1話、神絵師の腕を食べる会
え? 警察のひと? あたしの話を聞きたいの?
……ああ、あたしの手の白カビ?
これが生えると才能が開花するんだって。
あたし、覚醒して神絵師になる予定なんだよ。これから。
今まで描いた絵? スマホ見せればいい? ほら。
……何の絵かって? Vtuberのファンアートだよ。
は、AI? ファンアートは使用禁止だよ。だから自力で神絵が描ける神絵師になるの。えらいでしょ。
え、白カビパワーで神絵師になっても、えらくない?
なんで? 神様が選んでくれたんだから、誇っていいでしょ。
一話、神絵師の腕を食べる会
春の雨上がり。
稲荷三郎は、練馬区の住宅街で聞き込み調査をしていた。
陽射しは強い。
年々気候変動が話題になるが、今年の春は一週間もしないうちに駆け抜けて次の季節にバトンを渡してしまいそうだ。
遠くの踏切の警報と子どもの声が平凡な日常感を醸し出している。それが、稲荷にはノイズにしか感じられない。
「あたしもう行くんで、ばいばい」
少女が肩にかけなおしたナイロン素材の鞄の端で、巻物を抱えた小さな神のマスコットが揺れる。
制服姿の背を追うように風が吹き、背後で吸われていた煙草の副流煙の匂いが鼻を突く。
紫煙の元は、稲荷の先輩である常盤神護だ。
黒いシャツに黒い外套の黒づくめ。
本人は「目立たない格好をしている」と言っていたが、百八十センチ台の長身に筋骨隆々とした体つき、精悍な顔立ちの常盤は目立つ。
先ほどから、通行人がちらちらと熱視線を注いでいる。特に女性の通行人が。
「ねえ見て! 芸能人かな?」
「ドラマの撮影かも。陰がある感じで格好いいね……!」
「陰がある」とはよく言ったもので、常盤はどこか陰気な三十路男だ。
稲荷のメンター兼バディだが、いつも葬式に来た故人の仇を見るような目を向けてくる。
何が気に入らないのだろう?
清潔感には気を使っている。
シャツに染みひとつないし、アイロンもきっちりかけている。
釣り目気味ではあるが、笑顔の練習もしている。柔和な印象は作れているはずだ。
「あのー、常盤先輩は喫煙するのが仕事なんですか?」
「お前が『僕に任せてください』と言ったから見守っていただけだ」
「煙草を吸う必要はないと思うんですよね」
稲荷は肩をすくめて常盤の煙草を奪い、宙に放った。
常盤が携帯用の丸形灰皿でそれを受け止める。
お見事――拍手してやると、常盤は「悪意を感じる」と呟いた。
おお、先輩。
「悪意があるんですよ」
思わず性格の悪さが滲む言い方になってしまった。
自分は性格が悪い。だが、まあまあ普通の好人物として周囲に認知されて生きていきたい。
稲荷は子供の頃、とある事件で家族を失い、ただひとりの生存者として保護された。
可哀想。つらいはずなのに健気な善い子――自他の認識はそれだった。それが最高に気持ちいい。
他人との関係はそうあるべきだ。それなのに、目の前の先輩とはどうも相性が悪い。
「……帰りますか」
世の中にはたくさんの人間がいる。全員と上手く付き合うのは無理だ。
「僕、相棒チェンジしてほしいんですよね」
「声に出てるぞ」
「出してるんです。こういうのって希望出しても通るものなのかな」
「お前の相棒は俺だから通らない」
「はあ……?」
稲荷は肩を竦ませ、車に乗り込んだ。
稲荷が運転席に収まると、助手席に落ち着いた常盤は業務用端末で報告をしている。端末から聞こえてくる声は、温厚な人柄とケーキ好きで知られる鈴木草馬室長のものだ。
「ふたりとも、お疲れ様。ケーキの差し入れがあるから気を付けて帰っておいで」
常盤は淡々と礼を言い、報告を続ける。
「例の『白色症例』です。写真を送ります」
『白色症例』。
それは、都内で散発する怪異事件群の総称だ。
共通項は『白』。
白いカビ、白い羽毛、白い殻。
感染症のようなクラスター性で、家庭やマンション、学校、SNSコミュニティなど、数人から十数人単位の被害が同時多発する。
世間的には発表されていない特殊事案で、二人が所属するチームが調査を担当している。
――公表したら世間ではどんな反応されるんだろう。
~想像~
『やあやあ、僕は善良をモットーとする正義のおまわりさんです。
今日は皆さんにお知らせがあるので聞いてください。
みなさんが住んでいる都市でホラーな事件が起きているのです。化け物や神様がなぜか東京都内だけ活発に出現して、ひとが行方不明になったり化け物になったり亡くなったりしているんですよ……』
馬鹿げてる。
稲荷は楽しい空想をしつつ車を走らせ、交差点で一度停止した。
現実の沈黙をふと意識してしまうと、何か会話をしないといけない気がしてくる。
「何秒間無言が続いたら放送事故」という概念にプライベートでも強迫観念を持たされてしまった放送業界人のように、稲荷は社交カードを繰り出した。
「そういえば僕、今朝の寝覚めが最悪だったんですよね。サーファーみたいな男がナイフで首筋をズバッと切りつけてきて死んだ夢を見たんですよ」
「そうか。それは悪夢だ。間違いない」
「常盤先輩って仕事終わったら何してるんですか? 飲みに行くとかやります?」
「俺のプライバシーを詮索するな。飲みに行きたいのか?」
「はは……どちらかというと闇討ちしたい気分です」
稲荷は投げやりな半笑いになった。
もう、信号が変わる。
「俺を襲うと?」
「あー、いえいえ。冗談に決まってるじゃないですか。僕は善良な公務員ですよ」
規則を守る人間は、境界線を越えない。
越えないと決めている。
生まれた時から社会にはそこに所属して生きる上でのルールがある。信号もそのひとつだ。
なぜ守らないといけないのかも理解している。
大人から子供へ、説明して教え込み、それが当たり前だとわからせて社会に適応する人間に育てられるからだ。
けれど、中にはルールを理解しない者や、理解した上で侵す者もいる。
稲荷は静かにアクセルを踏み込んだ。
「常盤先輩。僕、性悪説の信者なんですよ。でも、自覚して清く正しく美しくを心がけてるんです。なかなか見どころがある後輩でしょう?」
景色を後ろに流しながら、稲荷は自分で「正義のおまわりさんスマイル」と名付けて毎晩練習している微笑を湛え、気持ちよく自己陶酔したのだった。




