知らず知らずの隣人さん
昨日あったことがどうも思い出せない。
何か心が穏やかでなく、モヤモヤしているのに、とてもいいことがありそう!
と空虚に希望を持っているような感覚。
昨晩見た夢がとてつもなく良くて、続きが見たいけどうっすらしか思い出せなくて
一番重要なシーンに霞がかかっているような感覚。
と、どうしたものだろうか。
文章がすらすらと出てくるものだから必要以上に何かを表現してしまう。
足し算すれば物語が良くなるというわけではない。
寧ろプロというものは引き算がうまい。
より少ない文章で多くの意味合いを持たせることができる。
より少ない文章で多くの意味合いを持たせることができる。
より少ない文章で多くの意味合いを持たせることができる。
・・・?
妙に聞き馴染んだような文に感じる。
私は身支度をし、近くのカフェに出かける。
家で執筆するのも良いが、街中で聞こえる声や音、
木々のざわめきや鳥の会話、車がアスファルトを撫でる音とか
街の生きているエネルギーを感じながらというのも脳に良い。
良いアイデアというのは集中して考えるのも良いが、ふとしたときに湧き上がったりもする。
会話したりしてアウトプットを引き出してもらうというのも有効な手段だろう。
私の場合は西澤さんのようなファンの人間やネット上で交流のある執筆仲間とかと会話をするのがリラックスしながらできるのでとても助かっている。
カフェにつくと四角いテーブルに案内された。
カバンをとなりの椅子に置き、ジンジャーエールを頼む。
天気は良く、程よく白い雲があって清々しい。
風の強さも心地良いそよ風という感じだ。
私はその場の雰囲気を体に取り込みながら新しい話のアイデアをメモする。
「渡会先生じゃあないですかぁ。奇遇!」
この男は・・・
「あれ?俺のこと忘れてないっすよね。鮫島っすよ鮫島。ほら前になんかのオフ会で会いましたよね。あれかな秋葉のアニメのイベントかな。」
黒のパーカーとジーパンに身を包んだこの男は、鮫島ライメ。名の知れた配信者でありながら異世界転生モノを執筆しアニメ化までこぎつけた天才肌の作家だ。
「あぁ・・・覚えているよ。とてもね。」
正直に言うと、私はこの男が苦手だ。
本人としてはいろいろ考えているのかもしれないが、人に自分のノリを押し付けてくるような喋り方というか態度というか・・・。
「なんすかノリ悪いっすね。ちょっと俺の新しい話のアイデア練りの手伝いしてくれませんか?」
そういうと鮫島は自分のテリトリーだと言わんばかりにテーブルに自分のトートバッグを置く。
断固拒否だと言うつもりはないが、すでに巻き込まれているのが何故だか腹が立つ。
「いやね、最近スゲーアイデアが頭から湧き出てくるんですわ!もう湯水のように!」
「では私のアドバイスなんて雑音になるんじゃないかな?」
私は皮肉まじりにそういった。
「いや、そらね?俺も調子こいて勢いで執筆するってーのは活力としてはいいとは思いますけどね?さすがに誰かの視点ってのを聞いて自分にフィードバックせんとなとも思うんですよ。」
プロとしての意識が少なからずこの男にもある。
そこは素直に尊敬だ。
しかし、私の意見を聞いたところでどれだけ反映されることやら。
「で、どんなアイデアがあるんですか?ちなみに自分が言ったからって私のアイデアを出せという要望にはお応えできませんよ。」
きっと私の顔には"君が苦手だ"と書いてあるのだろう。
・・・と自分でも気づいていると思う。
鮫島はそんなことなどお構い無しという様子だ。
「それは渡会先生の完成した作品からいくらでもインスピレーションは奪えますからでぇーじょーぶっすよ。アイデアってかまぁこんな能力どうかなってんですけど、俺の作品に出てくるルカって魔法使いいるでしょ?あの子の魔法が実は自分の記憶とか、感性とかを失ってくってのはなかなか残酷なんじゃねーかなって!」
鮫島は足を自分が座っていない空席の椅子にかけ、手をテーブルに置いてピアノでも叩くように転がす。
そのルカという魔法使いがいるということは私は存じ上げなかったが、確かに単に力を積み重ねる王道モノと違って、何故魔法があるのかとか、それでもどうして魔法を使うのか、ルカがそこまでする理由はなんなのかと深堀することができる。
「ふむ、悪くないんじゃないかな?人として大事な何かを失いながらも、何故そこまでして魔法を使うのかという問いが自然に生まれる。」
そう告げると、鮫島はキョトンとした後、すぐ興奮した様子になった。
「えぇ?えぇ?なんすか一瞬でそこまで裏まで読んじゃうって、さっすが先生。感性いいんすね!コツとかあるんすか?」
鮫島は椅子を引き寄せ深く座る。
「まぁ私も君と同じくアイデアが幸運にも湧き出てくるタイプだから、近いことを考えたりしてるんじゃないかな。」
「ハァーん、天才タイプだ。俺と同じっすね。」
大分、人間的なキャラクターは違うようには思えるが・・・。
そこから他のキャラクターの話に移り、さらには編集の愚痴を複数聞かされたところで彼は席を立ち、うぃっすとだけ一言添えてその場を後にした。
ジンジャーエールの氷はすっかり溶けていた。
入れ違いで西澤さんがカフェに入ってきた。
