二/四 呻く怪物
夜になった。
時刻は、午後十時。普段なら、そろそろ寝る時間の雫ちゃんだけど、まだ部屋に行く気配は無い。
「雫ちゃん、わたしは大丈夫だから寝ていいよ。紗羅さんが来るの、もう少し遅い時間だと思うから、それまで一緒に待ってもらうのは申し訳ないし…。」
「気を遣って起きてる訳じゃないわ。この状況でいつも通りに寝れる程、図太くないだけよ。」
心配してるから普段通りには寝れない、と言う雫ちゃん。そう言いつつも、多分、寝ようと思えば寝れるんだと思うけど、何にせよ、寝ない理由はわたしの所為だから、申し訳ないことに変わりはない。
「とは言え、これで私が寝なかったら、緋乃に余計な心労を与えるだけでしょうし、少ししたら寝るわ。だから、私のことは気にせずちゃんと集中して、無事に帰って来なさい。」
何から何まで気を配ってくれて、本当に申し訳なくて、ありがたい。
「うん…!ありがとう、わたし、頑張ってくるね…!」
お礼を言いつつ、気合いを入れる。雫ちゃんの為にも、怪物の被害を無くす為にも、しっかりやらないと…!
それから少し話をして過ごして、午後十時十七分。雫ちゃんが、ゆっくりと立ち上がって、
「じゃあ…そろそろ寝るわ。無理に速く終わらせて帰ろうとしなくても良いけど、事が済んだら、寄り道せずに帰って来なさい。あと、何かあったら家まで逃げて、私を叩き起こしなさい。いいわね?」
そう言って、階段の方に歩き出した。表面上はいつも通りの振る舞いだけど、普段は寝てる時間だから、やっぱり何となく、少し眠そうな感じがする。
十一年間、一緒に過ごしたからこそ気付ける小さな違い。
「うん、分かった。任せて。」
眠そうながらも、色々忠告してくれた雫ちゃんに、短く返事をして手を振った。
雫ちゃんが階段を登っていく音を聞き終えて、それから、軽く目を閉じて呼吸をする。人の言うところの『瞑想』というもの。大事なことの前に、これをする人もいるみたいだから、ちょっとやってみようと思った。
怪物のこと。紗羅さんのこと。十一年前のこと。わたしのこと。色んなことを思い浮かべて、一呼吸ごとに頭から一度、消していく。
成程、確かにこれは良いかも。体の力が緩くなって、心を落ち着かせる。適度な緊張と緩和。なんかいい感じの状態。うん、なんかいけそう。
ふわっとするかんかく。ここちいい、いしきのとろとろぐあい。よぶんなじょうほうをそぎおとして、しゅうちゅうできるかのよ『ピンポーン』呼び鈴だ、行かなきゃ…!
瞑想でふわふわしてた状態から、一気に引き戻される。気付いたら、時刻は現在、日付を跨いで午前零時三分。
早足で玄関に向かって、扉を開けると紗羅さんがいた。
「やあ、緋乃ちゃん!こんばんは。準備は出来てる?早速行こうか、怪物退治!」
深夜とは思えない程、元気な笑顔の紗羅さん。その姿を見て、逆に冷静になった。
「うん、行ける…!案内お願いします、紗羅さん…!」
改めて気を引き締めて、返事をする。わたしの返事を、楽しそうに受け止めて歩き出す紗羅さんのあとを、遅れないように着いていく。
……わたしに『瞑想』はまだ早かったみたい。今度はふわふわになりすぎないように、後で練習しておこうかな…。
―――――――――――――――――
四月の深夜。涼しげな空気の町を、紗羅さんと二人で歩く。
二十分くらい歩いて、少し狭い住宅地に着いたところで、紗羅さんが立ち止まった。
「着いた。そこだね。」
そう言いながら、紗羅さんは近くの路地裏を指差した。
そこは、コンクリートで造られた小さな工場と、狭い土地に建てられた廃屋の間。人二人分の肩幅がピッタリ収まるくらいの、狭い路地裏だった。
見た目的にも、如何にも事件が起きそうなホラーっぽい雰囲気が漂う場所だけど、特別ホラーは苦手じゃないし、臆せずに歩き出そう。……としたところで、紗羅さんが声を掛けてきた。
「ところで、緋乃ちゃん。」
振り向いて紗羅さんの顔を見ると、なんだかニマッとした表情をしてる。こういう表情をしてるとき、どんなスイッチが入ってるときなのか、まだ分かってない。今度は、どんなことを言ってくるんだろう?
