准教授のゼミナール(2)
バイトの日になった。
気象変動の影響で、最近の日中は、外にいるだけで命の危険を感じるほどの気温が観測されている。
そんな中、「天気予報が曇りだから」と外で待ちあわせをする稲荷准教授は強気だ。
もし天気予報が当たらなくてめちゃくちゃ暑い朝になり、熱中症で倒れる生徒が出たらどうするんだ?
しかし、当日は朝から曇っていた。天気予報の勝利だ。
俺がどこか悔しさを感じながら集合場所に行くと、メンバーが集まっていた。
まず、都心の屋内イベントと勘違いしてそうなワンピースと靴の金髪女。どんぐり一個しか入れられないんじゃないかと思う大きさのハンドバッグ付き。
次に、行き先が湘南だと言われた方が納得する浅黒い肌の派手男。浮き輪持ってるし、絶対行き先間違ってる。
もうひとりは、顔色の悪い痩せた眼鏡男だ。過労死寸前の会社員を想起させるスーツ姿だが、大丈夫か。
稲荷准教授は煙草の煙をくゆらせ、柔和に微笑んだ。
俺は煙草を吸わないが、この准教授が美味しそうに煙をくゆらせている姿を見ていると気になってくる。美味いのだろうか。
「みんな、こちらはアルバイトの三郎君だよ。三郎君。ゼミ生を紹介するよ。山田君、渡会君、花怜院さんだ」
「紹介ありがとうございます。ところで、稲荷先生。なぜ俺だけ名前で呼ぶんですか?」
「息子と同じ名前だから」
俺が最後に着いたようだが、10分前に到着したのだからセーフだろう。
稲荷准教授も気にしてなさそうだ。早朝の晴れ空が似合う爽やかな微笑を見せている。
ゼミ生は俺の名前を覚える気がないようだった。バイト君、バイト、と呼んでくる。
「バイト君、荷物よろ」
「バイト、結構イケメンじゃん」
俺の故郷の教えだが、人間関係は鏡に似ているという。
つまり、相手が俺を後輩扱いしないなら、俺も相手を先輩扱いしなくていいということだ。
それにしても山田が死にそうだ。目が開いてないぞ。しっかりしろ山田。
「買ったばかりなんだ。素敵だろう?」
稲荷准教授は海色のミニバンに参加者全員を案内した。普段は家族を乗せているのだろう。子供のおもちゃが転がっていたりする。
三列シートの車内には花怜院が真っ先に乗りこみ、渡会が続く。
山田はその後でふらふらと後部座席に座り、俺は山田の隣に収まった。
山田は眠らなかった。
「三郎君だっけ。ごめんね、実は納期が迫ってて」と言い出し、ノートパソコンでプログラミング作業らしきものを始めた。勤労学生同士、気が合いそうだ。名前も覚えてくれた。いいやつだ。
前の座席では花怜院がスマホで「オタサーの姫学生、合宿で危機一髪!」なるタイトルの縦読みカラーのエロ漫画を愉しんでいて、渡会はゲームをしていた。しかも配信している様子で実況していやがる。
この二人は、気が合いそうにない。
稲荷准教授はというと、「ふう。落ち着いていこう。カーナビがあるから行ける」などと不安を煽る呟きに始まり、「おっと危ない」だの「怖いなあ」だのと心配にさせることばかり言いながらハンドルを握っている。
山田は余裕のない顔で一心不乱に仕事をしており、途中で耳栓を取り出して騒音を防ごうと努力する様子も見せていた。眠気覚ましのカフェイン飲料をリュックから取り出して飲もうか迷うそぶりを見せ、時間的にトイレが心配だからと呟いて飲まずに仕舞ったときは「お前、もう寝ていいよ」と言ってやりたくなった。言ってみた。
「山田……先輩。寝た方がいいんじゃないすか」
「寝てる時間がもったいないから」
俺はすっかり山田に親しみを覚えた。
車内はフローラルな匂いがしていたが、数時間後に山田が吐いて地獄になった。
「ぎゃあああ! 最悪なんだけどぉ! う、う、うおぇっ」
「うおおお、やめろおおお」
花怜院は泣き叫んでもらいゲロを配信に映し、渡会は放送事故に陥った配信を止めて車内清掃を手伝ってくれた。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
車で揺られること数時間。
舗装された道はいつの間にか砂利道になり、やがてそれすら細くなっていく。
窓の外は山と木ばかりだ。
俺の故郷は田舎だったので、風景や舗装されていない道を進む車の振動に懐かしい心地がする。
「揺れすぎてやばーい。見て、眉毛増えちゃった。車ひっくり返りそう」
「先生、運転代わりますか?」
化粧直しをしていた花怜院が眉を増やし、渡会が免許を持っていることが判明した時、村は唐突に現れた。
木々が途切れ、ぽっかりと開けた空間に、古い家屋がいくつも並んでいる。
車から降りると自然の匂いがした。スマートフォンで時間を確認した拍子に、圏外表示が目に入る。
蝉と鳥の鳴き声がうるさい。遠くからは、お囃子も聞こえてくる。祭りをしているのか。
「うっ」
俺が呻いたのは、一瞬、足元に大量の白骨死体が見えたからだ。
「どうしたんだい、三郎君」
「……いえ」
瞬きすると、おかしな視界はまともな世界に戻っていた。
空は抜けるように青く、太陽がぎらぎらと地上を照り付けていた。暑い。むっとする空気だ。
「第一村人、発見! 記録係、仕事始めたほうがいいんじゃない?」
花怜院が呟き、稲荷准教授の背中に引っ付いて敬礼した。撮れと言うのか、その姿を。
さっきまでゲロ吐いて騒いでいたのがなかったかのような笑顔だ。まあ、元気なのはいいことだ。
俺が撮影を始めると、渡会も配信を再開した。
思ったのだが、俺は必要なのだろうか。渡会にさせればいいのではないだろうか。
「すみません、どうも道に迷ったみたいで……ここはどこですか?」
稲荷准教授は困り顔で『第一村人』に近寄っていった。カーナビがあるのに道に迷ってたらしい。
『第一村人』は大きな荷物を持った老女と男児だった。おばあちゃんと孫という雰囲気だ。
老女は声をかけられてびっくりした様子で一度動きを止めて、目を大きく見開いてこっちを見つめている。
どこかギラギラとした目だ。若干、気味が悪い。
「あ、ああ……」
老女は喘ぐように呼吸してから、乾いてひび割れた唇を赤い舌で舐めた。そして、どこか笑いきれていない不自然な笑顔を作った。
「こ……ここは、クニタチノ村です。ようこそいらっしゃいました。あまり知られていなくて、ひとが普段来ない村だから……嬉しいわぁ。歓迎します」
あやしくないか?
