2話、監獄の天使
エンジョイギルド『若葉支援村』の掟。
一、初心者には親切にしましょう。
二、初心者がギルドに入っていなかったら村に誘いましょう。
三、村長を中心に歓迎会をしましょう。
四、ベテランプレイヤーは初心者にゲームや村のことをたくさん教えてあげましょう。
五、悪い子は、監獄送り。
二話、監獄の天使
平日の午後。
勤務中の稲荷はオンラインゲームをプレイしていた。
国内最大手のゲーム会社が十年以上サービス提供を続ける月額制MMORPGだ。
現在、このゲームのプレイヤーが現実で死亡する事件が発生している。
「差し入れにしろたえのレアチーズケーキを持ってきたよ」
「ありがとうございます、いただきます」
鈴木室長は部下に差し入れを配るのが好きなひとだ。
稲荷はいったんゲーム操作の手を止め、コーヒーを淹れてケーキをいただくことにした。
赤坂にある『西洋菓子しろたえ』のレアチーズケーキは、チーズケーキ特有のコクとレモンの酸味にビスケットの香ばしさが仕事の疲れを吹き飛ばしてくれる。
「ゲームをしているだけで祟られるって不思議だねえ」
「案外そうでもないんですよ。オンラインゲームって人間関係の拗れが付き物なんで。ほら、生き霊とかいるでしょう」
「へえ~」
室長はしっくりこない様子で首をかしげつつ、会議に向かった。
「常盤先輩は召し上がらないんですか?」
「甘いのは苦手なんだ」
「なるほど。じゃあ、先輩の分は僕がいただきます。残すともったいないんで」
『白色症例』かそうでないかは、調べてみないとわからない。
単なる都市伝説や怪談、閲覧の数字目当ての虚説が多く、時には人間が犯人の殺人事件だったりもする。
稲荷の体感、本物の怪異案件に出くわすケースは一割ほど。
そのうち何度かは、被害者をきつねの社に連れていって祓ってもらった。
そのあと経過を見守っているうちに、稲荷は何点か気づいたことがある。
ひとつめ。
『怪異事件に巻き込まれた被害者は、記憶の一部が曖昧になる者が多い』――これは精神的ショックによる症状かもしれない。
極度の恐怖やショックへの防衛反応で起こる解離性健忘。
あるいは、過去を思い出す際に、その時持っている情報や知識、感情に基づいて記憶を組み立て直すために生じる記憶の再構成エラーだ。
ふたつめは、『異能への覚醒』だ。
きつねに気に入られた人間は、お祓いされたあとに不思議な能力に目覚めることがある。
白色症例でも被害者が怪異に変じることがあるので、怪異は相性の良い者を変化させる性質があるのかもしれない。
最近ではどんな人間がきつねに気に入られやすいかもわかってきた。素質のある人間は少なく、味方にできれば心強い。
夏海を仲間にできたのは幸運だった。
僕は運がいい。
この調子で稀なる縁を積み重ねていこう。
――それにしても、このギルド。
稲荷はエンジョイギルド『若葉支援村』の掟を眺めて呟いた。
「五番が謎なんですけど」
「質問したら教えてくれるんじゃないか? こっちは初心者なんだし」
「それは確かに」
監督よろしく背後に立つ常盤の言葉に顎を引き、稲荷はキーボードの上で指を躍らせた。
ギルドチャットに質問が送信されると、複数人が先を争うように返答のチャットを送ってくる。監獄というのは、特別な懲罰マップのことらしい。
「親切だなあ、どこかの先輩と違って」
「俺が不親切だと?」
「僕は常盤先輩のことだとは言ってませんよ」
モニターのチャット欄では、複数のギルドメンバーが競うように「おすすめのフォトスポット」やら「簡単にゲットできるおしゃれ装備」の情報を垂れ流している。親切というよりは、教えること自体が彼らにとっての娯楽コンテンツなのかもしれない。
それと比べると、現実世界の常盤は何事も教えたがらない。
