序/六 水がこぼれた
見て、すぐに分かった。
目の前にいる『それ』が、人じゃなく、わたしに近いモノだって。
『それ』は、わたしと佐堂さんの間くらいの高さで、くらい『あおいろのふく』を着て、見ているとなんだか、きもちがひゅっとなるようなモノだった。
佐堂さんのようすを見る。
『それ』のことをずっと見て、見たことがないようなカオをしてた。
わたしとおなじように、『アレはダメだ』って思ったみたい。
「冗談だろ……。何の用だよ、化物が…!」
気づいたら、佐堂さんの体は水だらけだった。――これはたしか、『あせ』。
さっきまではそんなことなかったから、たくさん動いたせいじゃない。
『それ』を見たせいで、そうなった。
見ただけで体がおかしくなってるのに、佐堂さんは『えがお』で話した。
そんな佐堂さんを見て、『それ』も『えがお』で話してくる。
「俺達が見えてんなら、察しがつくんじャねェか?『それ』、拾いに来たんだ。」
わたしにゆびを向けて、そんなことを言う。
よく分からないけど、わたしに会いに来たみたい。
「物みたいに言いやがって…。悪いが、こいつは俺が預かってるんだ。それが用なら、帰れよ。」
つよくことばを返して話をやめようとする佐堂さん。
でも、『それ』は、かわらない『えがお』で、
「なんだ、分かってんじゃねぇか。そうだ…!お前は『それ』を、預かってるだけだ。本来、人間が関わるべきモノじゃない。だから、寄越せよ。」
「その口ぶり…ただの似た存在じゃねぇのか…?テメェ、緋乃の―――。」
佐堂さんは、すこしだけわたしの方を見て、
「…緋乃。少し下がってろ。それと、これから起きることは、あまり見なくていい。少なくとも今、知る必要はない。」
そんなことばを、言った。でも、さっきからずっと、わたしはうごけなくて。
佐堂さんは、何かを知ってるみたいだけど、わたしには、今の話がよく分からなくて。
まるで、佐堂さんに会う前みたいに、ただ、目の前のことをながめてた。
「何だよ。戦うつもりか?俺相手に?」
「――ああ。想定外か?化物。」
「あァ、想定外だ。そんなもん意味が無いぜ?人間…!」
ずっと『えがお』のままの『それ』に、わたしは、きもちがぐにゃぐにゃとしてる。
でも、佐堂さんは、さっきまでよりふつうのカオにもどってた。
そう思った、すぐ後。
佐堂さんが、わたしのとなりからきえた。
―――――――――――――――――
『それ』を目にした瞬間、男は理解した。
眼前の『それ』が、明確な脅威であることを。
まず、間違いなく人ではない。
この数日間、共に過ごした少女と同じ、本来、人には認識出来ない、超常の存在。
『それ』は、多少鍛えている程度の人間では、全く歯が立たない程に、戦闘能力が高いのだと直感する。
自信の表れか、害意を隠そうともしていない。
一目見ただけで、それだけの情報を理解したが、目的までは分からなかった。
が、『それ』が語った目的は、男にとって最悪の物だった。
『それ』の狙いは、傍らの少女だった。
言われた通りに少女を渡せば、男は助かるだろう。
だが、男にその選択は出来ない。それが出来るのなら、そもそも、少女に会いになど行かない。
男にとっては、自分が狙われている方が良かった。
そうであれば、まず少女を逃し、やれるだけの抵抗をするだけで良かった。
もし負けたとしても、話はそれで終わり。少女に危害が及ぶ可能性は、低かっただろう。
だが、狙われているのが少女であるのなら。
男は、決して負ける訳にはいかない。自分が負ければ、きっと少女はもう帰って来られない。
だから、どれほど勝算が低くとも、目の前の化物に勝たなくてはならない。
「――――!!」
覚悟を決め、男は攻撃を開始する。
力強く踏み込み、人間としては常軌を逸した速度で、対象との距離を詰める。
「おッ……!?」
十数メートル程の距離を、一秒と掛からず詰めてきた男に対し、化物は感嘆の声を漏らす。
明らかに人間に見える男の、人間とは思えない動きに、反応が遅れる。
あと一歩の距離に迫った所で、男は、隠し持っていた小さなナイフを右手に握る。
そのまま、すれ違い様に標的の首筋に向かって、勢い良く振るった。
「…っは!!」
狙い通り、ナイフは標的の首筋を綺麗になぞり、そこから、鮮やかな赤い液体が流れた。
走り抜けた先で即座に反転し、標的の方に向き直る。
(攻撃は通るな…。で、どう来る…?)
ナイフによる攻撃に効果があったことは、一先ずの安心材料にはなった。だが、まだ相手の実力を測れたとは言えない。
もしも、相手の攻撃性能が高すぎた場合は―――、
「ははッ!」
「…ばっ……ぁ!?」
化物が手をかざした瞬間、男の腹が右半分程、無くなった。
攻撃性能が高すぎた場合は―――、このように、防御や回避をする暇もなく、敗北するしかない。
『勝算が低くとも勝たなければならない』、など考えが甘かった。
勝算は、低いのではなく無かったのだ。
(……っき、しょう…!)
