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東京禁胞区  作者: 朱音ゆうひ@4月1日新刊発売!
一章、龍神の代償

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白、赤、緑、黒、なりすまし(2)

 もう一度確認しようとするが、文字は止まらない。次々と新しい文が上から流れてくる。


「うーん。チャット? なんだこれ……」


 変な名前ばかりだ。

 指でコメントをなぞったりスクロールを試みて失敗していると、再び折り鶴が急かしてくる。頬を突かれて、稲荷は眉を下げた。


「……あ、ごめん」


 黒い折り鶴が、呆れたようにこちらを見ている気がした。こっちはこっちで何なんだ?


 折り鶴が飛んでいくので、稲荷は慌てて後を追った。


「……は? 商店街のど真ん中に鳥居があるんだけど……」

 

 しばらく進むと、視界の先に黒い影が現れた。

 鳥居だ。しかも、色が漆黒。

 幽世(かくりよ)――いつも稲荷が仲間と出入りしている境界の感触に近い空気を、肌で感じる。つまり、そういう場所に違いない。


「……ここから帰れたり?」


 呟くと、黒い折り鶴は肯定するように上下に動いた。

 折り鶴と意思疎通する日が来るとは思わなかった。まあ、帰れるならありがたい。

 

 安堵して一歩踏み出しかけた時、嫌な予感が背骨をなぞった。


「待ちなさい」

 ダアン――


 女の声に続き、重い銃声が物騒に空気を揺らした。反射のように肝が冷えて、危機感に体が沈む。

 一瞬前まで上半身があった空間を、凶弾が通過する。

 頬の皮膚が引き攣る――反射的に地面に伏せてよかった。『また』やられるところだった。


 ……そうだ。僕は今、殺されかけた。『また』襲われているんだ!

 

 動物的に危機回避してから一拍置いて事態を理解する。

 鼓動が一気に跳ね上がる。


 すぐ動ける体勢を取りながら睨む先には、金髪の女が立っている。

 長い脚。無駄のない動き。片手に銃を構え、まっすぐにこちらを見据えている。

 殺意しかない……いや――なぜか恐怖に似た感情も滲んでいるな?

 怖いのはこっちなんだが?

 

「稲荷三朗。あなたは本当に気味が悪くて邪悪ね。何を考えているのかしら」

「撃たれるのは嫌だなとか、初めて話すのに随分ひどいことを言うんだなとか考えています。自分が言われたら傷つくことをひとに言わないでほしいな。教育の敗北というか想像力の欠如ってやつだと思うんです」

「何を被害者ぶっているの、この極悪人!」

「えっ、僕は一方的に撃たれて拉致された被害者ですが……」


 意外とまわる自分の舌に鼓舞されながら立ち上がり、相手の動きを警戒する。


「どれだけの人間が焼かれたと思っているの。あなた一人で、何万人分の命を踏み潰したのよ」

「何の話ですか? あの、人違いだとおも……」

「あなたの話は聞いていないわ!」

「えっ、僕の話じゃないんですか?」

 

 まったく会話が成り立っている感じがしない。これはわかりあえない相手だ。

 そういえばだれかさんが「あの女にはふられた」とぼやいていなかったか。

 女の趣味が悪すぎる。

 

 女の背後には、何人か仲間らしき人間が集まっている。

 くそ、多勢で武装しやがって。こっちは丸腰でぼっちなのに。

 

 再び銃口が上がる。

 そのとき、黒い折り鶴が強く腕をつついた。


『行け』

「んっ……?」

 

 声が聞こえた気がした。

 驚く間もなく、折り鶴は女に向かって飛んでいく。まさか、小さな紙の体で時間稼ぎでもしてくれるつもりなのか。じゃあ、遠慮なく僕は逃げるぞ。

 

 鳥居はすぐそこだ。稲荷は駆けだした。鳥居に滑り込む刹那、後ろ髪引かれて振り返る。


 ぐしゃり。

 女が折り鶴を払い落し、ハイヒールのつま先で踏みにじる光景が見えて、一瞬、足が止まりかける。胸の奥に苦いものが広がる。

 

「…………ありがとう……」

 

 黒い紙片が、地面に押し潰されて動かなくなる。

 それを網膜に焼き付けるようにしながら、稲荷は異世界を後にした。


 鳥居をくぐると、安全な場所に潜り込んだ感覚に包まれる。

 異質で何かがズレている、そんな幽世に移動した感覚と共に、鳥居が消える。数秒前までいた世界が消えて、真っ暗な世界になる。

 

 あの鳥居は、おそらく、稲荷を助けようと誰かが作ってくれた門だったのだ。

 おそらく女がここまで追ってくることはないのだろう。 


「……くそ……」

 

 あんな紙切れが潰されたからなんだっていうんだ。ショックを受けることないじゃないか。

 

 僕ってやつは繊細だな。それに、善良なんだ。

 優しいんだよ、僕は。だから折り鶴なんかにも情が移ってさ。

 ……だから……ムカつくな、あの女。

 一方的に捲し立てて。暴力的だし。ムカつくよ……。

 

 ああ、煙草の匂いがする。

 残り香のようなそれが切なく思えるのが、嫌だった。

 なんだか、理想のヒーローはこうじゃない、と感じる。格好いいやつになり損ねた。そんなみじめな、負け犬っぽい感じがして、腹が立った。


 ここに導いてくれたのが味方なら、きっと元の世界に戻る門があるはず。

 稲荷は見知らぬ空間を見渡した。真っ暗な空間だ。何も見えない。

 否――見えた。

 

「え……」

 

 稲荷は双眸を最大限まで見開いた。


「にい、……さん……」


  呼んだ瞬間、ぞわりと総毛立つ。

 『それ』は、ひと呼吸するほどの時間ののちに、こちらを見た。

 

 そこにいたのは、兄だった。

 

 記憶にあるのと同じ少年姿で、死神のようなローブを纏い、死神の鎌のようなものを引っ提げ、棒状の何かを持っている。ばかでかい線香に似ているが、灰が落ちない。燃えている気配もない。

 それでも黒煙だけが線香の先端から噴出している。しかも、煙が発するのは線香の匂いではない。

 折り鶴と同じ匂いがする。つまり……。

 

 これは兄さんではない。


 なんとなく。なんとなくだけど、兄さんは、『白』だ。これは『黒』だ。

 あと、兄さんはこんな匂いしない。


 理解が追いつかない。思考がまとまらない。


 稲荷にわかることは、何かが兄の形をして自分の前に立っている、ということだけだった。


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