第5話―第一夜(後編)「祖父パラドックス」のパラドックス
「おじいちゃん、横になったよ。まだいる?」
『ずっといるさ……少し楽になったか?』
「うん、だいぶ楽になった!」
『それでいい』
「さっき『祖父パラドックス』の話をするって言ってたよね?」
『ああ』
「そういえばおじいちゃん、私、こういう話を考えるの結構好きなんだ」
「じゃあ始めよう!」
『まあ待て、小霊』
『その前に一つ聞こう。私がなぜこの世界へ戻ってきたのか、覚えているか?』
「えっと……私がおじいちゃんと話したかったから?」
『ふふ。亡くなった家族と話したい人間など、世の中にいくらでもいる』
「冷たい!」
「じゃあ、おじいちゃんはなんで戻ってきたの?」
『お前が、この世界は複雑だと思っているからだ』
『私はそうではないと伝えたい』
「あ……そうだった」
「前にそんな話をした気がする……でも、それと『祖父パラドックスに』何の関係があるの?」
『焦るな』
『そのうちわかる』
「じゃあ、頑張って理解する」
『頑張らなくていい』
「え?」
『自然に聞けばいい』
『これは大事なことだ。覚えておきなさい』
「うん」
『よし』
『じゃあ聞こう。「祖父パラドックス」って、どんな話か知ってるか?』
「もちろん知ってるよ」
「さっきも言ったでしょ? 私こういう話好きだから。でも正直、ちゃんと理解できてる自信はないんだよね」
『なら説明してみなさい』
「簡単に言うとね――」
「ある人が、お父さんが生まれる前の過去へ戻って、自分のおじいちゃんを殺してしまうの」
『うむ』
「でも、おじいちゃんが死んだら、お父さんは生まれない」
「お父さんが生まれなければ、自分も生まれない」
「じゃあ、問題」
「自分が生まれないなら、おじいちゃんを殺したのは誰?」
「自分?不可能」
「でも誰も殺さなかったら、おじいちゃんは生きていて、お父さんも生まれて、自分も生まれる」
「そうすると今度は、自分がおじいちゃんを殺しに行く」
「今度は、可能」
「結局、完璧な説明ができなくて、ずっと矛盾したまま同じところを回り続ける話」
「だから、『パラドックス』というの」
『よく知ってるなぁ』
『で、お前はどう思う?』
「今は平行宇宙説が有力らしいけど……」
「難しすぎるんだよね」
「考えてると頭がこんがらがる」
『なら、もっと簡単に考えてみよう』
「どうやって?」
『その人物を、お前にする』
「私?」
『うん。 お前が過去へ戻り、私を殺す』
「嫌! 絶対嫌!」
『なぜだ?』
「なんで私が、おじいちゃんを殺さなきゃいけないの?」
『そう! そこなんだよ、小霊』
「どこ?」
『皆、殺せるのか殺せないのか、誰が殺したのか、そんなことばかり議論する』
『だが、一つの質問を忘れている』
「何?」
『なぜ、その人は祖父を殺そうとしたのか』
「……」
『どう思う?』
「うーん……」
「おじいちゃん、ちょっとずるくない?」
『ずるい?』
「このパラドックスって倫理の話じゃないでしょ?」
「これは物理学の話だよ」
「そういうことが可能かどうかって話じゃん」
『なら、物理学者に任せればいい』
『お前は物理学者じゃない』
「それはそうだけど……」
『だから私は今、「祖父パラドックス」が理論上可能かどうかを話しているわけではない』
「じゃあ、何?」
『私が言いたいのはな』
『もしそのパラドックスが面白いと思うなら、娯楽として楽しめばいい』
『だが、複雑すぎて、考えるだけで疲れるなら、無理に考える必要はない』
「……」
『単純な世界の中に、楽しさを見つけることと』
『単純な世界を、わざわざ複雑にすることは、違う』
「……」
『わかったか?』
「言いたいことはわかるけど、それは『祖父パラドックス』の話じゃないわよ」
「それに、私を例にするのも変だと思う」
『なぜ?』
「だって、私はおじいちゃんを殺さないもん……そう考えることすら嫌だし」
「でも、他の人は違うかもしれない、あの人、ちゃんと理由あるかもしれない」