後輩という存在自体を面倒そうにしているし、ひそかに別チームでの活動もあり、情報を秘匿しがちだ。この差はどこからくるのだろう。
マップ移動のローディング中に暗転した画面に映るのは、黒髪をきちんと撫でつけ、スーツをきっちりと着込んだ稲荷と、なぜか黒地にパイナップル柄のアロハシャツを着てピンクのカラーサングラスを装着した常盤の姿だ。
首にはハワイアンレイまで下げている。
この差はどこからくるのだろう(二回目)。
「常盤先輩。今まで聞いていいのか躊躇っちゃってたんですけど、今日はどうしたんですか、その格好。ハワイですか?」
「ああ。ハワイだな」
「昨日も休みではなかったですけど、退勤後の夜間フライトでハワイまで飛んで則Uターンで朝のご出勤にぎりぎり間に合わせた感じですか? 忙しいなー、意味がわからないなー、直行便で何時間かかるんでしたっけ」
「別に俺が行ったわけじゃない」
わかり合おうという気持ちが欠けている。
稲荷は追及するのをやめた。
表示はすぐに切り替わる。チャット欄はその間も次々と発言が流れていく。
「初心者を騙るサブキャラが多いようで、皆さん僕が本物の初心者だから嬉しいと言ってます」
「偽物なのにな」
「このゲームが初めてなのは嘘ではないので……どちらへ?」
「俺は画面見てると酔う体質だからゲームは任せた。煙草を吸ってくる」
遠ざかる気配に振り返る稲荷に構わず、常盤は部屋を出て行った。ニコチン中毒という言葉が脳裏を過ぎる。
稲荷は煙草を嗜まない。
体に悪いのに依存してしまう――その中毒性は、稲荷には恐ろしく思えた。同時に、「そこまで良いならはまってみたい」という誘惑も感じる。それがまた、怖い。
「先輩はFPSがお得意だと噂を聞いてますよ……」
自分も人のことは言えないが、嘘つきだ。
そんな人物評価をしながら視線を画面に戻して、ふと気づく。
モニターの右脇に、黒い折り鶴が転がっていた。さっきまでは、こんな物はなかった。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
数人で構成される特殊事案調査チームの拠点の扉に掲示されたプレートは『第三資料室』となっている。
打鍵音が響く中、ゲームの中で稲荷の猫耳キャラは海賊団の隠れ家という設定のダンジョンを進んでいく。
小さくて可愛いマスコットキャラ的な盾持ち先行者、うさぎ耳の双剣使い、猫耳の弓使い、長い杖を持った真っ白なマッチョマン。
パーティの進行速度は遅く、ギルドメンバーは頻繁に「ちょっと待って」と足を止めては「注意点なんだけど」「今の戦い方なんだけど」と初心者への指導を入れていく。
指導だけではなく、「ここはフォトスポット」と言って全員で記念撮影という名のスクリーンショット撮影会をする。疲れたと言って座るベテランを囲み、雑談と休憩タイムを入れる。
おかげで、ベテラン揃いなら十分もかからないという初期ダンジョンの中で三時間も過ごしている。
画面に集中していると、常盤が戻ってきた。つまり、三時間も帰ってこなかったということだ。
メンターを兼ねる相棒である常盤は、稲荷が思うに、あまり仕事熱心ではない。あるいは、別のチームを掛け持ちしていて隠れて何かしているのかもしれない。
単独行動を好む稲荷にとっては、羽を伸ばす隙が多くて助かる。
とはいえ、「どうぞさぼってください」とは言えない。
「真面目な後輩」とか「優等生」として自身の在り方を周囲に固定したいので。
「常盤先輩。遅かったですね」
稲荷は悪びれない常盤を睨んだ。相手はまったく気にする様子がない。
「まだやってるのか」
「ボスを前にして記念撮影中です」
「楽しそうじゃないか。記念撮影を待ってくれるとは空気が読めるボスだな」