向こうも私を見つけたようで、先ほど鮫島が座っていた席に舞い込んでいた。
「渡会さん奇遇ですね!ご一緒してもいいですか?」
なんだか天使が舞い降りたように感じる。
「ぜひこちらからもお願いします。」
彼女は席に座るやいなや、グレープフルーツジュースを注文する。
最近の私は、この人に随分と救われている気がする。
なんだか疲れてます?と自然に配慮してくれるあたりが特に。
「そういえば」
西澤さんが体をひねり、入口のほうを一瞥する。
「さっきの方って、鮫島ライメさんですよね?」
西澤さんがああいうタイプの人間を知っているのは意外だった。
名前くらい聞いたことある、なら分かるが顔まで分かるとは。
「知ってるのか?」
「はい!アニメ化決定の際にインタビュー受けてたのを見たんです。」
西澤さんは頷く。
「作家の鮫島ライメ、異世界転生モノで一世を風靡した有名配信者。確かルカっていう魔法使いの女の子が出てくるんですよね。」
やっぱり読んだこともあるのか、西澤さんの好み的にリアル志向なサスペンスとか人間ドラマばっかりなのかと思っていたが、学生というのもあってもしかしたら周りからの薦めとかもあるのだろう。
「ふーん意外だね。」
「作品は好きですよ。」
西澤さんは素直にそう言った。
「でも・・・」
少しだけ言葉を選ぶ。
「私はあの人のことはあまり好きじゃないかもしれません。」
私は眉を上げた。
「私もだ。」
「そうなんですか?」
西澤さんは首を傾げる。
「確かに悪い人ではないと思います。むしろ頑張っている人なんだろうなって。」
そこまではまぁ私も同意だった。
「でも、」
西澤さんは通りの向こうへ視線を向ける。遠くの線路の上を赤い電車が通りすぎ、窓越しに吊革に掴まった人間が物凄いスピードで左に流れる。
「人と話しているというより」
彼女は少し考える。
「人の上で踊っている感じがあります。」
私はピクリと反応した。
「人の上で踊る・・・?」
「はい。」
西澤さんは言葉を探すように続ける。
「なんというか・・・相手と会話をしているようでいて、実際には自分が楽しむための舞台にしちゃう人というか。」
・・・。
「周りの人も巻き込んで盛り上げるのは上手だと思うんですけど、私は少し疲れちゃうかもしれません。」
私は思わず苦笑する。
「その評価は結構辛辣だな。」
「そうでしょうか?」
西澤さんは困ったように笑った。
「でも作品は好きなんですよ?だから余計にもったいないなって思うんです。」
私は薄くなったジンジャーエールを一口飲む。
なるほどそういうことか。
私がずっと感じていた違和感。
鮫島ライメという男は、人と話しているようでいて、人の上で踊っている。
そんな表現が妙にしっくり来た。
どこか聞き覚えのある表現だった。
胸の奥がわずかにざわつく。
しかし、その正体までは掴めない。
私は誤魔化すようにジンジャーエールを口へ運んだ。
「あのさぁ西澤さん。」
はいと彼女は返答する。
「人の解釈についてはどう思う?」
「解釈・・・ですか?」
「例えば物語の考察だとか、展開やキャラクターの心情をどう解釈するのかとか。」
西澤さんは少し考える。
ストローを指で回しながら、ふむと小さく頷いた。
「私は考察したりするのは好きですよ?好きな作品だと、この台詞どういう意味なんだろうとか、このキャラ本当はこう思ってるんじゃないかなとか。」
西澤さんはストローに口を付けて、頬杖を付きながらジュースを啜る。
コップをテーブルに置いて、
「つい考えちゃいます。」
と続けた。
「でも」
その笑みが少しだけ真面目なものへ変わった。
「他人の解釈を無碍にするのは好きじゃないです。」
その台詞を聞いて、何故だか私の心が安堵する気がした。
私は黙って続きを待った。
「だって、その人なりに考えた結果じゃないですか。私と違う意見でも、それはその人が見つけた答えですし。きっとその人が今まで生きて来た背景だとか、経験というものだってその考えには少なからず影響を及ぼしているはず・・・。」
私は視線を逸らさずに聞く。
「正解か不正解かよりも」
西澤さんは再びカフェの外を見る。
電車は通らない。
「どうしてそう思ったのかの方が気になります。」
私は少しだけ俯いて、痒くもない手を擦る。
「優しいんだな。」
「そうでしょうか?」
西澤さんは外を眺めながら返答する。
彼女の目に再び電車が映る。
反射した光と共に、その瞳の中を流れていった。
「ただ、人の好きなものを笑うのは寂しいなって思うだけですよ。」
風が吹いて、木々が揺れた。
サラサラと葉が擦れて音を立てる。
木漏れ日が連続的に移り変わっていく。
「でも確かに」
西澤さんは急に楽しそうな顔になった。
「考察し合うのって良いですよね!自分じゃ気付かなかった見方とか。全然違う解釈とか・・・そういうのを聞くと、同じ作品なのに世界が広がった気がするんです。」
世界が広がる。
その言葉を聞いた瞬間。
何故だろうか、胸の奥で何かが引っ掛かった。
誰かの声が、ほんの一瞬だけ頭を過った気がした。
私は思わず首を振る。
「渡会さん?」
「あぁ、いや。」
気のせいだ。
そう思うことにした。




