3話 売れる見込み
曲は手に入った。
次は練習場所だ。活動基盤を整える必要がある。
クリエイターの捜索と並行して情報収集をしていたが、その結果わかったことは、資金が全く足りないということだった。
レンタルスタジオは安く見積もっても月数万円はかかる。今の予算では数ヶ月で破産する。
夜中の公園や高架下なら値段はかからないが、それは現実的ではない。
集めたメンバーは、あくまでも橘主導で参加しただけであり、本気度はわからない。過酷な下積みに耐えうる熱量があるのかどうか。橘にとって彼女達は代替が利かないが、彼女達にとっての橘がそれに値するのかどうか。
それに、橘は加賀の名前を騙る。小さくない嘘を抱えており、これ以上の歪を増やしたくなかった。少しでも不信感を抱かせたくなかった。
要するに、繋ぎ止める自信が無かった。
宛がなければ、公園での練習を選ばざるを得なかった。
ただ、一つだけ宛があった。
その選択肢を取ることは気が進まないが、我儘を言える状況ではない。
橘はスマホをポケットから取り出し、電話帳を開く。
電話帳に登録された、ある人物の画面の前で指を止めた。スマホを握る手に力が入る。
感情を優先していいなら、橘はその人物に電話をかけたくなかった。ちっぽけなプライドがそれを拒絶する。だがプライドなど一円にもならないことは、嫌というほど痛感してきた。
――くそ。
心の中でそう呟きながら、橘はある人物に連絡を入れる。
「もしもし」
通話口から聞こえてくるのは低い声。
愛想は皆無で、頼み事をする気が失せる淡白な響き。
聞くだけで胸の中に嫌な感情がわき、思わず顔をしかめてしまった。
「どうも! 加賀さんお久しぶりです! 俺です!」
そう、電話口の相手は加賀だった。
橘の目論見を打ち砕いた男だ。
加賀は非情な宣告をした際、練習場なら貸してやると言っていた。
本音を言えば、恨みの感情があり、加賀を頼ることなどしたくはない。頼らない選択肢をとれないことが、なによりも歯がゆかった。
「この間はお時間とっていただきありがとうございました。それと、なんか熱くなっちゃってすみませんでした。冷静に考えると加賀さんの言い分がごもっともでした。反省してます。でね、それはそうと、あの時言ってましたよね? 練習場を格安で貸してくれるって。あの件まだ生きてます? ぜひお借りしたいなーと思って連絡した次第です」
橘は必死にこれまで通りを演じた。
調子のいい男として、加賀に相談を投げかけた。
虚勢を張り、自分はへこたれていないと誇示したかった。
「そうか。わかった。平日の週三回まで、一回三時間なら貸してやる」
「え? いいんですか? ありがとうございます! 助かります!」
橘の馴れ馴れしい態度など意に介さず、加賀はいつも通り、淡白に事実のみを伝えた。
そういう態度が気に食わないのだが、橘は苛立ちを言葉には出さず、表情だけに留めて感謝を伝えた。
「ただし条件がある。利用できる時間帯はこちらが決める。お前の要望は聞かない。空いている枠を教えてやるから調整するんだな。それと、使用後は必ず原状復帰しろ」
「了解しました! 使う前より美しくしときますんでお任せあれ。ちなみに……おいくらぐらいでしょうか?」
「一万円でいい」
恐る恐る聞いた質問に対し、ぶっきらぼうに答えた加賀。
それは破格の提示だった。
冷淡な加賀が発したものとは思えず、聞き間違えたのかと疑ってしまう。
思ってもみない提案に、反応が遅れた橘に対して加賀が続ける。
「ああ、そうだ。あともう一つ条件がある。期限は一年。来年の六月までだ。それ以降は正規料金を払ってもらう」
「承知しました! ありがとうございます!」
威勢のいい声で橘は感謝を伝えた。
加賀への恨みつらみは消えないが、安く練習場を確保できたことは素直に喜ばしいことだった。
期限を設けられたが、一年後に正規料金を払えないようなら、その前に破綻している。橘にとっては、あってないような条件だった。
「売れる見込みは立ったのか?」
労せず練習場を確保できたことで浮かれそうになる橘に、冷や水をかけたのは他ならぬ加賀だった。
いつも通りの淡白な問いかけだったが、今の橘には、嘲られているように聞こえた。
「……俺が売ってやる。今にあんたを後悔させてやる」
「そうか。それは楽しみだ。空き枠の一覧は送る。希望日があれば送ってこい。それじゃあな」
そう言って電話は切れ、耳に残るのは単調な機械音。
――わざわざ嫌味を言わないと気がすまないのかあいつは。ちょっとぐらい感謝してやろうと思ったのに、そんな気もなくなった。
本来、恨み言を言われる筋合いはないのだろうが、それでもやはり気に障る。道理ではなく感情が先立つ。
――まあいい。
腹の虫は治まらないが、いつまでも根に持っていても仕方がない。橘には時間がない。無理矢理頭を切り替え、次の行動に移った。




