あなたにあいたくて
芝生のように丈の短い常緑草が遥か地平線まで地面を覆っている。その上を銀色の綿毛がふわふわと舞い、心地良い風がそれらを運んでいく。
首を巡らせれば、昼なお暗い鬱蒼とした森やところどころ崩れてはいるが堅牢な城壁に囲まれた都市も見える。かつては〈銀の君〉と呼ばれた男が眠っていた森と、その妻が治めていた城塞都市の名残である。ある日を境に王族全員が姿を消し、一時期は暴動もあったが、今は何とか平穏を取り戻しつつある自治都市なのだけれど、過去のような息詰まる緊張感もなく、のどかな空気に包まれている。
ラフなパンツスタイルに薄手の丈の短い上着を羽織った少年が、その草原に寝転んでいた。
緩くウェーブした銀色の髪を風にまかせ、仰向けになり澄んだ青空を見上げている。その瞳も空と同じくらい青く澄み、何かしら期待しているように口元には柔らかな笑みが浮かんでいる。
少年の近くの空気が、不自然に振動したかと思うと、何もない空間にぽっと人影が現れた。
リュックサックを背負った紅茶色の髪の少女である。
「シャール! 久し振りーっ」
少女はそのままの勢いで、少年の首に噛り付いた。
「元気だった? 二ヶ月も会えないなんて」
シャールの方も寝転んだままの姿勢で、傍にある少女の頭に手を回し、くしゃくしゃと髪を撫でた。
「元気だよ。ちゃんと生活してるよ。寂しかったけど、喜んでもらえたでしょ?」
大きな瞳をくるりと動かして、それでどうだった? と耳元で尋ねる。
「それよ!」
ガバリと体を起こすと、スティールは両腕を少年の顔の両脇について、じいっとその顔に見入った。
手の平で頬に触れてみても、やっぱりこれがシャールだなぁという感触しかない。一ヶ月前は、やや幼いとはいえディーンの骨格だったのに……。
しかしこの体勢、やはり前の月と同じように傍から見たら変な光景である。やはり誰も突っ込んではくれないが。
「うーん。やっぱりシャールはシャールだぁ……。でもなんだか大人っぽくなったよね? ちょっと会わなかっただけなのに」
少年から青年へと成長しつつあるシャールは、この二ヶ月でかなり面変わりしたように見える。小さな子供ほどではなくとも、男性は急に大きくなったりするものだが、シャールも今がその時期なのだろう。少なくとも外見上は、スティールより一つ年上の男なのだから。
「あーっもう、なんでもいいやっ。とにかくありがとうシャール」
ぱああっと輝くような笑顔を満面に浮かべ、スティールはもう一度体を沈めて彼の首に手を回した。
「どういたしまして~。二人に喜んでもらえて良かった」
シャールの方も、彼女の頬に顔を寄せて、すりすりと頭をこすりつけた。
「まだ犬気分抜けてないね~シャールったらもう」
笑いながらスティールもすりすりと返し、そのまま二人はゴロゴロと草の上を転がって笑いあった。
月に一度の逢瀬は、大体こんな感じで過ぎて行く。
都市や村に出向いて観光させてもらったりもするのだけれど、やはり二人で森や草原を散歩したり、こうしてのんびりとじゃれあったりする方が性に合っているらしいのだ。
普段シャールは生きていく糧を得るための仕事に忙しいし、スティールも学生だからそれなりに勉学に勤しんでいたりする。その息抜きのようなものだ。
それにしても……一つ年を重ね十八と十七歳になった青春真っ只中の男女の姿……には見えないような気もしたりする。
「でもね~なかなかディーン見つからないんだぁ……」
シャールの隣に膝を立てて座り、キュロットの下に覗く膝小僧を抱えてスティールは溜息をついた。
「狭間の界だって、連邦だけでも広いし、もしもちっちゃな島国なんかにいたら、見つけるの大変だよね」
学校あるし、何より遠くに行く軍資金もないしねぇと深々と溜息が続く。
んー。と唸りながら、シャールも体を起こして同じように膝を軽く曲げて座った。
「根拠はないんだけど」
ふ、と首を曲げてスティールを見遣る。
「それでもいつか逢えるよ。《縁》っていうのはとても強い絆だと思う。そして何より、二人ともとてもとても強く願っているから」
それが世界で一番大きな力になる。
なんだか説得力のある言葉だった。
「いつか、かぁ」
それまでに素敵なレディになってディーンを驚かせようとか、考えたりしたけれど……もしかしておばあちゃんになるまで逢えなかったらどうするの? みたいな。嫌ーな考えも浮かんでは脳の何処かに引っ掛かって消えてくれない。
