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東京禁胞区  作者: 朱音ゆうひ@4月1日新刊発売!
二章、降神衆

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10話、立ちんぼのカオナシさん

 八十七歳。一人暮らし。妻は他界済。子供はなし。

 闘病を諦めて終活中。それが私だ。

 

 初夏の夜、私は妻の遺影に手を合わせて家を出た。別に自殺しようというわけではない。ちょっとした冒険だ。


 行き先は、新宿区の大久保公園。通販ショッピングで購入した杖をついての夜の散歩だ。


 トー横や立ちんぼといった社会問題は、私が財産の整理を考えはじめ、書類を眺めていたときに知った。路上で暮らす者や、身体を売る若い女がいる、と。おいおい、治安が悪いじゃないか。


 年寄りが一人で近づけば、襲われたりするかもしれない。

 危険だ。だが……別に構わない気もする。

 人生最後の冒険だ。そう思うと、わくわくした。


 公園に入ると、等間隔に人影が立っていた。しゃがんでいる姿もある。

 

 女性というより女の子。若いというより幼い。そんな感想が胸を突く。


 気付けば私はポケットから紙幣を取り出していた。

 一番近くの娘に差し出すと、顔をしかめられる。

 ああ、私は年甲斐もなく若い娘を買おうとしていると誤解され、購入拒否されているのだ。おそらく、「それっぽっちか」と金額も馬鹿にされているに違いなかった。


 私は恥ずかしくなった。

 無言で彼女に紙幣を握らせて、返事も待たずにその場を去った。

 それが、一日目。


 その夜の経験は翌日もその翌日も私の中でわだかまってしまった。どうにも落ち着かない。気になってしまう。

 静かな夜に、さあ寝ようと思って、やり残したことがある感じがしてそわそわとしてしまう。

 それで、私は外に出た。

 

 立ちんぼは、時間が巻き戻ったみたいに同じ公園に並んでいた。

 それを見た私は、むしょうにやりきれない気分になった。

 彼女たちは自分とまったく関係がないが、気づけば私は紙幣を配り歩いていた。

 

 愚かなことをしている自覚があったが、どうせそんな自覚もそのうち感じなくなる。自嘲気味に俯き、逃げるように立ち去ろうとした。


 そのとき。

 誰かが「ありがとう」と言ったのが聞こえた。


 私のさび付いた心臓が、その瞬間に少しぬくもった。

 もはや誰からも気にかけられることなく、世の中に居場所がなく、肉体も衰えて「もういいだろう」と日々ゴールテープを意識させられている。


 そんな私の背中に、誰かが感謝してくれたのだ。

 

 

 お互い、名前も知らない。けれど顔なじみ。

 約束もしていないが、そこに行くといる。

 

 そんな立ちんぼの公園に通う日々はあっという間に過ぎた。

 私は病状が少しずつ悪化して、家を離れる予定ができた。もう来ないよ、と別れを言うべきか迷った。

 もし「いつ来るだろう」と待ってくれる娘がいたら申し訳ない。だが、自意識過剰な気もする。

 

 愚かな私、寂しいぼけ老人め。勘違いするな。自分はそれほど彼女たちにとって価値のある存在になったわけではないぞ。

 思いあがるなよ、私は、ただ通りすがりに金をばら撒く阿呆だ。

 野良猫なら可愛げがあるが、私は金を撒くだけの……あまり卑下するのはよくない、やめよう。

 

 しばし、ひとりで考えた結果、やはり別れは言わないことにした。

 

 ふらりと立ち寄り、ある日を境に来なくなる。

 それが(いき)ではないかね。


 いつも通り、杖を突いて公園に行く。


 そこで私は、得体のしれないものを見た。


 まるでハロウィンの仮装のような、真っ白なお化けだ。

 お化けは立ちんぼの前をゆっくりと歩いてひとりを選んだ。手から金塊を出し――相手がそれを受け取る。

 

 すると、真っ白な体の頭部がくわりと牙を剥き、物理的におかしな大きさの口を開いて……お化けは女の子を丸呑みにしたのだ。


 

   十話、立ちんぼのカオナシさん


 ――朝。

 

「私は驚き、警察を呼びました。お化けは夜の闇に溶けるように消えていき……他の子たちは何も覚えていないと言うのですが、本当です。夢ではありません。信じてください、刑事さん」


 通報者の老人が真剣に訴えかけてくる。


 彼にすがるような目で懇願された『刑事さん』――稲荷三朗は、熱のこもった眼差しで頷いた。


「僕はあなたを信じます。任せてください。それにしても、名前も教えずに施しをして去っていくって本当に(いき)ですね。僕も真似しようと思います」


 そして数時間後。

 事件は白色症例案件候補として、正式に調査対象となった。


   ◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆


 美味い食べ物は正義だ。

 

