らしめる。あなたの価値を証明する。それがメリットです」
橘は確信めいた口調で、堂々と言ってのけた。
相手を見据える橘の目は一切ブレることがなく、照明の光を反射する。
根拠のない自信。それは橘が持つ唯一の交渉カードだった。
一方のおむらいすは、真っ直ぐな視線と感情を向けられ、視線が足元に落ちる。揺らぎが感じられる所作だった。
おむらいすはしばらく黙ったあと、観念したかのように声を振り絞る。
「……二曲なら」
「四曲お願いします」」
「いや、だから二曲で」
「じゃあ三曲でお願いします」
「……三曲、か。んー……わかりましたよ。はぁ……」
「ありがとうございます!」
橘はその場で立ち上がり、深々と頭を下げた。
――よっし……!
表面上は満面の笑みを浮かべながら、内心では生き残れたことに安堵していた。
彼の承認欲求をくすぐるのが狙いだった。
おむらいすは無名ながら、細々と活動を続けていた。十分な評価を得ずに、注目を浴びないながらも、長期に渡って継続していることがSNSから見て取れた。承認欲求が強いことは想像がついた。また、SNSを見る限り、お金に困っている様子はなく、承認欲求を刺激できるかが勝負の鍵だと踏んでいた。
狙いは上手く行った。
加賀の時とは違い、曲の提供を約束させることに成功した。
金額が妥当ではないことなど理解している。それでも、ない袖は振れない。
安堵に胸をなで下ろしたのとちょうど同じ頃、おむらいすが注文したナポリタンがテーブルに運ばれてきた。
おむらいすは麺を箸で豪快にすする。ナポリタンを頬張りながら、そのお喋りな口を開く。
「まったく、あなたは強引な人ですね。でもそのハングリー精神は見習うところがありますね。まあアイドルに曲を提供するのはやぶさかじゃないです。僕はこう見えてアイドルには造詣が深いですからね。ただ納期は少し待ってください。三曲となると簡単には行きませんからね」
「え? わざわざ作ってくれるんですか?」
「なにを言ってるんですか。当然ですよ。逆にどういうつもりだったんですか?」
「いや既存曲をいただけるのかと」
「いやいや過去の作品は過去の感情で作ったものですからあなた方にはマッチしませんよ。やるとなったら手は抜かない主義ですからそんな手抜きはしません」
ふふん、と不敵に笑うおむらいす。
真摯に向き合おうとしてくれていることはありがたいが、制作を待っている時間はない。今こうしている間にも時間は流れていく。いつまでもメンバーを待たせてはいられない。彼女達の意欲を維持できなければ、計画は頓挫してしまう。
「ちょっと待ってください。あなたの手をそこまで煩わせるわけにはいきません。既存の曲を聞いて俺は惹かれたんです。うちのメンバーのイメージとピッタリだって」
「手を煩わせるってなにを今さら。構いませんよ。やると言ったらやる男ですから僕は。既存曲ではなく新曲を準備します」
「じゃ、じゃあせめて一曲だけ新曲を作っていただけませんか?」
「いやいや三曲作りますよ」
先ほどとは全く逆の展開。
曲を減らしたがる橘と、新曲を誓うおむらいす。
クリエイターとしての意地なのか、今回はなかなか折れてくれない。だが折れられないのは橘も一緒だ。
「お願いします。俺、おむらいすさんの『トロピカルジャングル』が好きなんです。音楽のこととかわかりませんけど、すごい聴きやすかったです。あの歌をメンバーに歌わせてやりたいんです。皆にもあの曲の良さを知ってもらいたいんです。お願いします!」
「んー、そこまで言うなら、あ、でもな、どうしようかなー。わかりました。しょうがないですね。あれは若気の至りのような作品なので、あんまり自信作ではなくて本当は嫌なんですけど、橘さんがそうまで言うならまあ使ってもらっていいですよ。ただ、他の二曲は作ります」
「ありがとうございます! 制作してくれることも合わせてお礼を言わせてください」
力技で押し通し、橘は目一杯の感謝を伝えた。
なんとか活動の目処が立った。
アイドルとして舞台に立つ最低限の資格を手に入れた。
この曲でアイドル活動を始動させる。
そんな決意を抱こうとするが、一息つく間もなく。
「それじゃあ面談はいつにしましょうか?」
「面談? えーっと、誰とですか?」
言葉の意味がわからず、橘は問い返した。
「なに言ってるんですか僕とそのアイドル達とですよ。曲を作るんですから人となりも知らずにできるわけないじゃないですか。橘さんが本気なように僕もやるとなったら本気で作りますよ。いや別に会いたくて言ってるわけじゃないですよ。いやまあ別に会いたくないわけではないですけど」
ナポリタンを咀嚼しながら、おむらいすは持論を述べた。途中からはモゴモゴと口ごもっており、バツの悪さが感じられた。
――それはまずい……。
橘の背筋に冷たい汗が伝う。
感じていた手応えが、嫌な焦りに色を変える。
橘はその要求を飲めない。加賀を騙るのだから、決して原作者を会わせるわけにはいない。
「ありがたい申し出なんですが、メンバーと会うのは控えていただきたいです。制作者を知ることでの先入観を与えたくないんです。彼女達には、曲そのものと向き合い、それを自分のものとして披露してもらいたいんです」
必死の思いで体裁を整えて言い訳を紡ぐ。
おむらいすの麺をすする箸が止まる。なんとも言い難い表情で、橘をじっとりと見つめるおむらいす。
――ダメか……?
