神絵師の腕を食べる会(3)
調査チームは調査が仕事だが、当然ながら警察の対応は調査しただけでは終われない。
調べた後は別の部署が何かする。
具体的に何をするのかは稲荷の立場では知りえないが、怪奇現象相手に何ができると言うのだろうか――稲荷は常々知りたいと思っていた。
足音は近づいてくる。
それを聞きながら、稲荷は怪異に包囲されている。
白い液体は、表面に無数の歯茎と歯を生やして、食らいつこうと迫ってくる。
壁際に追いつめられた脳裏に、なぜかB級ホラー映画のワンシーンが思い浮かんだ。
なぜか、ではない。そんなシーンが、今なのだ。
怖いような。そうでもないような。
危機感があるような。ないような。
B級ホラー映画ってこうだよな。微妙なんだ。
稲荷が場違いな思考に浸かりながら壁に背を付けて身構えていると、救いの声が降ってきた。
「稲荷!」
「……常盤先輩?」
飛び込んできた人物は常盤だった。
なぜあんたが来る?
後輩の監視でもしていた?
あやしいと思ってストーキングして通報した?
後方からは、武装した一団も突入してくる。
それが常盤を正義のヒーローとか主人公みたいに引き立てているように思えて、稲荷は一瞬モヤっとした。
特殊ライトが一斉に照射されると、一面の白が揺らいで逃げていく。
クラスター以外の人間が武装して迫ると逃げるらしい。可愛げがあるじゃないか。
やっぱりB級だ。
そんな思いと共に、疲労感が足元から忍び寄る。
「……助かりました」
稲荷は弱弱しく呟き、咳をした。
喉奥から熱いものがせりあがってきて、苦い味が溢れて零れる。
血だ。
稲荷はふらりと倒れこんだ。
常盤が駆け寄ってくる。きっと心配してくれているはずだ。表情は見えないが、安心させてやろう。
稲荷は言葉を選んだ。
「疲れているだけです。少し寝れば治ります……」
正義感で暴走した新人巡査が言うべき言葉はなんだろうか?
疲弊して意識を手放しそうな脳をもうひと稼働させて、稲荷は悲壮に言ってのけた。
「常盤先輩。あの子を探してください。僕、途中まで一緒に逃げていたんです。きっと、生きて……」
おお、僕はまるでバディ映画で相棒の目の前で死ぬ役のようじゃないか。
見せ場だ。なかなかいいぞ。
うっとりしながら目を閉じる一瞬、変な光景が見えた気がする。
常盤がまるでとどめを刺そうとしているみたいに銃を向けていたのだ。
もちろん見間違えだろう。
まるで相棒がゾンビ化するから殺さないといけないヒーローみたいな顔してたが、そんな映画は好みではない。
「ゾンビには、なりませえん……」
稲荷はゾンビ化映画を否定しながら意識を失った。
撃たないでほしい。
もっとも、僕は呪われた特殊体質のせいで、死んでも生き返るのだが。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
ゾンビ化を否定したおかげか、稲荷はとどめを刺されなかったようだった。
「稲荷君。目が覚めたかい」
「鈴木室長。お疲れ様です。念のため確認しますけど、僕って一回死んで蘇生したりしました?」
目が覚めると病院のベッドにいた。
ベッドの脇にはおそらく偶然立ち寄ったであろう鈴木室長がいた。
白髪混ざりの髪をオールバックにして、ブリティッシュ・スタイルのスーツをお洒落に着こなしている鈴木室長は、プライベートでは優しいパパ。職場では部下思いの気さくな上司だ。
見舞い用のリンゴをサイドテーブルに置き、室長は首を横に振った。
「稲荷君、プライベートで怪異と出くわしちゃったんだって? 持ってるねぇ~。現場で倒れたって聞いて心配したけど、お医者様が言うには心身の疲労だそうだよ」
室長の眼鏡の奥で、優しそうな茶色の瞳が微笑んだ。
稲荷はほっと息を吐き、これ幸いと相棒チェンジをねだってみることにした。