むむむ、と唸っていると、駄目押しのように、シャールがきりりと表情を引き締めて、
「大丈夫、僕も手伝うよ」
と請け負った。
「手伝うってどうやって?」
不思議そうに問うてみるが、それに対しては、ただ漠然としたイメージしかないから説明できないとかわされた。
「……ん、そっか。シャールも手伝ってくれるんなら心強いね」
うんうん、と頷きながらそれでも不安は拭いきれない。
「それでさ、スティール。暮らしも少し落ち着いてきたし、会う回数もう少し増やしてもいいかな~と思うんだけど」
「そうなんだ? それが出来るならそうしたいよ」
言いながら、あーでもそうしたらディーン捜す時間減るかなーとちらりと考えてしまう。
その思いはシャールに伝わってしまったらしい。
「ごめん、向こうで僕も一緒に探せれば一番いいんだけど……」
しゅんと意気消沈した様子は、大きな白い犬が耳と尻尾を垂らしてしょんぼりしている姿を彷彿とさせる。
「でもさ、僕だって出来るだけスティールと一緒にいたいんだよ」
切れ長のディーンの漆黒の瞳とは百八十度も違うような、くりくりとした大きな青い瞳に見つめられて、困りつつも可愛いな~っとぎゅうっと抱きしめたくなってしまう。
「あたしだって」
昔よくしていた様に、またしても首に抱きついてしまう。どうも悩んでいるときや寂しいときはそうするのが習い性になってしまっているらしい。姿はもう大型犬ではないというのに、だ。
もしも近日中にスティールとディーンが出逢ったとしても、やはりシャールとの時間はこれ以上増えないだろう。そう思うと、ちょっとしまったかなぁやらなきゃ良かったかな、なんて嫌な考えがシャールの頭をよぎったりするのだ。
そんな自分が嫌で仕方なくて、でもスティールの喜ぶ顔が見たいのも本音で、どうしていいか判らなくなったりしている。
犬の姿のままなら、こんな風に変な悩みを持たなくて済んだのだろうか。
あの時、母親の能力の期限が切れて封印が解けさえしなければ、あのまま犬の姿のまま、少女の傍で幸せな一生を過ごすことができたのだろうか。
そうしたら、銀の界は消滅してしまっていたかもしれないけれど、少なくとも自分たちが生きている間は世界は均衡を保っていただろうし、何事も感じずに過ごせたのでは……。
そんな「もしも」の世界を思い描いても、やるせないだけだけれども。
そんな「もしも」があったとしても、では今からでもそうできるとしてそちらを選ぶかと問われれば、答えは「否」である。
「あのね、スティール」
首に腕を回したままくつろいでいる少女の背に手を回そうとして、リュックサックが邪魔なことに気付き「下ろしたら?」と伝える。
「あ、そうだ、シャールに渡そうと思って」
スティールはリュックサックを下ろすと、いそいそと中から本を数冊取り出した。
犬のときに得た知識も消えてはいないらしく、シャールは狭間の界の文字の読み書きも出来るのだ。
書籍は機械工学など、シャールが興味を持っている分野の物だった。勿論こちらの世界では手に入らない。
「わぁ、ありがとう!」
嬉しそうに受け取り、パラパラと中を確認する少年を見て、渡した少女も満足げだ。
「こんなタイミングで言うのも変だけど……」
パタンとページを閉じ、脇に積み上げてからシャールはスティールに向き直った。
「大好きだよ、スティール」
「うん、あたしもシャールのこと大好きだよ」
間髪いれずに応じる少女の顔は、にこにこにっこりと……なんでそんな当たり前のこと今更言うの? みたいな感じで、何の含みもない。
「うー……」
「? どしたの?」
ちょっと困ったような表情のシャールを見て、首を傾げる。
「うん……それはそうだった分かってるし、信じてるけど……」
「んん?」
天真爛漫の塊のような普段の少年の様子とは違う、それに今度はスティールの方が戸惑ってしまう。
少年少女といっても、重ねて強調するが、二人とも十八と十七歳であるからして、もうじき大人と呼ばれる年齢である。
「んー。その、僕は出来ればずっと一緒にいたいんだけど」
伸ばしてくくったら尻尾みたいだねと言われて、何となく切らずに放置している襟足が、肩に当たってあらぬ方向にはねている。その辺りを片手で触りながら、僅かに首を傾げ少女の瞳を覗き込んだ。
