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きみをさがしてた  作者: 亨珈
Days
17/37

Days 1


 賑わっている図書館でも、専門書のコーナーではそれなりに厳粛な気分になるものだが、この学園の図書館は全館がセピア色に包まれており、何処か懐かしいような誰もが落ち着けるような不思議な雰囲気に包まれている。

 数十メートルも上に積み上げられた書棚とそれらに収まっている書籍たち。棚と棚の間の通路は一メートル程しかなく行きかうには気遣いが必要とされるが、ここでまだ誰かとすれ違うという経験をしたことがなかった。通い始めて十年以上経つというのに。

 スティールは、深海魚にでもなった気分で、ゆっくりと閲覧コーナーに向けて歩を進めていく。

 朝からびっしりと授業が詰まっている高等部に比べて大学部は比較的時間にゆとりがあるのだろう、いつもローレンスの方が先に来てはカーペットに座りぼーっとしていたり本に目を通していたりする。

 昨日の突然の事態で「お付き合い」とやらをすることになってしまったわけだけれども、それがどういうことなのか今ひとつピンと来ないまま、すぐにでも会いたい気持ちと会ったらどういう反応をしたら良いのかと迷う気持ちの狭間で、心なし歩が鈍っているのだ。

 通路が途切れ、書棚の陰からスティールはひょこっと顔だけ覗かせて閲覧コーナーを窺った。

 果たして当の青年はといえば、いつかの時のようにまた仰向けに寝転び転寝に興じているらしかった。

 額縁に収まれば天使の絵かと見まごうばかりのその姿に、恍惚と見入ってしまう。

 天窓から差し込む二筋の光に柔らかく照らされて、白皙の美貌に漆黒の髪が彩りを添える。他の学生と同じとは思えないほどに着こなされたベージュのジャケットが、今は赤いカーペットの上に放置されて、ローレンスはボタンを胸の半ばまで外したシャツの姿で寛いでいる。

 もしかしたら自宅よりも寛いでいるかもしれないのだが、そこまではスティールには判断できない。ただ、この図書館をローレンスがとても気に入っているという事だけは痛いほど感じられた。そして何故か寂しくなるのだ。

 そっと足音を忍ばせて、カーペットコーナーに上がると、自分も上着を脱いで軽く畳んで隅に置いた。

 もうすぐ本格的な冬がやってくるけれど、空調の効いた館内では着ていてもなくてもどちらでも良いという微妙な温度設定になっている。ただ、寝ている間は肌寒く感じるのではないか風邪でも引かないかと少し心配になった。

 しばらく考えてから少女はローレンスの上着を手に取り、体に掛けようとそろりとにじりよった。刹那、

「捕まえた」

肩からぐいと抱きこまれ、囁き声は耳元で聞こえた。

「ひゃうっ」

 変な声を上げてスティールは青年の体の上に全体重を預ける格好になっていた。自分の顔のすぐ傍に青年の顔があるのが判るのだけれど、そちらには目を向けられない。自分でも赤面しているのがはっきりと判った。

「ああああの、重いでしょ、えーと……その」

 腕の中に青年の上着を抱えたまま、シャツ一枚を通して顔や手に体温が伝わってくる。以前ならそのことに対しては安堵感しか抱かなかったいうのに、どうしてこんなにどぎまぎしてしまうのか。

「あのね」

 ローレンスは苦笑しながらまた耳元で囁く。柔らかなハイバリトン。

「誰も見ていないんだから、これくらいスキンシップさせて」


 スキンシップ……そっか、これもスキンシップかぁ。

 そこで納得するスティール。

 そういえば、シャールともこうだし、それなら普通なんだね?