「私、戦えないとは言ったけど、全部丸投げしようって訳じゃないんだよ〜?ちゃんと、役立つ物を持ってきたのです!」
堂々と胸を張る紗羅さん。背負ってた鞄を開いて、楽しそうに中身を見せてくる。
「ほら!ウチの組織に置いてあった武器とか、私が作った道具から、使えそうな物を用意してきたの!」
「わ…!色んな物が沢山あるね…!」
鞄の中には、刃物や銃、それから不思議な見た目の道具が、沢山入ってた。見ただけじゃ使い方が分からない物もあるけど、紗羅さんなりにちゃんと準備してきてくれたみたい。
ちゃんと考えてくれてたことを嬉しく思ったんだけど、わたしがお礼を言う前に、ぱっ、と一転して、紗羅さんの表情が少し残念そうなモノに変わる。
「……なんだけど、どうやら私の用意した物は、必要無さそうだね?緋乃ちゃん。」
わたしの手元を見ながら、紗羅さんはそう言った。実は、紗羅さんの言う通り、戦う為の武器はもう用意してきた。
佐堂さんの遺品のナイフ。十一年前、現れた怪物を倒す為に、佐堂さんが振るったモノ。あんまり物を遺さなかった佐堂さんが遺した、数少ない形見。
わたしが怪物と戦うなら、きっとこれを使うべき―――と言うより、これを使って戦いたいと思った。
だから、折角用意してくれた紗羅さんには申し訳ないけど、武器はこれだけで大丈夫。
「ごめんね、紗羅さん…。紗羅さんの心遣いは、凄く嬉しいんだけど…!」
「残念だけど、しょうがないね。思い入れのある道具を使った方が、やる気も出て上手くいくだろうし。…ほんとに凄く残念ではあるけど!」
悔しそうに歯を噛み締めながらも、いつもの調子で話す紗羅さん。わたしの気持ちを尊重してくれてるのが分かって、凄く嬉しい。
やっぱり、紗羅さんはちゃんとしてる人なのかも。
「その代わり!ちゃんと成果は出してきてね?緋乃ちゃんが、負けるような相手じゃないんだから!サクッとやってきて!」
「うん、行ってきます…!」
そうして、笑顔で発破をかける紗羅さんに送り出されて、わたしは路地裏の方へ歩き出した。
―――――――――――――――――
一歩近づく度に、少しづつ空気が変わっていく気がする。まだ、路地裏を覗いてもないのに、『そこにいる』って感覚が鮮明になってるような…。
「――――。」
呼吸の音が聞こえる。大きな音じゃないのに、自分の呼吸が、やけにハッキリと聞こえる。
そして、路地裏に入る直前の角に立ったとき、わたしとは別の存在の呼吸も聞こえてきた。
――在る。この角を覗いた瞬間、確実に目が合う位置に。
心も体も落ち着いてる。問題ない。
わたしは、日常と変わらない動作で一歩を踏んで、路地裏を覗き込んだ。
「……。」
長さ三十メートルの路地裏。工場と廃屋の、ところどころ欠けた外壁に挟まれた道。
そのちょうど中心の辺り、約十五メートル先の地点に、獲物の逃げ道を塞ぐように『ソレ』は居た。
成程。この場所なら、タイミングを見極めれば、命を奪う瞬間が誰にも見られないのも頷ける。
灰色に近い鈍い色。鱗のような外皮と、黒目の部分が無く、どこを見てるか分からない眼。全長二メートルくらいの、尻尾の生えた四本足の獣が、不思議な唸り声を上げてる。
「……ヴ……ジ…ァ………。」
お互いを認識した瞬間、直感する。目の前の相手が、お互いにこれまでの日常にはいなかった存在であることを。
わたしはまだまだ知らないことだらけだから、見たことのない動物が居ても不思議じゃない。でも、これはそういうモノじゃないって、感覚で理解した。
目の前に居るモノが、殺人事件を起こした怪物の正体。正直、獣の姿は想定してなかった。
人に認識されない存在である筈のわたし達。ソレらの中でわたしが知ってるのは、十一年前に現れた怪物とわたし自身。そのどっちもが人に近い見た目をしてたから、他のモノもそうなのかと思ってた。
ただ、想定外ではあったけど、わたしは不思議と、『ああ、そうなんだ。』くらいの軽さで受け入れてた。
自分でも、何でそんなに簡単に受け入れられたのか、よく分からない。けど、今はそれを考えるときじゃないから、目の前の怪物に集中することにした。
「…………ア……ヴ…。」
路地裏の中に踏み出すと、怪物がわたしを正面に捉えて唸った。
怪物も、これまで殺してきたモノとわたしが『何か違う』と、本能で理解したみたい。
さらに足を踏み出す。三歩、四歩と路地裏の中に踏み込んで行き、五歩目を踏みしめたところで、
「――――!」
怪物が、姿勢を低くして構えた。――――――来る!
