『交差』第四節 足りない
第四節
一軒目の薬屋は市場の入口に近い場所にあった。
軒先には乾燥した薬草が吊るされ、棚には大小さまざまな瓶が隙間なく並んでいる。客の出入りも絶えず、店主は秤を動かしながら注文を捌き、その合間にようやくガルドたちの方へ目を向けた。
老婆から渡された紙を差し出すと、店主はそれを受け取り、一度だけ眉を寄せた。
何かを思い出そうとするような顔だった。
そのまま店の奥へ消える。
ガルドは待った。
店先では別の客が薬草の値段を聞いている。
旅人らしい男が腹痛に効く薬を探している。
荷車の車輪が石畳を軋ませ、その音の上を果物屋の呼び声が滑っていく。
市場は休まず動いていた。
しばらくして戻ってきた店主は、紙を返しながら首を横へ振った。
「先週ならあった。」
申し訳なさそうでもなく、冷たくもない。
ただ事実を口にしただけの声だった。
ガルドは紙を受け取る。
それで話は終わった。
市場では、あるものはあるし、ないものはない。
それは天気と少し似ていた。
晴れる日もあれば雨の日もある。
誰のせいでもなく、誰に文句を言っても変わらない。
店を出ると、市場の音がまた戻ってきた。
紙を懐へしまう。
紙は少し柔らかくなっていた。
何度も開き、何度も畳まれたせいだろう。
バルクが肩を竦める。
「次だ。」
まだ二人とも焦ってはいなかった。
市場は広い。
店は多い。
そう思っていた。
二軒目には白露草があった。
だが、店主が持ってきた包みを見た瞬間、それだけでは足りないことが分かった。
必要な量の半分にも届かない。
店主は包みを持ったまま立っている。
まるで持ち方を変えれば中身が増えるとでも思っているようだった。
もちろん増えない。
だから最後には「これだけだ」と言うしかなかった。
ガルドは包みを見る。
店主は視線を逸らす。
棚を見る。
客を見る。
またガルドを見る。
誰も悪くない。
ただ足りない。
それだけだった。
店を出る。
昼が近づいている。
肉を焼く匂いが漂い、客を呼ぶ声は朝より大きくなっていた。荷を抱えた男たちが行き交い、その間を縫うように子どもが走り抜けていく。
「買っとくか。」
バルクが言った。
ガルドは首を振る。
半分では足りない。
足りないものを持ち帰れば、足りなかったという結果だけが残る。
市場は賑やかだった。
その賑やかさの中で、必要なものだけが見つからない。
三軒目は市場の奥にあった。
古びた看板が風に揺れている。
老婆の紙にも印が付いていた。
だから期待した。
期待していることに気付いたのは、店主が首を振った後だった。
「五日後だ。」
市場の喧騒は変わらない。
鍛冶屋の槌が鳴る。
誰かが値段を叫ぶ。
笑い声が聞こえる。
五日という数字だけが、その流れに乗らなかった。
「確かか。」
「荷が来ればな。」
店主は苦笑した。
その先は聞かなかった。
聞く必要もなかった。
店を出る。
バルクは何も言わない。
ただ三度続けて舌打ちをした。
その音だけが妙に耳へ残った。
市場は朝より賑わっている。
人も増えた。
荷も増えた。
声も増えた。
市場は少しずつ豊かになっていくのに、老婆の紙に付いた印だけが少しずつ減っていった。
ガルドは歩く。
人波を抜ける。
荷車を避ける。
呼び込みの声を聞き流しながら進んでいく。
老婆の紙には、あと一つだけ印が残っていた。
四軒目だった。
革細工の店と古着屋の間に挟まれた小さな薬屋だった。
軒先には薬草が束になって吊るされている。
その中に白露草があった。
見つけた瞬間に分かった。
量も足りる。
必要な分だけではない。
余るほどある。
胸の奥で張り詰めていたものが、ほんの少しだけ緩む。
だが、その緩みは長く続かなかった。
値札が見えたからだった。
高い。
相場を知らなくても分かる。
だがガルドには相場も分かっていた。
店主は何も言わない。
ただガルドを見る。
薬を見る。
そして、もう一度ガルドを見る。
客を待つ店主の顔だった。
それ以上にも見えたし、それ以下にも見えた。
風が吹く。
軒先の薬草が揺れる。
その影が値札の上を横切る。
後ろでバルクが短く笑った。
乾いた笑いだった。
「なるほどな。」
店主は笑わない。
ガルドも何も言わない。
市場の喧騒だけが遠く流れている。
値札は風に揺れていた。
今度は、さっきより少し長く。




