『交差』第五節 飢え
第五節
値札は風に揺れていた。
揺れるたびに、軒先から下がった薬草の影がその上を横切り、白露草の細い葉がかすかに擦れ合う音を立てる。四軒目にしてようやく見つかった薬草は手を伸ばせば届く場所にあり、その量も十分だった。それなのに、ガルドはすぐには手を伸ばさなかった。
店主は何も言わない。
値段も口にせず、買えとも言わず、ただ店先に立っている。客が決めるのを待つ顔だった。市場にはそういう店主がいる。買う客もいれば諦める客もいる。そのどちらも見慣れている顔だった。
市場の喧騒は絶えず流れていた。
鍛冶屋の槌が鳴り、果物屋は客を呼び、荷車は石畳を軋ませながら通り過ぎていく。どこかで子どもが笑い、別の場所では値段を巡る言い合いも聞こえていた。
店の隅では、別の客が薬草を選んでいる。
店主が品を包み、客が代金を払い、それを受け取って立ち去る。
ただそれだけのやり取りだった。
ただそれだけのことが、妙に遠かった。
「足りねぇな。」
バルクが言った。
ガルドは答えない。
足りないことなど二人とも知っている。
白露草は足りている。
足りないのは、それを持ち帰るための金だった。
風が吹く。
薬草が揺れる。
値札も揺れる。
その様子を眺めているうちに、ガルドは自分の視線が白露草から店先へ、店先から通りへと移っていることに気付いた。
荷車が一台。
客が数人。
露店の男が一人。
何の変哲もない昼の市場だった。
それでも目は勝手に動く。
どこが空いているか。
どこを通れば人波を抜けられるか。
考えるより先に見えてしまう。
長い間そうして生きてきたのだから、今さら止めようもなかった。
「できる。」
バルクが小さく言った。
聞こえないふりもできる声だった。
「今なら。」
市場は豊かだった。
肉を焼く匂いが漂い、果物は籠から溢れそうなほど積まれ、色鮮やかな布が風を受けて揺れている。欲しいものを選び、金を払い、それを持ち帰る人々が通りを行き交い、その流れは途切れることがない。
ガルドは白露草を見る。
手を伸ばせば届く。
だが、その距離は思ったより遠かった。
市場のどこかで木を削る音がした。
人の声に紛れて聞こえ、荷車の音に消され、また聞こえる。
誰かが何かを作っている。
それだけだった。
店主はまだ待っている。
バルクも黙る。
二人とも動かない。
店の前を荷車が通り過ぎ、客が半歩だけ道を譲り、その流れはすぐ元へ戻った。市場は変わらず動いているのに、この店先だけが流れから取り残されたように静かだった。
やがてガルドは息を吐いた。
短く。
それだけだった。
「行くぞ。」
バルクが顔を上げる。
「何。」
「次だ。」
「次なんかねぇ。」
ガルドは答えない。
踵を返し、人波の方へ歩き出す。
鍛冶屋の槌が鳴る。
果物屋が客を呼ぶ。
誰かが笑う。
市場の音が再び近づいてくる。
二歩。
三歩。
歩いたところで、
「待て。」
後ろから声が飛んだ。
ガルドは足を止める。
振り返ると、店主が初めてこちらを見ていた。
顔はさっきと変わらない。
客を待つ店主の顔だった。
風が吹く。
値札が揺れる。
薬草が揺れる。
市場は相変わらず賑わっていた。