「ヴジャァアアアアアアアア!!!」
咆哮を上げて、猛スピードで迫る怪物。三メートルの距離まで近づいたところで跳躍して、わたしの頭蓋を噛み砕こうと大きく口を開ける。
「………っ!」
わたしは、素早く頭を下げて攻撃を躱して、そのまま前方に転がった。
何かが噛み砕かれた音を背中で感じながら、転がった先で即座に反転して、怪物の方へ向き直る。
「…ジア……ゥ…。」
「!」
怪物の側にある室外機が、円形に抉られてる。怪物の口の中には室外機の残骸があって、お煎餅を食べるみたいに噛み砕いてる。
被害者の傷痕の話を思い出す。十一年前、佐堂さんが付けられた傷と同じような傷に思えたから、一度は同一犯の可能性を疑った。けど、実際には、ただの偶然だったみたい。
瑠佳ちゃんの知り合いが聞いた、被害者の奥さんの証言は間違いじゃなかったけど、わたしの推測は間違いだったみたい。傷痕は、全く別の存在が、別の方法で付けたものだった。
「ふぅ……。」
見当違いなことで取り乱してた自分への呆れと、ほんの少しの安堵感から息を吐いた。
少なくとも今回の事件には、あのときの怪物は関わってなさそう。それなら、いよいよもって目の前の怪物に集中できる。
(それにしても…。)
殺害に特化、という話は本当そう。なにせ、わたしを脅威と認識するや否や、初手から頭を砕いて反撃の余地もなく終わりにしようとしてきた。
路地裏でこっそり殺人をしてるのも含めて、獣のような見た目の割に、暗殺が得意な性質なのかも。
何であれ、ギリギリまで目を合わせないように、角のところから路地裏を覗いたのは、正しい判断だっと思う。路地裏の外から目を合わせて、もしも怪物が路地裏の外に出た場合、先に紗羅さんを襲いに行く可能性もある。そうなってたら大変だった。
初撃を躱されて、憎たらしげに歯軋りをしながら、わたしを睨む怪物。小さく唸り声を上げた後、再び突進してきた。
今度の狙いは足。最短距離で接近して、標的の動きを封じる為の攻撃を仕掛けてきた。
「ヴジゥッ!!」
「ほっ…!」
タイミングを合わせて、少し横にずれて躱す。二撃目も思い通りにいかなくて、怒ったように連続で襲いかかってくる怪物。
その攻撃を少ない動きで全部躱して、七回目の突進――胸の辺りを狙った、少し低めの跳躍をしながらの攻撃に対して、反撃をする。腰を落とした状態で、上半身を横に倒して躱しながら、真上を通る怪物のお腹を、ナイフで切りつけた。
不思議な感じがする。頭が冴えて、迷いなく動ける。
人間社会の常識を学んでたときよりも、遥かに直感が当たる。こうした方が良いかも、と思ったことが全部、結果に繋がる。人はそれを、才能って言うみたい。
お腹を切られた痛みに悶えながら、暴れて外壁に頭をぶつける怪物。その衝撃で、外壁が少し崩れて穴が空いた。
瓦礫を被った怪物が、なんとなく血走ったように感じる目で、わたしを強く睨み付ける。
向けられる憎悪の感情。でも、それは良くないと思う。
だって、痛くて苦しいのが嫌なら、人の命を奪ったりするべきじゃない。自分がするのはいいけど、されるのは嫌なんて、通る筈のない話。
他の誰かにした時点で、自分が同じことをされたときに不満を言う資格は、自分から手放しちゃったんだから。
「ゥヴヴジアアァァァァァァァァァァ!!!!」
今までで一番大きな咆哮を上げながら、襲い来る怪物。それをわたしは、
「ヴァ……ッ…!?」
今度は躱さずに、すとん、と正面から怪物の頭にナイフを突き刺した。
「……ゥ……ァ…。」
それで怪物は、最後に小さな声を上げて、活動を停止した。