画面を見ると酔うという嘘をついたのを忘れたのだろうか。
常盤はコーヒー入りの紙コップをマウスの横に差し入れながら「このアバターはセンスがいい」だの「こういうイロモノアバターを使うやつはいいやつだよな」だのとコメントをし始めた。
「誰も時間を気にする様子がなくて、まるで時間が無限にあるような錯覚に陥りますよ」
「ネトゲはそんなもんだ。最近は娯楽コンテンツに時間を惜しむ風潮があるが、遊びってもんは……おっ?」
稲荷の弓使いアバターがボスに突進していく。
海賊団のボスは銃の形状をした腕を向け、迎撃の発砲音を響かせた。チャットが騒然となり、パーティメンバーが次々と前に進んで戦闘に参加する。
「お前いま、わざと」
「誤操作です」
アバターが死体となった隙にコーヒーをすすり、稲荷は仕入れた情報を共有した。
「こいつら、おかしいですよ。見てください、チャットログ。二言目にはルールだの、悪い子だの。ルールも変なんです……」
紙コップを置いて振りかえると、常盤は壁際のソファに身を沈めてスマートフォンを操作していた。
やや長めの黒髪は癖があり、セットしてそうなっているのか寝ぐせなのか見分けがつかない。
怠惰にも見えるし、油断のない獣にも見える。浮かれたハワイアンな格好は、絶対に似合ってない。
「稲荷、お前気を付けた方がいいぞ。その初心者ギルドで『悪い子』と呼ばれて監獄に連れていかれたプレイヤーは、必ず自宅近くの高所から転落死しているんだ」
稲荷のスマートフォンが通知を表示する。
常盤がファイルを共有した通知だ。
中身は、SNSで一度拡散され、現在は削除済みの『目撃者による衝撃映像』。
「僕はこの三時間で五度ほど悪い子と呼ばれましたよ」
「しかも身体の一部に白色症例と思われる異常が……お前は三時間で何をしでかしたんだよ」
「説明はもういいから先に進みませんかって提案したり議論しただけなんですけどね」
事件の被害者は、この初心者ギルドから出ている。
だと言うのに誰も気にする様子なく楽しそうにプレイして暢気に記念写真を撮っているのがおかしい。
稲荷は腕を摩った。
その拍子に、手が滑ってせっかくヒーラーが長い詠唱の果てにかけてくれた蘇生を拒否してしまっている。
「……白色症例なんですかね」
監獄にプレイヤーアバターを移動させるのは、普通ならゲーム会社の社員ゲームマスターの仕事だ。
だが、ゲーム会社は関与を否定している。
まあ、怪異の仕業なのだろう――稲荷はチャット欄を見て凡庸な顔立ちを困惑の感情に染めた。
黒いチャットウインドウは、同じ文言で延々と埋め尽くされていた。
『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』『悪い子』――
「なんですかね、こいつら。どうかしてますよ」
「一応、謝っておいた方がいいんじゃないか? 許してくれるかもしれん」
「許される必要あります?」
謝罪は荒れた場を落ち着かせる容易な解決方法だ。しかし、自分が『悪い』と認める行為でもある。稲荷は憤然とキーボードを叩いた。
『やめてください。初心者を取り囲んで意思を無視して悪い悪いと集団で責め立てるのは親切じゃないと思います』
「僕は徹底的にレスバしますよ」
「生意気な初心者だな」
「どっちの味方なんですか? 明らかに変でしょう、このひとたち」
抗議をしても、ログは「悪い子」で埋まり続ける。
これはもうだめだな――稲荷はギルドを脱退し、ゲームを終了させた。
終了間際にチャット欄のスクリーンショットを保存して開いてみると、画像は真っ白だった。
これはホラーだな。それか、サイバー犯罪者の仕業か。
まあ、たぶんホラーだろう。
稲荷は画像を共有し、ここまでの報告書を作成した。




