立ちんぼのカオナシさん(2)
稲荷の組織【チーム救世主】のグループチャットは、いつも誰かが既読をつけて反応してくれる。
稲荷:夜は怪異を見てきます
稲荷:ポチのときみたいに怪異の性質を変えられたらと思うのですが
夏海:こういう外見はどう?(画像共有)
秋穂:描くの早い! カオナシですね
秋穂:囮役とかが必要なら私が行きましょうか
稲荷:怪異ゲットにご協力いただけるメンバーは待ち合わせ場所にいらしてください!
冬山:応援してます
冬山:こちらは保護した子たちをとりあえず社寮に案内しています
冬山:未成年者の扱いが大変ですね、親に許可もらわないと誘拐犯になってしまいますから
七氏:冬山さんの手伝いをしてます
夏海:おばあちゃんが「遅い時間に治安が悪いところに行くのはだめ」って言ってるからごめーん
夏海:絵をプリントアウトして使ってね
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
夜空は分厚い雲に覆われていた。
待ち合わせ場所には常盤と稲荷だけが揃っていて、チャットのログを確認した限り、他には誰も来ない様子――否。
「いたいた。こんばんは」
秋穂の母親がおにぎりの差し入れを持ってきた。夏海のおばあちゃんも一緒だ。この保護者組は仲がよくて、密に連絡を取り合っている。
「わたしたち、若い子たちには囮はさせられないなって思って……」
「特に女の子は危ないからねえ」
眉を寄せて言うふたりに、稲荷は焦った。
このふたりへの対応をミスると面倒なことになるぞ。
「そうですよね」
共感を示し、「僕はわかってますよ」と安心させることが肝要だ。
「僕も形式上みなさんに聞いてみただけでして……ほら、仲間外れにするのも、不公平な感じがするでしょう」
秋穂の母親は幽世で過ごす時間と夏海のおばあちゃんとの友情が良い刺激になっているようで、会うたびに顔色がよくなっている。
あるいは、きつねの加護のおかげでもあるのかもしれない。
「稲荷さん、こんばんは。わたしたち、囮になりに来たんですよ」
「怪異さんはおばあちゃんでも食べてくれるかしら」
「娘に危ないことはさせたくなくて……」
二人が意外な申し出をしてくれたので、稲荷は意表を突かれた。
「怪異はたぶん、年齢は気にしないのではないですかね……」
正直、囮役をしてくれるのは助かる――そう続けようとしたが、常盤の視線がどうも痛い。
お前は年配の女性陣を危険に晒すのか――そんな言外の非難を感じて、稲荷は人差し指を天に向けて立てた。
「怪異の好みはわかりません。僕も囮になりましょう……常盤先輩もやりましょう。全員で並んで、選ばれたら勝ちですよ」
ゲームのように言うと、常盤は賛同してくれた。ネトゲにも詳しそうだったし、FPSが得意なようだし、この先輩はゲーム好きなのだ。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
――何を望んでここにいるか?
誰かに問われた気がして、迷うことなく返事する。
「ましな自分になりたくて。ましなことをしたくて……怖いけど、怖いことから娘を遠ざけて、代わりに自分がする方が自分がましになる気がして」
私の人生なんて、もう、いつ終わってもいいの。
秋穂の母親、山岡加代子は夜の公園に佇みながら怪異を待っていた。
怪異は怖いが、ぱくりと食べられるなら自分が最適だ。
いつからだろう、人生は何もかもがうまくいかなくなっていった。
心と体、どちらを先に病んだのか、記憶は定かではない。人間関係がいつから壊れていったのかも、そもそもまともな人間関係が作れたことがあったのかもわからない。
娘の手を引いていた自分が、いつからか娘の足を引っ張る存在になったのを自覚している。
……どうしてだろう。
社長令嬢に生まれ、親から可愛がられていた。
学生時代はもてていた。良い大学、良い会社に入るために勉学に勤しんだ。
女男問わず友達は多く、容姿も成績もよかったからコミュニティでも立場が上の方にいた。恋人は何人かいて、ときには取り合いをされたりストーカー行為をされたこともある。
