第15話 公開実演
広場には、思っていたより人が出ていた。
街の者が半分、あとは丘の上から来た者だ。馬車が広場の入り口に十台ほど停まっている。ヘートヴィヒ様の顔もあった。少し離れたところに、ラントシュテットの名を聞いた覚えのある一団もいた。
中央に台が組んであって、椅子が三脚並んでいる。その後ろに、結い手が三人立っていた。三人とも、若い。
いちばん年上でも三十に届かないだろう。三人とも同じ形の前掛けをして、同じ櫛を持っている。院で揃えたものだ。
揃えるのは、悪いことではない。悪いことではないが、櫛は人によって握りが違う。歯の欠けた櫛を使う者もいれば、峰の減ったものを使う者もいる。同じ櫛を三人に配ったということは、櫛は道具であって手ではない、と考えているということだ。
考え方としては、正しい。正しいから、こういうことになる。
◇
台の脇で、ケルン様が紙を持って説明していた。声はよく通った。院の者は、人前で喋る訓練を受けている。
「本日お目にかけますのは、記録に基づく結い上げでございます。ここに立っております三名は、いずれも結髪院で学んだ者で、家に仕えた経験はございません。手元にあるのは、書き取った手順のみ」
人が少しざわついた。
「これよりお座りいただく三名の方は、いずれも本日ここで初めてお会いする方々です。形は、それぞれのお家の形。フォーゲル、シュミット、そしてラントシュテット」
ラントシュテットの名で、ざわめきが大きくなった。三年前にゼロになった家だ。いま、隣家の形を借りて出ている家。
◇
椅子に座ったのは、三人とも女性だった。
いちばん右のラントシュテットの方は、四十くらい。髪は多い。多いが、根元が細く、途中から急に太くなる種類の毛だ。若いころに一度、短くしている。切った境目が残っている。
わたくしは人の後ろから、その頭を見ていた。
この髪は、時間がかかる。境目のところで櫛が引っかかるので、そこを先に湯で寝かせなければならない。寝かせずに上げると、上げている最中は保つ。保つが、二刻ほどで境目から割れる。
台の上の結い手は、湯を使わなかった。桶は置いてあった。置いてあったが、手を洗うのに使っただけだった。
使わなかったのは、手順書に湯のことが書いていなかったからだと思う。書き取ったのは、エッシャー家にいた老女の手順だ。あの方の毛は、湯が要らない質だった。
◇
結い上がるまでに、四半刻もかからなかった。早い。早いのは、迷わないからだ。書いてある通りにやれば迷いようがない。
三つとも、形にはなっていた。
人が拍手をした。ケルン様が頭を下げた。頭を下げながら、こちらを見ていた。見つけていたらしい。
わたくしは拍手をしなかった。
三つのうち、左と真ん中は保つ。フォーゲルもシュミットも、街の家の形で、低くて留めが少ない。低い形は、多少手順が違っても落ちない。落ちるようにできていないからだ。
右だけが、保たない。
止めるべきだったかどうかを、わたくしはそのあと何度か考えた。台の脇まで行って、その髪は湯を使わないと二刻で割れます、と言うことはできた。
言えば、止まっただろう。止まって、それから、誰かが恥をかいた。そのあと、院の者が三人を台の上に立たせて、広場を一周させた。見せるためだ。
一周目で、ラントシュテットの方の後ろ髪が、少し動いた。二周目の途中で、境目のところが浮いた。
浮いたところは、外からは見えない。輪の内側だからだ。ただ、浮けば重心が変わる。変わると、輪が後ろへ傾く。
三周目で、後ろの留めが抜けた。
抜けたというより、押し出された。留め具は、毛の張力で押さえているだけだ。内側から押されれば、外へ出る。
輪がひとつ落ちて、その重みで、もうひとつが解けた。
◇
髪が肩まで落ちるのに、たぶん三つ数えるほどの時間しかかからなかった。広場は、しばらく何も起こらなかった。
人が驚いたとき、すぐには声が出ない。出るまでのあいだ、みんなが同じものを見て、口に出していいかどうかを決めかねている。
最初に動いたのは、その方自身だった。
落ちた髪を両手で押さえて、台の上で、押さえたまま立っていた。押さえても戻らない。戻らないことは、たぶん本人がいちばんよく知っていた。三年、借りものの形で出てきた人だ。
台の上の結い手が、櫛を持ったまま動けずにいた。書いてある通りにやったのだ。その通りにやって、こうなった。
わたくしは、そこから動かなかった。
動かなかったのは、行っても直せないからではない。行けば直せる。湯を沸かして、境目を寝かせて、一刻あれば上げ直せる。
だが、いま台へ上がれば、これは「オルトレの娘が院の恥を拾いに来た」という話になる。そういう話になったら、この一件は、誰が正しかったかの話に変わってしまう。
誰が正しかったかの話になると、髪の話が消える。
わたくしは、人が動きはじめるまでその場にいて、それから広場を出た。
◇
夕方、ケルン様が店に来た。帽子を取って、椅子に座って、それから長いこと黙っていた。
「なぜ、崩れたのでしょう」
「湯を使っておいででした」
「使っておりませんでした」
「はい。使うべきでした」
わたくしは湯を沸かしはじめた。この人に飲ませるためではなく、手が空いていると話しにくいからだ。
「あの方の毛は、途中から太くなります。若いころに一度、短くなさっている。境目のところは、乾いたままでは寝ません」
「手順書には、湯のことが」
「書いてございませんでしたね」
「……書き取った方が、湯を使わなかったからです」
「はい」
ケルン様は、膝の上で手を組んだ。
「では、湯のことを書き足せば」
「その次は、湯の温度をお聞きになります。温度を書けば、その次は、どの毛に何度かとお聞きになります」
◇
「ケルン様」
「はい」
「書けるものは、書いてよろしいのです」
ケルン様が顔を上げた。
「形の名は書けます。右が上か左が上かも書けます。その人の髪が細いか太いか、湿りに強いか弱いか、去年より薄いかどうか。それは全部書けますし、書いておくべきです」
わたくしは母の帳面を台に置いた。
「母は二十五年、これを書いておりました」
ケルン様が帳面に手を伸ばして、途中で止めた。許しを待つ手だった。わたくしは頁を開いた。
「書けないのは、その先です。その日の頭を見て、どの道を通すか。それは書けません。ですから、書き取ったものを渡すときは、こうお伝えください」
「なんと」
「これは、地図ではありません。その土地に何があるかを書いた紙です。道は、その日に自分で見つけてください、と」
「地図ではない、と」
「はい。地図を配れば、みな同じ道を通ります。同じ道を通れば、通れない人が必ず出ます」
ケルン様は湯呑みに手を伸ばして、飲まずに置いた。
「では、結い手は、要ると」
「要ります。ただ、囲う必要はございません」
「囲わずに、どうやって」
「街に置いておけばよろしいのです。母は二十五年、この店におりました。丘の上の家も、ここまで下りてくれば済んだ話でした」
ケルン様は帳面を、一頁ずつめくっていった。二百人ぶんの、髪のことだけが書いてある紙を。
【結い手の覚え】留め具は、毛の張力で押さえているだけです。内側から押されれば、外へ出ます。
お読みいただきありがとうございます。
次話――侯爵家の馬車が、店の前に停まります。降りてくるのは、旦那様です。