俺は同意を求めて周囲を見たが、他のメンバーは「ずっと車に乗ってて疲れたぁ」とか「Wi-Fiあるかな」とか喋りながら老女についていく。
ふうむ。ここで「俺だけ行きません」と反発しても俺が痛い奴になるだけだ。
なので、俺はみんなについていった。稲荷准教授はしきりに男児に話しかけている。
「何歳かな? ああ、そうなんだ? おじさんの双子の息子も同じくらいだよ。お友達になれたらいいねえ」
子供と話すとき特有の甘ったるい喋り方はひとによっては気持ち悪くなるやつだが、稲荷准教授は爽やかだ。品があるんだよな。あと、教養。知性? 清潔感?
全部ひっくるめて「イケメンは得」ということか。
◆◆◇◇◆◆◇◇◆◆
村の様子が徐々に見えてくる。
軒先には色褪せた提灯が吊るされ、家々の前には簡素な飾りつけが施されていた。藁とかで作っているようなやつだ。
古臭いが、統一感がある。俺の故郷もこんな雰囲気だった。嫌な思い出だ。
遠くから聞こえていたお囃子は、近づくにつれて音がはっきりしていく。
太鼓と笛、それに人のざわめきが重なって、村全体がひとつのリズムで脈打っているようだった。
その音を聞く感じ、意外と人口が多い気がする。それがなんとなく、違和感となって気味悪さを感じさせた。
見た目数人しかいない体育館が渋谷のスクランブル交差点みたいに見えない人の気配にあふれていたら気持ち悪いだろう。そんな感じだ。
「あの……ひとが多いみたいで、賑やかですね」
俺が思わず言うと、老女は聞こえなかった様子で無視した。
代わりに、男児が「おまつり」と教えてくれる。見た目よりも舌足らずで幼い声と言い方に、首筋が少しだけ冷えた。
道中の道幅は広かった。
俺たちは村の中央にある一際大きな古民家に通された。村長の家らしい。
畳の部屋に通されるとすぐに冷たい麦茶が出てきた。
「遠いところをようこそ。歓迎します」
現れた村長は、年の割に姿勢の良い老人だった。
「今日は祭りの日でしてな」
「祭り、ですか」
稲荷准教授が興味を示す。
「ええ。昔からの儀式です。男女が協力して柱を立てることで、神様に村の平穏を祈るのですよ」
なんかすけべ、と花怜院が呟く。
「すけべなのはお前だ」と言いたくなるのを堪えて、俺は人差し指を立てて目くばせをした。
「お客様、お静かに」だ。
その後は村の神様の話を聞いた。
故郷で崇めていたのと同じ神様だった。
俺は村を離れたくなってきたが、話を聞いているうちに稲荷准教授は飲酒して運転ができなくなって眠ってしまった。
気づけば夕方になっている。
村長はずっと俺たちに話をしていたが、祭りはいいのだろうか。若いもんに任せるとかそういうのか?
「あたしー、お祭り見てくる」
「俺もー」
花怜院と渡会が外に出ていく。
渡会は花怜院しか見ていない。
こいつ、何気に花怜院に気があるんじゃないか。
山田は和室の隅でずっとノートパソコンを弄っていたが、「納品できた!」と喜び、転がって寝てしまった。ゆっくり休んでくれ。
俺は撮影した動画をチェックしようかな。
機材に手を伸ばした時、外から尋常ではない悲鳴が聞こえてきた。
あの声は花怜院と渡会じゃないか。
何かあったのか?
俺は少し迷ってから、外に出た。
道幅が広く、家屋の階数が低い村内は、見通しが効く。
俺はすぐに二人を見つけて眉を寄せた。
「なんだ……?」
二人は背中に長い棒を当てられ、縄でぐるぐる巻きにされて運ばれていた。
しかも、単に運ばれているのではない。神輿状態だ。何人もの村人の手で担がれ、運ばれていく。
「やめろ、やめろよ!」
「助けて!」
明らかに異常事態だ。
ここは、やばい村だった。