親の会社が事業に失敗して、父が亡くなり、母が病死した。みんな同情してくれたが、腫れ物を避けるように周囲からひとが消えていった。
関係が続いた友人はいたが、社会に出ると疎遠になっていった。
過去の仲間と連絡が途絶えた状態を当たり前だと思うようになってきた頃、結婚して家庭に入った。
夫はモラハラ気味だったが子供は可愛いかった。
ママさんグループは揉めがちで、マウントやいじめがあった。夫に話すと「俺がお前たちを養うために社会で苦労しているのにくだらないことで悩んでいてうらやましい」とか「お前が俺の金を無駄遣いするのがイラつくから自分が使う分は自分で稼げ」とか言われるようになったのを覚えている。
結婚前に勤めていた会社は再就職ができなくて、加代子はスーパーのレジ打ちをしたりコンビニ店員をしたりした。ママさんグループのメンバーに見られてグループ内で馬鹿にされたのを覚えている。
夫が偶然、お客さんとして来店して、他人のふりをされて……隣には綺麗な若い女性がいて……思い出す。思い出していく。
つらいことは考えないようにしましょう、薬で心の調子を整えましょうと言われて、ずっと丸くなって眠っていたことを。
夫はだんだんと加代子を「ばばあ」と呼ぶようになっていった。休日出勤や出張だと嘘をつくようになっていった。
子供のために浮気の追及をせずにいたら、浮気相手に子供ができた。夫は加代子と秋穂を捨てた。
「あーちゃんにはママがついてるからね」
わたしにはあーちゃんがいるから。
シングルマザーとして立派に働き、子供に不自由させず幸せにする。
そんな理想と加代子の現実は違っていた。
だって、都会には弱者を哂うひとはいても、助けてくれるひとは見当たらなかった。
あちらこちらで蔑視され、悪意ある囁きが聞こえて、生きるために必要な就労や支援の申し込みすらお断りされることがあった。
削られて摩耗して、ねえ。そんなんで聖人君子みたいな人間でいられるの?
疲れているの。ぼろぼろなのよ。もうギブアップってずっと言ってるの。
わたしはつらくて不幸だから、仕方ないの。
泣いていていいの。駄々をこねていいの。
誰かに寄りかかっていいの。立ち上がれないの。
寄りかかれるひとが子供しかいないから許してね。ずっと寝ていることしか、もうできないの。
夫が悪いの。ママ友がひどいの。社会のせいなの。わたし以外の全部のせいにして、もう何も考えたくないの。
ひゅう、ひゅうと風が吹く。
現実、現在。
気付けば子供が奇縁を拾ってきて、引っ張られるようにして、生活は少し改善した。
自分を理解して、助けてくれるひとができた。夏海さんのおばあちゃんは、加代子より年上だからこその安心感がある。
『加代子さん、だいじょうぶよ。まだまだ、人生これからよ』
笑い皺の目立つ目元が優しく微笑み、骨ばっていて冷たい手が自分の情けない手をさすってくれる。
肩を抱いてくれる。抱きしめてくれる。一緒に歩こうといってくれるから、ここに来れた。
――ごめんねえ、あーちゃん。ママ、だめなママで、ずっと迷惑かけて、ごめんねえ。
夜風は乾いていて、ひんやりとする。
広い世界の隅っこに、ちんまりと立っている自分は、みじめったらしくて、呼吸しているだけで有害に思える。
わたしが生きていることで、誰も喜ばない。
もしわたしが子供なら、だめなところがあっても未来がある。けれどわたしはもう衰えるのみで、年々ひどくなるのだろう。
すでに、かなり見苦しい自分になっている。
そんな考えが、いつもある。
だけど、今夜ここに立っている。
しゅるり。ぬちゃり。
明らかに不自然な音が聞こえて、どきりとする。
嫌な予感がして、現実を見たくない。でも、「見た方がいい」とも思う。
そっと左右を見て、加代子は心臓が濡れ手で撫でられたみたいにゾッとした。
……一定間隔で立っていた他人が、誰もいない。
公園にいるのは、加代子だけだ。
恐ろしい予想を胸に音の方向に視線を向けると、そこには真っ白な何かがいた。事前に聞いて予想していたのと、姿形が少し違う。
うぞ、うぞ。
それは、細長い線虫の集合体のようだった。
長く細いそれらは各々が蠢きながら絡み合い、人間の形を作っている。
その右腕が前に出て、加代子へと伸びてくる。
「きゃああああ!」




