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『勇者が鬱になりまして』  作者: マコ


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『継なぐ』第六節 異質

第六節 異質


 砦の中は、先ほどまでの混乱が嘘だったかのように、少しずつ落ち着きを取り戻し始めていた。


 運び込まれた病人は壁際へ寝かされ、盗賊たちは水を運び、毛布を敷き、足りないものを探して忙しく行き交っている。誰かが命令を下しているわけではない。それでも皆が周囲を見渡し、自分にできることを見つけては自然と身体を動かしていた。


 ガルドも、その輪の中にいた。


 病人を抱え、水桶を受け取り、荷台を押さえ、空になれば再び井戸へ向かう。盗賊の頭として振る舞うのではなく、一人の人間として目の前の仕事を黙々と片づけていく。その姿を見て、盗賊たちもまた言葉を交わすことなく、それぞれの役目を果たしていた。


 ダンは荷馬車の脇へしゃがみ込み、運ばれてきた病人を順に見回す。


 その隣でノアは脈を取り、熱を測り、呼吸を確かめながら、静かな表情のまま一人ひとりの容態を診ていた。


 「どうだ。」


 ダンの問いに、ノアはゆっくり首を横へ振る。


 「分かりません。」


 それだけの返事だったが、その一言には戸惑いが滲んでいた。


 ノアはもう一人の病人へ手を添えながら続ける。


 「皆さん熱はあります。身体も思うように動きません。でも、それだけです。同じような症状に見えるのに、進み方がまったく違います。」


 高熱のまま会話を続ける老人がいる。


 熱はそれほど高くないのに立ち上がれなくなった若者もいる。


 薬草が効く者もいれば、まるで反応しない者もいる。


 「一つの病では説明できません。」


 その言葉を聞き、部屋の空気はわずかに重くなった。


 レオは病人たちを見回しながら、ぽつりと漏らす。


 「……こんなの、初めてだ。」


 ダンは静かに頷いた。


 「俺もだ。」


 少しだけ目を閉じ、長い傭兵時代を思い返すように言葉を続ける。


 「俺たちがこれまで相手にしてきた魔物は、生き物だった。」


 レオは黙って耳を傾ける。


 「腹が減れば襲う。縄張りへ入れば牙を剥く。子を守るためなら命を懸ける。危険ではあっても、そこには生き物としての理があった。」


 ダンは砦の奥へ目を向ける。


 「だが、これは違う。」


 短い一言だった。


 それだけで、その場にいた誰もが言葉を失う。


 ミアだけは、そんな空気とは無縁だった。


 老婆の前へしゃがみ込み、小さな椀を差し出す。


 「おみず。」


 老婆は震える手で受け取り、ゆっくりと一口飲んで微笑んだ。


 「ありがとう。」


 ミアも嬉しそうに笑う。


 「どういたしまして。」


 その幼い声だけが、張りつめた砦の中へ小さな温もりを残していた。


 アルトは、その間も砦の奥を見つめ続けていた。


 暗い通路が奥へ伸びている。


 誰もいない。


 少なくとも、そう見える。


 それでも胸の奥では、そこから目を離してはいけないという感覚だけが、静かに膨らみ続けていた。


 外では風が草を揺らしている。


 だが、その風は砦へ入った途端、音もなく途切れてしまう。


 鳥のさえずりも届かない。


 虫の羽音さえ聞こえない。


 世界が、砦の入口で息を潜めている。


 ダンはアルトの横顔を見つめた。


 勇者と呼ばれた男が何を感じているのか、自分には分からない。


 それでも、その視線の先には、自分たちにはまだ見えていない何かがあるのだと、不思議なくらい自然に思えた。


 「アルト。」


 静かに呼び掛ける。


 アルトは振り向かない。


 やがて、小さく唇が動いた。


 「……いる。」


 囁くような声だった。


 誰の目にも何も映ってはいない。


 それでも、その一言を聞いた全員が、言葉を交わすことなく砦の奥へ視線を向ける。


 暗闇は何も語らない。


 だが、その沈黙だけが、何かの訪れを静かに告げていた。

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