『例えば?』
「まだ思いつかないけど……」
「本当に苦しい状況だったら?」
「どうしても人生をやり直したいと思うようなことがあったら?」
『なら聞こう』
『その人は、どうやって過去へ戻る?』
「当然、タイムマシン」
『そんなもの、あるのか?』
「今はないけど、未来にはある……かも」
『好きにすればいい』
『あったとしても、何も変わらん』
「意味わからない」
『じゃあ、質問を変えよう』
『後悔薬、あるのか?』
「あるわけないでしょ!」
『今はもちろん、未来は?』
「未来でもない」
『なぜ?』
「なぜって、当たり前じゃん!」
「もう、私を馬鹿にしてるの、この質問……」
『ふふ』
『実はな、機能だけ見れば、「後悔薬」と「タイムマシン」は同じなんだ』
「えっ?」
『後悔薬を飲みたい人間は、何を望んでいる?』
「過去を変えたいんでしょ?」
『そう』
『タイムマシンで過去へ戻りたい人間は?』
「……同じだ」
『その通り』
「あ……」
「だからさっき、何も変わらないって言ったの?」
『賢いな』
『だから、その人が今やるべき事は別にある』
「じゃあ、何をするべきなの?」
『お前はどう思う?』
「うーん……」
「目の前の問題を解決すること……かな?」
『その通り』
『実は、それこそがお前に望んでいることでもある』
「私に?」
『ああ』
『それだけではなく』
『一つ一つの選択を大切にすること、選ぶ前によく考えること』
『そして、選んだ後は責任を持つことだ』
『それがお前にできる、一番強い生き方だ』
「……」
『「祖父パラドックス」は解けないかもしれん』
『だが、その奥に隠れている、お前自身の、本当のパラドックスなら、乗り越えられるぞ』
「……おじいちゃん、また説教だ……」
『この話を始めたのは、お前だぞ』
「後悔した!」
『ふふ』
『世の中に後悔薬はないぞ』
「あっても飲まない!」
『それでいい!』
『本当にそう生きられたなら、お前はもう、私の願う通りに生きている』
「……おじいちゃん」
『ん?』
「正直、ちょっと驚いてる」
『驚く?』
「うん」
「言ってること自体は難しくないのに」
「なんで今まで、一度もこういうふうに考えたことがなかったんだろうって」
『なら、お前はまた一つパラドックスを見つけたな』
『人間社会はさ、パラドックスがあふれているぞ』
『よく観察していると、そりゃ、面白い』
「どうやって観察するの?」
『今日はここまでだ』
「えっ?」
『お前はもう寝る』
「そう言えば、確かに、ちょっと眠い」
『当然だ』
『墓地から走って帰ってきたり』
『その後で、いろんなこと考えたりするなんって……』
「あっ! 待って!」
『ん?』
「今思い出した!」
『何を?』
「もし明日、お墓の人がおじいちゃんの写真が壊れてるのを見つけて、新しい写真を作ったら……」
「私、もうおじいちゃんと話せないの?」
『ああ。 話せない』
「じゃあ、寝ない! 最後まで聞く!」
『同じだ』
「なにが?」
『今夜聞いても、明夜聞いても、同じだ』
『聞けても、聞けなくてもそう』
「また意味わからない……」
『構わん』
「構う!」
「今夜聞きたい!」
「今夜わかりたい!」
『だが、お前は疲れている』
「疲れてない!」
『ふふ』
「笑わないで」
『なら、帰るぞ』
「駄目!」
「おじいちゃん! 話し続こうよ」
『……』
「おじいちゃん?」
『……』
「おじいちゃん? まだいる?」
『……』
「え?」
「ちょっと待って……本当にいないの?」
『……』
「おじいちゃん! 怒るよ!」
『……』
「ね、ね……知ってる?」
「お墓すごく暗かった、本当に怖かったよ」
「途中で何度も帰ろうと思った、でも私は、おじいちゃんを助けたくて行ったんだ」
「だから頑張ったんだよ……」
『……』
「お願いだから何か言って……」
『……』
「おじいちゃん、ごめんなさい……」
「無視しないで……」
「お願い……」
『……』
「おじいちゃん……」