「なるほどなるほど。確かにそういう考え方もできますね。さすがプロデューサーさんだ。その考えは良いかもしれません。そうですね。そうしましょうか。会えなくて残念、とかは思ってないんですけど、会ってみたかったなー、とか言っちゃって」
歯切れが悪かったが、こちらの言い分を飲み込み、再び麺をすするおむらいす。
――よし、耐えた。
我ながら綱渡りの計画で精神がすり減っていく。
「すみません。せっかくのありがたい申し出を断ってしまって」
「いえいえそういうコンセプトなら仕方ありません。その代わり、メンバーのことを聞かせてください」
「メンバーのことをですか」
そう言って橘は思いを巡らせる。
集めたメンバーは、決して天性の素質を持った候補生達ではない。
遠慮がちで垢抜けないフリーター。勝ち気で裏表のあるキャバクラ嬢。就活に苦労するありふれた大学生。橘が集めた三人を客観視するならこうだ。必ず売れる、と豪語した手前、ありのままを話すのは躊躇ってしまう。おむらいすに見限られれば、契約自体なくなってしまう。
「……」
橘は言葉に詰まる。
偽るべきかどうか。
頭の中で算盤を弾いて、どちらが有益かを計算する。
やがて答えが出る。
「……そうですね。メンバーは三人いるんですけど、一人目は17歳です。遠慮がちで気をつかってばっかりの奴です。でも芯はあって、思いやりのある良い子です。見た目はまだ垢抜けてないんですけど、発展途上って感じで、これから先を楽しみにさせてくれるメンバーです」
嘘をつくべきだと分かっていたのに、結局、嘘が出てこなかった。
「二人目は20歳のキャバ嬢です。一人目と違って華があるし外面も良いんですけど、こいつがまた気が強くて厄介な存在で。ちょっとでも油断したらいちいち突っかかってくる面倒な奴です。でも誰よりも頼りになる存在です。三人目は就活中の大学生です。まだ知り合って間もないんでよく知らないんですけど、就活を中断してまで参加してくれた覚悟のある奴です。ダンスやってたらしいんで、そのパフォーマンスに期待しています。写真見ます? ほら、なかなか個性的なメンバーでしょ」
どちらにメリットがあるのか。
嘘をついた方がいい。そう結論は出ていた。
たまたま拾っただけのメンバーだ。信頼関係や特別な感情があると言えば嘘になる。それは相手側も同様だろう。まだ形だけの仲間だ。
それでも、橘は三人について嘘偽りなく語った。
――笑われて終わりかもな。
おむらいすはナポリタンを食べ終え、テーブルに置かれたナプキンで口を拭った。
「なるほど。いいですね。うん、面白い」
それは意外な反応。
そして初めての反応。
「良いじゃないですか。バラバラで一貫性がないのが逆に面白い。インスピレーションがわいてきました。これは名作の予感がします」
「――笑わないんですか?」
「え? なにをですか?」
「無理だって笑わないんですか?」
「笑いませんよ失敬な。それに、あなただって僕を笑わなかったじゃないですか」
「え?」
「全然バズってない僕の曲を聴いて声をかけたくれたわけですよね。いや最近は冷笑だなんだと言いますけどホントくそくらえですよ。夢を見てなにが悪いのかと。橘さん、僕の分まで頼みますよ」
「……はい、必ずや」
感情を上手く言葉にできなかった。
思わず目を背けてしまった。
利用するために選んだ相手だったのに、その相手は初めて自分の選択を肯定してくれた。そして夢まで託してきた。
嘘ばかりだったわけではない。
橘自身はなんのスキルもなく、できないからこそ、ゼロからなにかを生み出す人への敬意は少なからずある。苦労は想像できることであり、買い叩くことへの罪悪感もあった。
胸がズキンと痛む。
――それでも。
今さら後戻りはできない。本当に売れて証明すればいい。そうすることが一番の贖罪だ。
――売れさえすれば俺もこいつも肯定できる。
そう、売れさえすれば。
不確かな計画は、一歩だけ前進した。




