第二十七章:赤い疑念
最初は、小さな噂だった。
「……あの赤い実、体に悪いらしいぞ」
誰かが言った。
誰が最初かは分からない。
だが――広がった。
「隣国じゃ、倒れた奴がいるって話だ」
「毒だってよ」
「だから安いんだろ?」
笑いながら、だがどこかで気にしている。
市場。
「トマト煮込み、どうだい!」
威勢のいい声。
だが、客の足が止まる。
「……やめとくか」
「念のためな」
皿を引っ込める店主。
顔が曇る。
一方で。
「そんなわけあるかよ」
ポテトを頬張りながら笑う男。
「俺は毎日食ってるぞ」
「ピンピンしてるだろ」
周囲が笑う。
だが、笑いは長く続かない。
「……でもよ」
誰かが言う。
「本当だったら?」
空気が、少しだけ冷える。
分かれ始める。
「食わねえ方がいい」
「いや、関係ない」
「子どもにはやめとけ」
「栄養あるって話だぞ」
声がぶつかる。
屋台の前。
「やめとけって言ってるだろ!」
男が皿を払い落とす。
「何すんだよ!」
店主が怒鳴る。
周囲がざわつく。
「毒だって言ってんだ!」
「証拠は!?」
「噂だよ!」
「それが一番危ねえんだろうが!」
混乱。
完全にではない。
だが――確実に、亀裂が入る。
城。
報告が上がる。
「トマトの消費が一部地域で低下」
「対立が発生しています」
姫は黙って聞く。
「発信源は?」
「不明です」
だが、分かっている。
偶然ではない。
側近が言う。
「放置すれば広がります」
「……はい」
姫は短く答える。
「では、規制を?」
首を振る。
「逆効果です」
一拍。
「恐れは、押さえるほど増幅します」
沈黙。
そして――
姫は決める。
「見せましょう」
広場。
人が集められる。
「何が始まるんだ?」
ざわめき。
中央に机。
並べられる皿。
フライドポテト。
ポテトチップス。
そして――
切り分けられた、生のトマト。
赤が、強烈に映える。
「……本当に食うのか?」
誰かが呟く。
姫が現れる。
静かに、中央へ。
ざわめきが止まる。
「噂は聞いています」
はっきりとした声。
広場に通る。
「毒だと」
「危険だと」
一拍。
「では――」
皿に手を伸ばす。
まず、ポテトを一つ。
口に入れる。
噛む。
飲み込む。
次に、トマト。
一切れを持ち上げる。
太陽の光で、赤が透ける。
一瞬の静寂。
そのまま、口へ。
噛む。
果汁が溢れる。
だが表情は変わらない。
飲み込む。
沈黙。
誰も動かない。
姫は言う。
「私は、これを毎日食べています」
一拍。
「生きています」
小さな笑いが、どこかで漏れる。
張り詰めていた空気が、わずかに緩む。
「毒ではありません」
静かに断言する。
そして――
皿を持ち上げる。
「食べるかどうかは、あなたたちが決めてください」
強制しない。
命令もしない。
「ただし」
少しだけ、声を強くする。
「恐れではなく、事実で選んでください」
沈黙。
やがて。
一人の子どもが、前に出る。
「……食べていい?」
母親が一瞬迷う。
姫はうなずく。
「ええ」
子どもはポテトを掴む。
口に入れる。
「うまい!」
笑う。
空気が変わる。
「……俺も」
「じゃあ一つ」
「本当に大丈夫か?」
「今見ただろ」
人が動き出す。
疑いは消えない。
だが――
上書きされ始める。
城の一室。
報告が入る。
「消費、回復傾向です」
側近が言う。
姫は静かに息を吐く。
「完全には消えませんね」
「はい」
「ですが」
一拍。
「“自分で見た”という事実は強い」
姫はうなずく。
遠くで、また油の音がする。
笑い声も戻り始めている。




