第7話―第三夜―鎖
「おじいちゃん、いる? 横になったよ」
『うむ。私はずっといる』
「知ってる」
「ねえ、おじいちゃん。昼間、私に話しかけた?」
『ほう? なぜそう思う?』
「なんとなく……話しかけられた気がしたの」
『いつ?』
「午後だ」
『詳しく聞こう』
「前の仕事、辞めたでしょ。最近は体調もだいぶ戻ってきたし、そろそろ新しい仕事を探さなきゃと思って」
「だから最近、ずっと履歴書を書いたり、応募したりしてたの」
『それで?』
「今日の午後も履歴書を整理しながら、この数日おじいちゃんが言ってたことをいろいろ考えてて」
「……頭がパンパンになっちゃって」
「だから気分転換しようと思って、下のコンビニへお菓子を買いに行ったの」
『で?』
「お菓子をたくさん買って、栄養ドリンクも買った」
「会計が終わって袋に詰めてた時、そのドリンクを見たら、ついキャップを開けて一口飲んじゃったの」
「飲んでからまた袋詰めを続けてたところ、店員さんが来て、『ここで飲まないでください』って」
『うむ』
「ちょっと恥ずかしかった……」
『なんで?』
「なんでって。 そりゃそうだよ!」
「この店のルールね。実は知らなかったわけじゃないの」
「頭が疲れすぎてて、何も考えてなかっただけ」
『なるほど』
『その後は?』
「その後……」
「おじいちゃんの声が聞こえた気がしたの」
『私はなんと言った?』
「たしか……」
「相手の目を見ながら、全部飲み干せって……そんな感じ」
『ふふ、こうやった?』
「うーん……」
「でもその店員さん、私が飲み終わる前に行っちゃった」
『どんな顔をしてた?』
「なんだろう……」
「気まずそうだったような、嫌そうだったような……」
『お前はどう感じた?』
「私?」
『うむ』
『面白いとは思わなかったか?』
「そんな! 思うわけないでしょ」
『なぜ?』
「だって、規則を破ったんだもん! 迷惑かけたんだもん!」
「だから店員さん、きっと『最悪、死ねばいい』って思ったはず」
『本当にそう思ったなら、なぜその場でお前を殺さなかった?』
「えっ? おじいちゃん」
『ふふ、 確かに私だ』
『昼間、お前に話しかけたのは』
「やっぱり! 気のせいじゃない……」
「でも、なんでそんなこと?」
『今夜の話題のためだ』
「話題?」
「今夜の話題は、『君子報仇、十年不晚』の言葉じゃなかったの?」
『関係ある』
「……何の関係?」
『じゃあ、昼間の話を終わらせよう』
「うーん……」
『まず言っておく』
『普段は真似するな』
「え?」
『昼間のこと、わざわざやるな』
「当たり前でしょ!」
「もう! おじいちゃん、私を何だと思ってるの!」
『超人だ』
「超人だって、そんなことしないよ!」
『そうか』
『小霊。今日、なぜ私があれをやらせたかわかるか?』
「全然わからない」
「本当に」
『自分を裁くな』
『と伝えたい』
「……どういう意味?」
『だからな、お前はただ、一口飲みたかったでしょ』
「でも規則を破った」
『破ったら謝れ、それでいい』
『でも自分を責める必要はない』
「責めてた?」
『先ほど自分で言ったでしょ』
『店員さんはお前に死んでほしいと思ったはずだ、と』
「だって思ったかもしれないじゃん!」
『いやいやいや』
『彼はただ、「ここで飲まないでください」と言っただけだ』
『残りは全部、お前の頭の中で作った物語だ』
「え?」
「そう言えば……確か……」
『ほう』
「でも……ちゃんとした人間でいたいから」
「人に迷惑をかけたくないし、常識のない人とも思われたくない……」
『小霊。それは一種の鎖だと思わないか?』
「鎖?」
『そうだ』
「この言葉、昨夜も聞いた気がする」
「確か、『君子報仇、十年不晚』って話は鎖だと言ったっけ?」
『いや、こういう話は鎖じゃない』
『この話の中の、一つの言葉だ』
「何の言葉?」
『君子だ』
「君子?」
『「君子」とは何だ? それで、「小人」は?』
「いや……説明は難しい」
「できない」