「今はまだ確かに無理だけど、僕がちゃんと自分の力だけで生きていけるようになって、家も持って……そうしたら、スティールは僕と一緒に暮らしてくれる?」
これはちょっと不意打ちだったらしく、ぽかんと口を開けて少女は目を見張った。大きな琥珀色の瞳が更に更に大きく見える。
「……そうだね、流石にそれはまだ考えていなかった、かも」
搾り出すように、呟き。
「あたし、まだまだまだ子供だって思ってたから……。学校も卒業しなくちゃとは思っていても、じゃあ卒業したらどんな仕事をするとか、ちゃんと考えていなかったし……」
唇と顎に指を当てて、思案しながら言った。
「こっちも好きだけど、あっちの世界も好きだしなぁ。今のまま、行き来しているのじゃ駄目なのかな?」
うん、と頷いてシャールは申し訳なさそうに目礼した。
「ごめん、急にこんなこと言って。勿論そんなすぐにってことでもないし、少なくともスティールが卒業した後のことになるけど、でも、でもさ……」
すがるように、空の蒼が琥珀に迫る。
「ディーンに逢えたら、もうこちらには来る気がなくなるんじゃない?」
う、とスティールは返す言葉がなかった。
それは、そうかもしれない。
漠然とではなく、確信に近い気持ちがある。
それでも、それでもうシャールと会えなくなっても良いのかと言えば、それは絶対に嫌なのだ。
幼い頃からずっと傍にいるのが当たり前で、いつもいつでも一緒にいた存在。
好きとか嫌いとか、そんな言葉では表現できなくて。
ただ、当たり前のように常に自分と共に在るものだと信じていた。
今だって、ここは異世界だと、自分だけでは来る事すら出来ない場所だと理屈では分かっていても、シャールに招いてもらうかリルフィにお願いしなければ来られない場所だと分かってはいても、ちゃんと解ってはいなかったのではないか。
例えばもう二度と会いたくないとシャールに言われれば、自分から会いに来ることは出来ない場所なのだと。
そう思い至った途端、ふにゃあ、と少女の顔が崩れた。
ぽろぽろと、透明の雫が両目から零れ落ちる。
「ス、スティール??」
まさか泣くだなんて思ってもみなかったシャールは、おろおろと手を振った。思わず犬のように頬を舐めようとしてハタと気が付き、自分のシャツの袖をぐいと引っ張りそれで頬を拭うため腕を伸ばす。
「なんで、そんな意地悪言うのよぅ」
えぐえぐと嗚咽を堪えながら、スティールはその腕を両手で握り締めた。
「あたし、ディーンには今度こそ幸せになって欲しいし、家族のぬくもりとか、友達と他愛ない会話とか、普通の子供だったらいっぱい受けて育っているはずの愛情を知ってほしいの。そんでもって、その輪の中にあたしも入りたいって思ってる。でも、それとこれとは別じゃない? シャールはあたしの大事な家族なのに……なのに……どうして来る気がなくなるなんて思うの?」
泣かせたかったわけじゃない。
でも、欲しかった答えも、もらえそうには、ない。
「ごめん。そうじゃないんだよ、そうじゃないんだ」
ふるふると首を振り、シャールは自分の腕を握り締めている手に、こつんと額をつけた。
実質のシャールの精神年齢は、人間では十二歳程度。犬の姿になってからしばらくして、自我が消えてしまったから。
けれど、此処数ヶ月の目まぐるしい経験で、一足飛びに成長しているのは外見だけではないのだ。
今までは漠然とした家族愛だったものが、嫉妬を備えた恋愛感情に育ちつつあることを自覚しているのだった。
それでも、少女には幸せになって欲しい。
自分ひとりの我侭な独占欲で、ここに留め置くわけには行かないことは十分に承知しているし、両親も友達もいるあちらの世界を捨てることなど出来ないと、理解しているのだ。
それなのに、どうして僕は……!
「ごめん、さっきのは、なしにして」
無理矢理に、唇の端を持ち上げて微笑む。
「今度は一週間後に会おう?」
顔を上げたときには、もういつもの屈託のない笑みに戻っていた。
不可解そうに首を捻ったスティールだったが、シャールがそういうのなら……とこちらも強引に納得したようで。
「そういえば、ヤツカの食堂で新作料理が出来たんだよ。お腹空いたから食べに行こう」
腕を握っていた手をとり繋ぎなおしてから、二人は腰を上げた。
はたして、スティールがそのほのかな恋心に気付くのはいつなのか。
まだ誰にもわからない。
2012/11/26 改稿




