6話、白、赤、緑、黒、なりすまし
「へー! 鳥居をくぐったら異空間に行けるんだ? 漫画みたいだね」
「ここに鳥居があるとわかってる有資格者にしか鳥居は見えないんですよ。ご参考までに僕は幽世と呼んでいます」
「ふーん。ゲームじゃん」
「ゲームになった……」
夢の中で、稲荷は夏海に『秘密基地と現実を行き来するための入り口』を教えていた。
日常には神秘や怪異が潜んでいる。
兄が過去に変なものを招いたからか、それより以前から元々そうなのか。
人間は意識していないだけで、いつでも現実と薄皮一枚隔てた不思議に足を踏み入れることができるのだ。
……おや?
薄紅の桜が暗い視界に舞っている。
ひらり、はらり。優美な桜は、地表から投げられた白い炎に襲われて燃え上がった。
白い炎を投げたのは、人間だった。
桜が燃える。緑が燃える。
炎が広がり、侵食する。
白い粉が降る。白い胞子が振りそそぐ。
染まる、染まる。
世界が白く染まっていく……。
「……はっ」
稲荷三朗は一瞬で夢から覚めて現実を見た。全身にぐっしょりと汗をかいていた。
身動きが取れない。縄のようなもので縛られている。呼吸を数回繰り返して、くしゃみをこらえる。
埃っぽい部屋だ。それに、有機的な匂いがする。
血が乾いたような匂いと違和感に視線を落とすと、自分の胸から腹にかけて赤黒い血痕が派手に残っていた。
――撃たれたんだ。そして、海に落ちた……。
「ええ、ええ、そうです。私たちはミッションを達成しましたの」
女の声が聞こえる。右隣の部屋からだ。
視線を巡らせると、稲荷がいる部屋は四角い部屋だ。テーブルも椅子もベッドもない。
天井にも壁にも緑色の蔦が茂っている。
大きな窓があって、そこも緑の蔦とびっしり生えた葉で塞がれていた。
窓ガラスもカーテンもなく、緑の隙間からは微風が吹き込んでいる。
異様だ。
「私たちはかの世界から災いの芽を摘んだ救世主ですわね。あとは始末するだけですが、稲荷三朗は何度殺しても蘇生してしまいます」
隣の部屋から女の声が聞こえる。問題生徒を嘆く教師みたいに耳を疑うことを言うじゃないか。
つまり、こいつが狙撃犯だ。しかも僕は何度もやられているらしい――何度も?
その言葉が、耳の奥で妙に引っかかった。記憶を辿ろうとして、ふと、手応えが途切れる。
僕がいつ、何度殺されたっていうんだ……。
背筋に、冷たいものが這い上がった。
「彼は私たちの手にあります。神々もご覧になっていますから、ご協力を願いたいところ……」
話し相手の声は聞こえないが、電話でもしているのか。
とりあえず女の声は駄々洩れだ。どのように殺せば稲荷を殺せるかを検討している。……嫌すぎる。
稲荷は縛られたまま窓辺に寄った。
自分がどこにいるのかは不明だが、どうせドアには 鍵がかかっているだろう。
もし逃げるとしたら、カーテンの代わりに緑に覆われている窓からだ。
低層階ならそのまま降りていけるし、高層階でも蔦が外にも生えていればうまくすれば縋って降りられる。
問題は縛られていて身動きが取れないこと――と考えていると、ふとくすぐったさを覚えた。それに、煙草の匂いも。
見ると、縄の周囲に黒い折り鶴が留まっている。
折り鶴は、まるで生き物の小鳥のように縄の周囲を飛び回り……ぱらりと縄が解けた。解いてくれた。
「おお……」
よくわからないが、ありがとう見知らぬ折り鶴。
気のせいでなければ前にも何度か似たような折り鶴を見かけてるんだよな。なんなんだろう。
わからないことだらけだが、今はひとまず脱出だ。
さて、隣室の声が聞こえるということは、こちらの音も隣室に届きやすいはずだ。
稲荷は音を立てないように気を付けながら立ち上がり、窓に寄った。
手で緑をかきわけて外を確認すると、そこは異世界だった。
異世界といっても、ゲームやアニメでよくある中世ヨーロッパ風ではない。