『なら私から聞こう』
「うん」
『親孝行をする者は「君子」か?「小人」か?』
「君子」
『過去へ戻り、自分の祖父を殺した者は?』
「それは……小人かな?」
『真面目に働く者は?』
「君子」
『コンビニで飲み物を飲む者は?』
「……」
『小霊、気づかないか?』
『美しい言葉、立派な言葉、優秀な言葉は、全部「君子」のものになっている』
『そして失敗も、愚かさも、醜さも、全部「小人」のものになる』
「うん……」
『十年耐え、十年努力し』
『その後で復讐した者を、人は「君子」と呼ぶ』
「おじいちゃん、『小人』の味方をしてるの?」
『違う』
『私が言いたいのはな』
『その人は「君子」でも「小人」でもない』
「じゃあ何?」
『人間だ』
「……」
『コンビニで飲み物を飲む者も人間だ』
「私は……本当に何も考えてなかっただけなんだけど」
『知っている』
「じゃあ、人間なら失敗することもある……よね」
『そういうことだ』
「おじいちゃん……昼間のことを思い返すと」
「なんだか、そんなに恥ずかしいことじゃなかった気がしてきた」
『だから言っただろう』
『自分を裁くな』
『お前のこと「死ねばいい」って思ったのは、あの店員さんじゃない』
『お前だ』
「いや、言い方少し大げさだけど……」
『わかってる』
『昼間の件は小さな例だ』
『小霊、今度は別のことを聞こう』
「うん」
『なぜ死のうと思った?』
「……」
『両親には答えなくても構わん』
『だが、自分自身には答えた方がいい』
「……おじいちゃんと一緒にいたかったから」
『ふふ、それも理由の一つだろう』
『だが、それだけではない気がする』
「……」
『そうじゃない?』
「わからないよ……」
『お前、この世界は複雑で、恐ろしいと言ったでしょ』
「うん」
『なぜ?』
「本当にわからないよ……だって複雑で怖いんだもん!」
「生きてても面白くないし……おじいちゃんもいないから」
「仕事もなくなったし……」
「彼氏にも振られたし……うぅ……」
『小霊』
『少し落ち着け』
「うぅ……」
『ふふ』
『そんな顔するな』
「……」
『ちょっと水飲もう』
「……うん」
『少しは落ち着いたか?』
「うん」
『では一つずつ見ていこう』
「うん」
『仕事を辞めた理由は?』
「おじいちゃんのお葬式の日、主任に仕事やれって言われたの」
「しかも、お葬式はリモート参加すればいいって」
『うむ、それで辞めたのか?』
「うん」
『リモート参加って』
『私は別に……』
「おじいちゃん!」
「お葬式だよ!」
『誰かが、お前を責めた?』
「……」
『じゃあ、次』
『彼氏とは別れたのか?』
「うん……ちょうどおじいちゃんがいなくなった日」
『理由は?』
「疲れるって」
「私のこと、いつも緊張してて、何をするにも慎重すぎて」
「一緒にいると、自分までも息が詰まる気がするって」
『ほら』
「え?」
『これだ』
「なに?」
『なんで死のうと思った』
「……振られたこと?」
『違う』
『緊張しすぎること』
「だって……」
「何でもちゃんとやりたいんだもん」
『お前は、自分で自分を縛りすぎだ』
「……」
『見えるか?』
「なにが?」
『お前の周りだ』
『鎖だらけじゃないか』
「見えないけど」
『じゃあ、聞こう』
『もし仕事がそのままあって、彼とも別れていなかったら』
『お前は死のうと思ったか?』
「……わからない」
「おじいちゃんはどう思う?」
『ふふ、小霊』
『一つだけ覚えておけ』
「……」
『誰の名をもってしても、自分に死刑を宣告するな』
「……」
『覚えたか?』
「おじいちゃん」
「今日は……もう寝る」
『そうか』
「いい?」
『なら寝ろ』
「おじいちゃん!」
『なんだ?』
「もし夜中にまた話したくなったら……」
「その時も相手してくれる?」
『私はずっといるぞ』
「ありがとう、おじいちゃん」
『馬鹿を言うな』
『おやすみ、超人小霊』
「私は超人じゃない」
「おやすみなさい、おじいちゃん」