「僕、吐血してましたよね? あれってたぶん、先輩と相性が悪くて胃がやられたんだと思います……」
「いや? 吐血したとは聞いてないよ」
「吐血したんですよ」
「ええ……? 大変じゃないか?」
病室に入ってきた常盤に確認すると、「そんな事実はない」と否定される。
医師に聞いても、そんな形跡はなかったと言われる。
――あれ? 吐血したと思ったけどな。
稲荷は首をかしげつつ「まあ、僕は復調して元気です」と結論付けた。
「僕は自分より、行方不明の女の子が心配です」
「稲荷君。わかるよ、その気持ち」
正義感あふれる公務員ぶりも見せると、鈴木室長は明らかに好感度を高めてくれている。
常盤は無表情だが、稲荷は気にしないことにして、言葉を加えた。
「捜索隊が探しているんでしょう? 僕も捜索に加わります!」
――行方不明の女の子は、僕の風呂敷の中にいますけどね。
家族を失った日から、稲荷は普通ではない自分と特別な人生を生きている。
異能を使うと心身が大きく疲弊するし、怪異は心身を蝕むことがある。
けれど、特別な能力を持つ稲荷にしかできないことがあって、稲荷の胸には優越感や特権意識、使命感のようなものがいつも渦巻いている。
――僕は白色症例の元凶を知っている。
兄さんだ。
兄さんは悪で、僕は正義だ。
正義の僕は上手く立ち回って、東京を脅かす怪異事件をなくしてみせよう。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
曲がり角を曲がって階段を上る。
古びた石造りの階段を上るうちに、上りはじめたときには存在しなかった幽世の入り口が見えてくる。
血を塗ったように赤い鳥居が、闇の中にぽつんと浮かんでいる。
周囲は音も風もなく、世界がそこだけ切り取られたようだ。
見通しの効かない暗闇の視界を、ひらり、はらりと桜の花弁が舞っている。
稲荷はそこをくぐった。
通り抜けた瞬間に、鳥居を中心に花咲く緑の大地と桜並木が現れる。
空は青々としていて、白い太陽が眩い。
花の香りを含むやわらかな風に吹かれながら、稲荷は風呂敷包みを捧げた。呼びかけは、三回。
「こんにちは。こんにちは。こんにちは」
響きに応じるように、光が咲く。桜色の光だ。
桜色の光は大きく丸く膨らみ、動物の形になって尾を揺らした。ふさふさの狐の尾だ。
「きつねさん。これを綺麗にしてください」
稲荷は光る桜色の狐に風呂敷包みを捧げた。
すると、狐は風呂敷包みにふんふんと鼻を寄せる。鼻先から桜色の光が風呂敷包みに移り、きらきらと光の粉を回せて輝いた。
太い狐尾がふぁさりと揺らされると、布の中から夏海が転がり出る。
「え……」
夏実は目を開けた。
その腕には、もう白い色はなかった。健康な肌だ。
「……ここ、どこ? あたし、何してたんだっけ……」
稲荷は数歩進み、振り返って微笑んだ。
少し心配そうで、けれど安堵している――そんな表情だ。半分本気で、半分は演技である。
「夏海さん。ここは、安全な場所ですよ」
「そう……なの?」
「あなたを助けられてよかった。代わりに、お願いごとがあるんですけど……」
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
話を終えて夏海の手を引き、元の世界に戻ると、暗い夜陰の中、遠くから光の群れが近づいてくるところだった。彼女を探す捜索隊だ。
稲荷は公務員の顔で報告した。
「見つかりました! 見た限り怪我もなく元気そうですが、念のため救急車の手配をお願いします!」
稲荷は喜びと安堵の伝わる叫び声を捜索隊に聞かせてから、少女を祓った狐へと感謝の言の葉を捧げた。
「ありがとうございました」
はらり。
人の明かりに照らされながら、桜の花はやわらかに地面へと舞い降りた。