東京の都市の面影がある。
都市の建物は緑と白に覆われていた。
緑は植物。白はキノコ。緑と白キノコが都市を侵食しているのだ。
スカイツリーと思しき高い建造物がもっとも巨大なキノコと化していて、そこから白い胞子が降っている。
しかし、どこからか桜の花びらもはらり、ひらりと降っていて……つまり、明らかに異常だ。
上空は都市に蓋をするように、ドウム状の何かがある。
色は黄緑色。
映画やアニメで見るような、多角形で構成された……『バリア』と呼ばれるとしっくりくる半透明の覆いだ。
バリアの外には暗雲が分厚くどんよりと垂れこめている。
奇怪なことに、黒い雲とバリアの間には、赤い太陽が炎を纏って燃え盛っていた。太陽は時折、赤い火の玉を地上に向けて落としている。しかし、黄緑色のバリアに阻まれている……。
かさ、かさ。
指先に触れる軽い感触に、稲荷ははっとした。
黒い折り鶴が、手の甲を小突いている。紙のはずなのに、妙に生き物じみた動きだ。
折り鶴は一度だけ羽を震わせると、ふわりと宙に浮かび、そのまま窓の外へと滑り出ていく。
「……ついてこいってことか」
小さく呟き、稲荷はもう一度外を見下ろした。
ここは、二階だ。思ったより低い。
壁面には蔦がびっしりと絡みついている。
太いものも多く、手をかければ体重を支えられそうだった。足場もある。
――いける。
迷っている時間はない。隣室には、自分を殺す計画を練っている連中がいる。
深呼吸をひとつすると、土と植物の匂いに混じって、どこか甘ったるい、腐りかけのような臭気がじわりと身のうちに染みる。
嫌だな。ここは、居心地が悪い。
早く元通りの居場所に戻りたい。
稲荷は窓枠に足をかけ、蔦に手を伸ばした。
ざらりとした感触がする。普通の植物だ。
少し力を入れると、ぐに、と指先が沈む感触がする。もし重みに耐えかねて千切れても、とっさに掴むための代わりの蔦は大量に茂っている。高さもそれほどではないので、いけるだろう。
手で蔦を掴み、下部の蔦へと足を下ろす。蔦が軋むが、耐えてくれる。よし、もう一歩。
そろりそろりと降りる稲荷の視界の端で、白いものがふわりと舞った。
綿毛に似ている。胞子だ。
呼吸と一緒に吸い込みそうになり、咄嗟に息を止める。これは絶対に体に悪いものだ、と本能が訴えていた。
では緑は? 桜は?
――それらは、なんだか安心する。
桜などは特に、稲荷がいつも頼っている『兄と描いた狐神』を連想させる。
あれと全く同じとは思えないが、創りモノの『偽・狐神』の神域を彩る桜に、少し似ているのだ。
六話、白、赤、緑、黒
足が地面に触れた。周囲に人影はない。逃走がバレている様子もない。
黒い折り鶴は、急かすようにパタパタと飛んでいく。逃がしてくれる意思が伝わる。
唯一の頼りだ。稲荷は折り鶴の後を付いていった。
折り鶴は頭上に覆いのある道を選んでいた。
道中は人間の姿を見かけなかったが、時折遠くで爆音が響き、炎と煙が上がっている。
「はぁ、はぁ……」
目の前には、かつて商店街だったらしい通りが広がっている。このあたりは白いキノコがあまりない。
アーケードの骨組みは残っているが、その上も、柱も、看板も、すべて緑に覆われていた。垂れ下がった蔦が、カーテンのように揺れている。
黒い折り鶴が「遅いぞ」と窘めるように回転してから、すい、と進んでいく。
「……わかったよ」
小声で返事をした視界の隅で、動くものが見える。
反射的に顔を向けると、商店街の柱に取り付けられた、古いパネルモニターだった。真っ白の画面に、緑や赤の文字が流れている。
【偽の穀霊神が稲荷三朗を憐れんでいます】
【自称・天宇受売命が腹を抱えて笑っています】
【牛頭天王がもっと過激な見世物を望んでいます】
まるで配信のコメントのようだ。
ところで今、僕の名前が表示されていた?




