キンギョソウ
渡会無人は自分が誰か思い出せない。
だけどそうだ、この目の前にいる存在の事なら分かる。
思考の魔女・・・に・・・ロ、ロアロア。
「こんばんは、旅人さん。」
・・・え?
私の事なのか?
「あら、これは失礼。"今は"先生でしたよね。先生、ごきげんよう。具合はいかがですか?」
そうだ、私はこの世界で物語を執筆する小説家だったのだ。
ロアロアは花瓶に花を一輪添えて窓際に置いた。
今日はどんな物語を作ろうか
そう考えた瞬間だった。
「今日はどんな物語を聞かせてくれるんですか?」
私の思考に被せて魔女が問いかける。
窓の外から入り込む月の光が横へ流れていく。
キラキラと青白い光を放っていたのは埃ではなく、何かの粒子だったようだ。
「やはり物語というのは、人間が解脱することができない概念と矛盾を添えると面白くなると思うんだ。」
ロアロアは微笑んで、例えばどんな概念ですか?と訊く。
例えばだなと私は顎に手を添える。
「情欲や怒り、恨み、愛情、希望・・・。人が人たる感情をテーマにすると良い。」
と続けた。
ロアロアも私と同じように腕を組み考える。
「人が人たる所以、人の興味をそそり面白いと感じさせるものは常に人の範疇を超えないところにある。」
そうそう、わかってるじゃないかと私は相槌を打つ。
「その中でも私はやはり、"欲"というものは特別だと思うんだ。」
どうしてですかとロアロアが訊く。
テーブルに腰かけ、まるで保育園の園児が話すことを優しく見守るように佇む。
「恨みや怒り、高ぶる高揚感とか激しい感情はなかなかどうして人としてはコントロールするのが難しい。致し方がない、という状況もある。」
ほうとロアロアが納得したように声を漏らす。
どうやら私が言いたいことがなんとなく予想できたようだ。
「だが、"欲"というものはたいていコントロール可能だ。自分の意志で不満と引き換えに先延ばしにしたり、他の行動で打ち消すこともできる。だからこそ欲に負けるとか自分に打ち勝つとか、制御しようとすると感情の方向が自分になることが多い。それでいて欲と言うのは満たしてしまうと、徐々に徐々に心を蝕んでいく。」
私は自らの感情が高ぶるのを感じる。
それを自覚しつつ深呼吸をし、結論を出す。
「私はね、大きく展開が動き出す大事件やクライマックスな展開、人生の価値観を大きく変える出来事よりも、そんな日常の見えないところに潜むような、"欲"のような破滅に随分と興味が惹かれるのだよ。」
そこでハッとする。
私は今・・・破滅といった。
まだ灰の遊戯が始まっているわけではない。
灰の天秤が私に、「オマエは今回、物語を破滅に導け」と命令されたわけでもない。
だが私は自分の意志で、ワクワクを感じながら
「破滅に惹かれる」と口に出したのだ。
ふとロアロアの方を見る。
まさかこの魔女は私が破滅を望むように仕組んでいるのではない。直後に魔女のニヤけた表情を拝むことになるとてっきり思っていた。
しかし、彼女の顔はいたって普通。無表情だ。
そんな台詞は100手先に読んでいたとでも言いたげだ。
「先生、まだ灰の評定は始まってませんが、黒の楔として一つ伝えておきましょう。」
>思考の魔女ロアロアは先生が破滅に向かうことに、必ずしも価値を感じていません。
どうですか?と魔女は問う。
私は何も答えなかった。
すると魔女は言う。
「ささ!前置きはこれくらいで。先生、その"欲"をテーマにしたお話。聞かせてくださいな。」
あぁ分かったと私は返し、執筆を始めた。
==============
これは、とあるご神木の話。
少年ユーノは森の中を駆ける。
落ちないように固定されたゴーグルとベルトでしっかりと締められたカバンが揺れる。
1日目。
「よっと!良し、ここだ。」
ユーノは生い茂る木々の中に突然余白が生まれる。
整列した岩が立ち並ぶその場所に、ほんのりと暖かい日差しと風が迷いこむ。
岩岩の間にできた直線の道を通り、ひときわ大きなご神木の前にたどりつく。
子どもたちで手を広げて囲っても、10人以上にはなりそうな大きな樹木。
秋になると紫色の綺麗な花をつけるこの木には不思議な力があった。
「じーちゃんから聞いてたけど、やっぱりすごいなーこの木は!」
ユーノがそう言いながら、この木のふもとからチョロチョロと染み出す水を容器に入れる。
するとふと視界の外から声がした。
「やぁ少年。」
振り返るとそこには、自らと同じくらいの年齢にも見える何者かが立っていた。
肌はやたら白く、巫女服にも見える服を着ている。
性別は判別しづらい。
白化粧をしていて、目の上部に深紅のラインを、下に緑のラインを入れて口紅をしていた。
「しょぉ~ね~ん。そうかそうかぁ君が選ばれたのかぁ。」
品定めをするように腰を下り、顔をまじまじと見てくる。
