第三十九章:距離
夜。
娯楽施設はまだ明るかった。
昼とは違い、
人は少ない。
その分、静かだ。
「……まだやってるのね」
姫が言う。
「ああ」
「好きなやつは残る」
それだけだ。
奥の卓。
空いている席に座る。
「やるか」
「……何を?」
俺は盤を置く。
「チェスだ」
姫が少しだけ笑う。
「勝てると思ってるの?」
「別に」
駒を並べる。
「考えるだけだ」
静かに始まる。
駒が動く音だけ。
「……こう?」
「ああ」
最初はゆっくりだった。
だが――
次第に間が短くなる。
姫の視線が変わる。
「……読んでるの?」
「読めるところだけな」
しばらくして、
姫の手が止まる。
「……」
盤を見る。
そして、小さく息を吐く。
「負けたわね」
「まだだ」
「無理よ」
笑う。
だが悔しそうではない。
その時――
外から風が入る。
灯りが揺れる。
姫の髪が、少しだけ乱れる。
無意識に、
手が伸びる。
止まる。
一瞬。
姫がこちらを見る。
距離が近い。
思っていたよりも。
「……何?」
小さな声。
「髪」
それだけ言う。
そっと整える。
触れるか触れないかの距離。
姫の動きが止まる。
逃げない。
ただ、
じっとこちらを見ている。
「……あなた」
少しだけ間。
「そういうこともするのね」
「必要ならな」
沈黙。
だが――
気まずくはない。
姫が視線を落とす。
盤を見る。
だが、
もう見ていない。
「……もう一回」
小さく言う。
「いいわ」
「勝つまでやる」
「好きにしろ」
駒を戻す。
距離はそのまま。
さっきより、少しだけ近い。
外では、
まだ人の声がする。
中では、
静かな勝負が続く。
そして、
何も変わっていないようで――
確かに、
何かが変わっていた。