 ここにリルフィは勿論いないので、相変わらず誰も突っ込みを入れてはくれないのだった。


 規則的な胸の音を聞いていると、次第にスティールも落ち着いてきた。それを見計らったようにローレンスの手の平が少女の顔を包み、そっと視線が合うように向けさせてくる。

「会いたかったよ」

「……うん、あたしも」

 それには素直に返答できる。会いたい気持ちに変わりはない。ただ、どうすればいいのか判っていないだけで。

 さらりと青年の大きな手が少女の髪を撫でる。心地良いその手の平の動き。

「ねぇ、こないだもここで寝ていたけど、おうちであまり眠れないの?」

 躊躇いがちにスティールは尋ねた。

「ああ、ちょっと睡眠時間足りない時期はこうなっちゃうかな。参ったよ、本当は人前で眠りたくはないんだけど、ここは居心地良すぎて」

 複雑な表情のスティールを安心させるように柔らかく微笑む。

「大丈夫、ちょっと仕事が忙しいだけだから」

「仕事……」

 束の間考えて、おずおずと切り出す。

「あの、それなら講義が終わったらあたしのこと待っていないで帰って少しでも寝た方がいいんじゃ」

「まさか」

 眉をひそめて哀しげな表情になるローレンス。

「きみと会えなくなるなら睡眠不足で死んだっていいよ」

 見開いた後に細められた深い紫の瞳。その瞳を見つめたままのスティールの目にじわりと涙が浮かぶ。

「やだ、冗談でも死ぬなんて言わないで」

 そうだった、この少女は自分の前世の男性と死に別れているのだ。

 ローレンスは迂闊な己の言葉を悔いて、自責する。

「ごめん、僕が悪かった」

 もう一度、両手で少女の頬を包み込む。

 こくりと頷いて、瞬きした両目からぱたぱたと雫が降って来た。


 何故か少女の泣き顔が懐かしい。

 泣かせたいわけではないのに、泣き顔ばかりが印象的で。

 本当はいつも笑っていて欲しいのに、どうして。


 目の前で女性に泣かれることなどいくらでもあった。それら全ては胸に響かない日常の出来事だ。

 出会って間もない少女の泣き顔を見るのは二度目。

 一度目は同じように眠った振りをしている自分の傍らで、〈ディーン〉に向けて話しかけて涙を流していた。けれども今回は明らかに自分のせいで泣かせてしまった。そのことがローレンスの胸を締め付ける。


「ごめん」

 もう一度謝罪して、体を起こしながら胸に少女の頭を抱き寄せた。

「泣かないで、僕も苦しい……」

「うん、あたしこそ、泣いてばかりで、ごめんね。なんかいつもかっこ悪いな、くしゃくしゃの顔で」

 指で頬を拭いながら、スティールはばつが悪そうに微笑んだ。

「スティールのことが気になって仕方ないんだ。だから毎日でも会いたいし、出来るだけ長く一緒にいたい。これからどんどん好きになりそうな予感がしてる」

 素朴で実直な言葉がスティールの胸に届く。

「放課後に会えないなら一体いつ会えばいいんだい?」


 ああ、そうか……。

 心の片隅で気に掛けていて、実は今日ローレンスに言おうと思っていたことがあったのだ。

 けれど、この状況で口にして良いものかどうか、流石のスティールも逡巡した。


「そのことなんだけど」

 迷いつつも、放っておくわけにもいかず口を開いた。

「実はあたし、今週ずっとクラブ活動さぼってて……その、来週は毎日とは行かなくても出ようかなぁと」

 ローレンスの方は呆然とせずにいられようか。

「あの、だから曜日を決めて……ね。またここで、その……週末は必ず来るから、他の日もちょっとサボるし」

 やや焦り気味でスティールが言葉を続ける。そして返す言葉もないローレンスをちらりと見上げた。

「あの……ローレンス?」

 今までは当然女性側が勝手に傍に来ていたので、自分の過密スケジュールにもさして疑問は抱いていなかったローレンスだが、いざ誰か一人と頻繁に会おうとするとそれがいかに難しいことか。講義の合間にも処理しなければならない業務をこなし、夕方の数時間を捻出するために睡眠時間も削って。それなのに、その夕方にも会えないと言われたら自分はどうすれば良いのか。

 尋ねなくても、週末の夜に外泊などもってのほかなのは自明の理。そして休日は〈シャール〉と早朝から会っている……らしいのだけれど。


2012/11/27 改稿

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