「君はなんなんだ!」
ユーノは警戒して後ずさりする。
「いやいやぁ、なんというかね、まぁここのカミサマだよぉ。ラオって呼んでいいよ。」
人里からは離れたところに、こんな異質な存在がご神木の前で現れたとなれば、なんとなく信じざるを得ないような気もするが・・・。
ユーノはそれでも警戒を完全には解かないが、なんとなくこのカミサマを自称する人物の態度がいやに軽やかでペースを乱される感覚に陥る。
「そ、それじゃあラオ。ここのカミサマってんなら、この神水について教えろ!」
ユーノは容器を突き出す。
「あぁ~~~~~それね、万病を治し邪気を払う。そう聞かされてるでしょ。」
ラオは得意げに話す。
たしかにユーノは、唯一生き残っている祖父からそう聞かされていた。
そしてその神水を里のために取りに行くのだと。
「ここは神聖な土地だからねぇ~~君みたいな純粋無垢な少年少女しか入れない掟だもんねぇ。」
ラオが目を閉じて体をくるくると回す。
ピタリと止まって、そして目を開きこういった。
--かわいそうに。
ユーノは「もういいか?僕は行かなきゃいけないんだ。」と突き放すように吐き捨てるとスタスタと出口へ向かう。
「あぁ。気を付けてね~。」
ラオは整列した岩に腰かけ、手をふる。
そして、すでにユーノは聞こえないところまで進み、彼の背中が風景に溶け込む中、
「また来るんだよ・・・必ずね。」
とこぼし、ニヤリと笑った。
森の中に、カミサマの笑い声が響いた。
2日目。
ユーノはまた神水を汲みに来た。
またあのラオというカミサマを自称する者が居る。
ユーノは横目でラオを追いながらご神木に近づく。
「やぁ少年、また来たね。というか、"来ないといけない"もんね。大分あれから時間経ったんじゃないか?」
「たかが1週間じゃないか。」
「フフフ、そうかい。神水の効果はどうかな?効き目絶大だろう。」
ラオは整列された岩にもたれかかり、猫のように話かける。
「確かに里の邪気や呪いを解いたよ。だけど・・・。」
だけど?とラオが問う。
少しユーノが黙るが、考えた後口を開く。
「僕の方が呪いにかかったみたいだ。というか、代償を払ったんだ。」
「どういうことだい。」
「味覚が無くなった。」
ユーノはあの神水で里のあらゆる問題を解決した。
だがそれが進む中で、自身の異常に気づいた。
口にするものに味を感じなかったのだ。
「だから今日、僕のこの呪いを解消するために神水を汲みに来た。今日は里のためじゃあない。僕のためだ。」
ラオはくるりと寝返りをうち空を眺める。
「ほんとうにそうなのかい?」
その質問に少しいらだちを覚えながら、ユーノはそうだよと答える。
ラオは「ふーん。」とだけ声を漏らした。
ユーノはその興味のなさそうな態度にムっとしたが、神水をぐいと飲み、さらにもう1杯里のためにある程度の量を容器に詰めてまた来た道を戻り始めた。
ラオはその後ろ姿を眺めていた。
3日目。
帰り道、鳥の鳴き声が遠く聞こえた。
いや、違う。
左耳からしか聞こえていない。
4日目。
・・・5日目。
ユーノは杖をつき、ヘロヘロになりながらご神木までたどり着く。
杖をがらんと落とし膝をつく、そしてご神木の根元に溜まった水を、顔をつけて飲む。
ひとしきり飲み終えて呼吸を乱す。
無理に飲んだので、少し肺に入り余計に苦しくなる。
「やぁやぁやぁ少~年ぇええん。」
あのあつかましいカミサマの声が聞こえる。
ただ、もう片耳が聞こえないのでかろうじて耳に入った、というレベルだ。
ラオは腰を折り、手を軽く振る。
爪の伸びた手は手相がくっきりと出ている。
その声を聴くや否や、ユーノはラオを服を掴みにかかる。
「どういうことだよぉお!!」
ユーノは怒りの表情を浮かべている。
「な~にが?」
「神水なんて嘘っぱちじゃないか!あらゆる病を治すなんて・・・!僕の病は悪化する一方だ!右耳は聞こえない・・・左足も動かない、味覚も!嗅覚もなくなってしまった!」
カミサマの口がぐにゃりと広がり笑みを浮かべる。
「しょおねぇん。ボクは何も嘘はついてないよぉ。君のその病・・・というか不自由は代償なのさ。」
ラオの光のない眼がユーノを見つめる。
「代・・・償?」
「そうだよ。目はまだ見えるだろう?それは奪うことはできないなぁフフフフフ!それにもうその足じゃあ里まで戻るのは難しそうだね。」
ユーノは地べたに這いつくばりながら体を引きずる。
なんとかして体を起こすと、そこには綺麗な白い花を枝中につけたご神木が立っていた。
あたりを見渡すと、整列された苔むした岩が直立して沈黙している。
それは、
「墓・・・?」
ラオは両手でユーノの頬を包む。
「少年、ゆっくりおやすみ。」
音もなく、何かが崩れ落ちた。
=====================




