第三十章:自領への帰還
共同農場の管理を執事に任せ、自領へ帰ることにした、
馬車は静かに進んでいた。
領地の中を走っているはずなのに、揺れは相変わらず強い。
「……この揺れ、まだ慣れないわね」
姫が小さく言う。
「舗装は後回しだからな」
俺は外を見たまま答える。
しばらく沈黙。
窓の外では、畑が流れていく。
どこまでも続く緑。
人が動き、水が流れ、作物が整然と並んでいる。
姫がぽつりと呟く。
「……同じ景色なのに」
「何がだ」
「来たときと、違って見える」
俺は少しだけ視線を向ける。
姫は外を見たままだ。
「前は、“変な場所”だと思ったの」
わずかな間。
「でも今は……」
言葉が途切れる。
俺が言う。
「普通に見えるか?」
姫は小さく首を振る。
「いいえ」
そして、はっきりと。
「普通じゃないって、分かるようになった」
沈黙。
馬車の軋む音だけが響く。
やがて――
「……ありがとう」
姫が、静かに言った。
俺はわずかに眉を動かす。
「何がだ」
「あなたの食料がなければ、あの冬……越えられなかった」
視線は外のまま。
「王都も、地方も……」
言葉が細くなる。
「助かった人が、たくさんいるわ」
俺は短く返す。
「ウチの領は食料が余っているから放出しただけだ」
「違う」
間を置かず、姫は言う。
ゆっくりと、こちらを見る。
「支援してくれたのよ」
その声は強くない。
けれど、揺れない。
「……あなたが、やらなければ」
続きは言わない。
それで十分だった。
俺は視線を戻す。
「必要だっただけだ」
姫は小さく息を吐く。
そして、ほんの少しだけ微笑む。
「それでもよ」
静かに。
「私は、感謝してる」




