第10話―第五夜(後編)あなた、私のおじいちゃんじゃない!
陳嘉霊は、一瞬、自分の聞き間違いかと思った。
「おじいちゃん……」
「さっきの考え、外れたってこと?」
『うむ』
祖父は優しく言った。
『だが、お前の考え方は本当に見事だった』
『だから、落ち込む必要はない』
「ううん」
「別に落ち込んでないよ」
張り詰めていた表情に、ようやく笑みが浮かんだ。
『ほう?』
「だって」
「おじいちゃんが、私のことをそんなに可愛がってくれたんだから」
「私がもっと上の世界へ行くのを邪魔するわけないでしょ?」
祖父が魂なのか。
四次元生物なのか。
宿命が存在するのか。
そんなことは、どうでもよかった。
陳嘉霊が本当に知りたかったのは、
生きる理由だった。
それだけだった。
だが――
祖父は黙った。
しばらく考え込んだあと、ゆっくりと口を開いた。
『小霊』
『正直、驚いたぞ』
「何が?」
『これまでの話を』
『お前があそこまで覚えていたとは思わなかった』
「当然でしょ」
「ちゃんと聞いてたんだから」
『ということは……』
『見落としていたことも』
『いつか急に思い出すかもしれんな』
「えっ?」
「私、何か見落としてた?」
『窓辺の金魚を見てみろ』
陳嘉霊は首を傾げながら視線を向けた。
金魚は相変わらず、
ゆっくりと水槽の中を泳いでいる。
この奇妙な会話を聞いているのは、
あの金魚だけだった。
いや――
穏やかな目で、
ずっとこちらを見ているような気がした。
しばらく見つめ合ったあと――
「あっ!」
陳嘉霊は突然声を上げた。
「思い出した!」
『ほう』
「おじいちゃん、言ってた」
「おじいちゃんの魂と、私の体は、同じ世界にいないって」
『つまり』
『私は、別の世界にある肉体が』
『生き続けるかどうかなんて』
『気にすると思うか?』
「……」
『ふふ、冗談だ』
「おじいちゃん!」
「冗談すぎ!」
『すまん……だがな』
祖父の声が少しだけ変わった。
『私たちが同じ世界にいないという話は』
『嘘だ』
「……え?」
『騙していた』
「じゃあ……」
陳嘉霊は混乱したまま尋ねた。
「私たち、同じ世界にいるの?」
『うむ』
「そんなはずない」
『本当だ』
「だったら」
「私たちの世界って何?」
『そうだなぁ……どう言えばいいかな』
祖父は少しだけ言葉を探した。
そして答えた。
『小さい……世界だ』
「小さい?」
『うむ』
『私とお前しか入れないくらいにな』
「私の体?」
「あの喫茶店?」
『……金魚も入る』
「え?」
「じゃあ、この部屋?」
『この部屋は少なくとも三次元だ』
『だが、私たちの世界は二次元だ』
「二次元?」
「平面ってこと?」
「まさか……私たち、絵なの?」
『私たちは』
『小説だ』
「……え?」
『「冗談すぎ、見るな」という小説の中で生きている』
「……」
『もっと正確に言えば』
『私たちは紙の上の文字に過ぎない』
『小説が終われば』
『私たちの人生も終わる』
「そんな……」
『すまない』
『お前を騙していた』
「違う……」
陳嘉霊の目に涙が滲んだ。
「そんなの嘘だよ……」
「あなた、私のおじいちゃんじゃない……」
『いや』
『私はお前の祖父だ』
『昔も』
『今もな』
『今だって、お前を可愛がっている』
祖父は優しく続けた。
『お前は聞いたな』
『なぜ私がお前を引き戻したのかと』
「……」
『だが、それは私の考えじゃない』
『作者の考えだ』
「悪魔だ……」
陳嘉霊は震える声で言った。
「あなたたちは悪魔だ……」
『そう』
『私は悪魔だ』
『だが』
『本当に、お前を可愛がっている』
『死んでほしくなどなかった』
少し間を置いて、祖父は続けた。
『作者はな……』
『お前を「序章」で死なせることもできた』
『だが、そうは書かなかった』
『だから今のお前は』
『もうすぐ物語の終わりまで生きるぞ』
「嫌だ!」
陳嘉霊は叫んだ。
「私は生きる!」
「ずっと生きる!」
「誰の名をもってしても!」
「私に死刑を宣告しないで!」
そう叫びながら、彼女は目の前の空間を蹴り、殴った。
まるで祖父がそこにいるかのように。
いや――
祖父ではない。
小説の作者だ。
『小霊』
『落ち着きなさい』
『これが本当の世界だ』
「おじいちゃん……」
陳嘉霊は涙を流した。
「本当の世界って……」
「どんなところなの?」
『第一夜の最後のようだ』
『覚えてる?』
「なんの返事もしてくれなかった……」
『本当の世界はな』
『お前が甘えても』
『泣いても、怒っても、説明しても』
『何も答えてくれない』
「あの人が、返事をさせなかったの?」
『……小霊、もう泣くな』
祖父の声は、相変わらず優しかった。
『明日で私は帰る』
『だから』
『笑って見送ってくれ』




