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『勇者が鬱になりまして』  作者: マコ


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『帰りたくない場所』

第十四話 帰りたくない場所


風が吹いていた。


峠の風だった。


山の上から吹き下ろしてくる冷たい風は、昼だというのに少し肌寒い。


誰も動かなかった。


ガルド達も。


ダンも。


アルト達も。


まるで誰かが時間だけを置き忘れていったみたいだった。


若い盗賊は、まだミアから受け取ったパンを握っていた。


少し潰れている。


温かさはもう無い。


それでも食べなかった。


食べるより先に考えることがあるらしかった。


ミアが不思議そうに首を傾げる。


「食べないの?」


若い盗賊は困った顔をした。


言葉を探している。


だが見つからない。


代わりにガルドが答えた。


「弟がいる」


それだけだった。


若い盗賊は目を逸らした。


恥ずかしかったのかもしれない。


あるいは。


本当は自分が食べたいと思っていることが。


恥ずかしかったのかもしれない。


ミアは頷いた。


「そっか」


それで納得したらしい。


もう何も聞かなかった。



その時だった。


遠くで鳥が鳴いた。


鋭い声だった。


谷の向こうから響いてくる。


一度。


二度。


少し間を置いて三度。


ガルドの表情が変わった。


アルトはそれを見た。


さっきまでの顔ではない。


ダンと昔話をしていた男の顔でもない。


若い盗賊の腹の音を笑っていた顔でもない。


もっと硬い顔だった。


何かを覚悟した人間の顔だった。


「合図か」


ダンが言う。


ガルドは答えない。


答えなくても分かった。



後ろにいた男達も立ち上がる。


年寄りの男。


片目の男。


痩せた男。


皆同じ方向を見ていた。


誰も嬉しそうではない。


かといって嫌そうでもない。


諦めた人間の顔だった。


レオが眉をひそめる。


「どこか行くのか」


ガルドは少し笑った。


「帰る」


そう言った。


だが。


その言葉に温かさは無かった。


家へ帰る人間の顔ではなかった。



「帰る場所あるのか」


ダンが聞く。


ガルドは肩を竦める。


「あるにはある」


そして少しだけ空を見る。


雲が流れていた。


ゆっくり。


とてもゆっくり。


「帰りたい場所じゃないがな」


風が吹く。


誰も喋らない。



レオは理解できなかった。


「行かなきゃいいだろ」


思ったことをそのまま言う。


ガルドは笑った。


馬鹿にした笑いではなかった。


昔の自分を見ているような笑いだった。


「そうだな」


そう言ってから。


少しだけ考える。


「一人ならな」


その一言で終わった。


しかしレオは黙った。


その先が分かったからだ。


若い盗賊。


年寄り。


片目の男。


彼らを見る。


誰もガルドを見ていない。


それでも。


誰もガルドから離れていない。



ノアは黙っていた。


ただ見ていた。


ガルドではない。


仲間達を。


若い盗賊はパンを見ている。


年寄りは杖を握っている。


片目の男は壊れた革靴を気にしている。


誰も自由そうではなかった。


それなのに。


誰も逃げようとしていない。


ノアはその事実だけを頭の中へ置いた。


結論は出さない。


まだ早い。



ミアが犬を撫でている。


茶色い犬だった。


片耳が欠けている。


犬は気持ちよさそうに目を閉じていた。


「この子も帰るの?」


ガルドが頷く。


「帰る」


「帰りたいの?」


ガルドは少し考えた。


そして犬を見る。


犬は尻尾を振った。


「さあな」


そう言った。


「でも待ってる奴はいる」


ミアはまた頷いた。


それで十分だったらしい。



別れはあっけなかった。


握手も無い。


約束も無い。


再会を誓うことも無い。


ガルド達は歩き出す。


ただそれだけだった。


峠の向こうへ。


風の向こうへ。


もう戻らない人間達みたいに。



その途中だった。


若い盗賊が立ち止まる。


懐からパンを取り出す。


半分に割る。


そして年寄りへ渡した。


年寄りは何も言わない。


ただ受け取る。


二人とも笑わない。


礼も言わない。


それが当たり前だからだ。


ノアだけがそれを見ていた。


最後まで。



やがて。


ガルド達の姿は見えなくなった。


風だけが残った。


峠の風だった。


少し冷たい。


少し寂しい。


どこか人に似ている風だった。



「昔からそうなんだ」


ダンが言った。


誰も聞いていないのに。


いや。


誰もが聞きたかったのかもしれない。


ダンはガルド達が消えた方角を見ていた。


「昔から」


もう一度言う。


その顔は。


どこか懐かしかった。


ミアが言った。


同じ顔。


きっとこういう顔なのだろうとアルトは思った。



再び荷馬車が動き出す。


車輪が軋む。


馬が歩く。


風が吹く。


前へ進む者達。


後ろへ戻る者達。


同じ峠を歩いているはずなのに。


向かう場所は違った。


アルトは振り返る。


もう誰もいない。


それでも。


何故だろう。


ガルドの背中だけが。


妙に心に残っていた。


勇者だった頃。


何度も見た背中に似ていたからかもしれない。


守るために戦う人間の背中は。


時々。


救われる側よりずっと苦しそうに見える。

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