出会った時点で、結末は決まっていた。
男は、自らの力不足を嘆きながら地に伏した。
―――――――――――――――――
「――――――――――え。」
何が 起きてる のか よく 分から ない。
佐堂さんが 隣から 消え て すごく 早く 動 いて。
あいての 首を きった と 思った ら 佐堂さん の お腹が はんぶん 無くて。
赤い水 が たくさん こぼれ て。
頭が じょうずに 使えない。
気づいたら 佐堂さんの ところに 走ってた。
「……緋…乃…。」
わたしの なまえを よんでる。赤い水は とまらない。
ちがう これは 水じゃなくて 『ち』。知ってるはず 見たことがあるはず。
――――でも、こんなにたくさん見るのははじめて。
『ち』がたくさん出たら人は『しぬ』って、そう言ってた。
じゃあ、佐堂さんは『しぬ』――?
「――――!」
体中に、いやなかんじが、ながれた気がする。
ダメ。佐堂さんが『しぬ』のは、ダメ。
いなくなっちゃう。話せなくなっちゃう。『さみしく』なっちゃう。
どうにか、しなきゃ。
―――そうだ。
『あのばしょ』で見た『ち』を出してた人は、『きず』をふさいで『しょち』したら、『しゅうふくきのう』で元にもどるって言ってた。
どういう意味かは分からなかったけど、覚えてる。何かをすれば、元にもどせる。
なら、
「…佐堂さん、教えて……。教えて、くれたら、わたし……がんば、る…から……!『きず』をふさぐ、のは…どうしたら、いい…!?」
「――。」
教えてくれたら、きっと出来るはず。たくさんがんばれば、きっと、
「悪い、な…。致命傷の…治し方は、俺も…知らねぇや………。」
「――――ぁ。」
佐堂さんは、ぐにゃっとした『えがお』で知らないって言った。
しんじられなかった。
佐堂さんに知らないことがあったのが、じゃない。
佐堂さんがこのまま『しんじゃう』ことが、しんじられなかった。
だって、それはない。
やさしい佐堂さんが。会ったこともないわたしから、『さみしい』を無くすために話しにきてくれて、たくさんのことを教えてくれて、いっしょにいてくれた、佐堂さんが。
わたしのために、『しぬ』なんて――――。
「………わたしの、ため…?」
佐堂さんは、わたしのために、あのバケモノに向かっていった。
あのバケモノは、わたしをつれて行こうとして、会いに来た。
つまり、それは――。
佐堂さんは、わたしがいなかったら、しななかった。
「……ぁ、…っ……。」
わたしのせいで、佐堂さんは『しぬ』。
わたしのせいで…!
わたしの、せいで…!
わたしの――――!!
「…ごめん、なさい…!わたしが…っ……、いなかったら…!ごめんなさい………!」
人とはちがうモノだって、わかってたのに。話せないのがしぜんなことだって、思ってたのに。
何も知らないわたしは、きっと本当はしちゃいけないことをして。
だから、こんなことに…。
「……ごめんな。連れ出した責任、取れなくてよ……。」
「え……。」
なのに、なぜか佐堂さんが、わたしにあやまってきた。
「なん、で…。わたしのせいで、しんじゃう、のに。いきて、つみかさねたモノ、のこすって、言ってたのに……。わたしのせいで、出来なくなっちゃう、のに。」
「――――ああ。…それなら、大丈夫、だ……。」
いつもの、やさしい『えがお』で佐堂さんは話す。
「だって、緋乃が……居る…。お前が…色んな、こと……考え、て…くれる……ようになった…だけで、俺の…積み重ねた…モノは……ちゃんと…残る………。」
「そんな、こと…。だって、わたし…!何も、出来てない…!知らないことばっかりで、佐堂さんがつみかさねたモノも、ぜんぜん分かってない…!」
わたしは、ダメなところばっかりなのに。
それでも、佐堂さんは『えがお』のまま、
「……一緒に…居てくれただろ…。…十分だ……お前は、きっと…立派に……生きられる…!」
「……!」
いっしょにいたこと。
それが、とても『うれしい』ことだったのは、わたしだけじゃなくて。そのじかんがあったから、それで良いって佐堂さんは言ってくれた。
「俺だけ…勝手に、満足して……居なくなられて…。お前にとっちゃ、いい迷惑…だよな……。」
手を、にぎられた。すごくよわく、でも、つよく。
わたしに、『さみしい』って思わせないようにしてるみたいに。
「…ごめんな。でも、…ありがとう。………緋乃。頼……む…、生き…て……しあ……わせ、に…………――――――――。」
「…………佐堂、さん…?」
にぎられた手から、力がなくなった。
『えがお』のまま動かなくなった佐堂さんを見て、わたしははじめて、『し』というモノを知った。
目が、良く見えない。
気がついたら、目から、まだなまえのしらない、水がこぼれた。