 歌舞伎町の新宿東宝ビル近くの路地裏で網焼きの上で肉をひっくり返しながら、稲荷はトー横キッズに愛想を振り撒いた。

 聞き込みという建前でやってきたが、真の狙いは組織の人員増強だ。


「皆さん、お代わりいっぱいありますからね。たんと召し上がってください。僕の奢りです」

 

 言う前からどんどん肉が攫われていく。

 

 プシュッと缶を開ける音がして、見ると冬山が缶チューハイを飲んでいた。こちらは偶然同じタイミングでやってきた出来立てVtuber事務所の所長という触れ込みでチラシを配っている。

 

 冬山はクルーズ船の夜のあと、改めてコンタクトを取って組織に抱き込んでいる。

 そんな彼が調査組の隣で何をしているのかというと、勧誘である。


「君、いい声してるねえ! うちの会社ネオン・アークっていうんだけど、Vtuberやらない? 作りたてなんだけど、三食と寮付きだよ」

 

 冬山は金持ちだし、新しい挑戦企画に好意的だ。

 稲荷が話を持ち掛けると、「面白そう」とか「やってみたい」という言葉がすぐに返ってきた。協力的すぎて不気味なくらいだ。実現させるだけの資金力がある人材なので、頼もしすぎる。

 僕は方向性を示す。仲間は動いてくれる。

 組織運営とはかくあるべし――稲荷はほくほく顔になった。


「彼知ってます? この動画見た? 『先祖は皇族? 断絶の危機にある灰守家の家出少年が路上パフォーマーやってたから勧誘してみた!』……そうそう、この少年が彼! 今じゃ、うちの会社の看板アーティストだよ」

 

 冬山に紹介されると、七氏(ななし)がぺこりと頭を下げた。白い髪がさらりと揺れる。網焼きの上に野菜を追加していた常盤が手を止め、いそいそとスマートフォンを取り出すのが気持ち悪い。


「Vtuber事務所なのに顔バレしていていいのか?」

「あはは。変身ヒーローみたいなもんですよ。二つの姿があるんです」


 キッズの冷笑にニコニコと揉み手する稲荷の視線の先で、七氏はギターの弾き語りを始めている。


 流行している覇権アニメ『神異配信オカルトジャポーネ』の第一期のオープニング曲だ。

 

「この曲は俺の知らない曲だな」

「そうですか」


 常盤はスマートフォンで動画を撮り、曲が終わると煙草に火を燈した。


「先輩がそうやってプカプカ吸うから、僕はすっかり煙草の匂いに慣れてしまいましたよ」

「いいか稲荷。七氏さんは霊輪世界で有名なアーティストなんだ」


 常盤はキッズの喧騒をまったく気にすることなく、七氏の功績について教えてくれた。

 

「七氏さんは降神衆だったが、稲荷が神卸しをしたのちに組織と決別した。人類を救うための活動を始めたんだ」

「僕も人類を救うために活動してるんですけどね」

「避難所で歌を熱唱し、当時はまだ人類を支援することに積極的ではなかった薄情な神々に訴えかけた。結果、その神々の一部は支援側に参加してくれたんだ」


 この先輩ときたら、こちらの話を聞きやしない。

 

「先輩が七氏さんのファンな理由が理解できましたよ」

「ついでに言うと、彼の娘は生まれながらに木花咲耶姫(このはなさくやひめ)の加護を賜った姫巫女でもある」

「え、七氏さんって子持ちなんです?」

「これから生まれるんだ」


 常盤は真剣な目をしていた。なるほど、と稲荷は首を傾げた。

 

「ということは、七氏さんが死ぬと霊輪世界は滅んでしまう?」

「そうだ。だから絶対に守らないといけない」

  

 僕は「世界のために殺せ」と言われて狙われているというのに、あちらは世界のために守られるのか。なんか納得いかないな。

 

 稲荷は理不尽な現実に対する不満を持て余し、焦げ肉を七氏の皿に盛りつけた。

 

 周りを見ると、キッズは親が毎月機種代と通信費を支払っているスマートフォンで焼肉や弾き語りの写真や動画を撮り、SNSに流している。


 冬山は積極的に動画に登場して勧誘トークをしたり、勧誘チラシを持って写真に映りこんだりしている。


「冬山さんってやっぱりゲットする価値のある人材だったな」


 冬山の活躍ぶりは理不尽な現実への不満を少し緩和してくれたので、稲荷は七氏の皿に盛った焦げ肉を常盤の皿に移したのだった。

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