たったひとりに逢うために 〈後〉
斜面に立っているときに予想外のタックルを受けたら誰でもそうなるように、飛びつかれた男性……ディーンはバランスを崩し、しっかりとスティールを抱きとめたまま二人はもんどりうって芝生の上を転がり落ちて行った。
下の草地まで転がり止ったときには、長い髪に草を沢山絡めてはいたものの、広い胸に抱え込まれていたスティールは全くの無傷で、体の下に横たわっているディーンの腕の力が緩むとガバリと体を起こしてまじまじとその顔を覗き込んだ。
「……夢? じゃないよね?」
地面についていた両手で、そっと頬を包み込むように触った。確かにぬくもりがある。徐々に冷たくなっていったあの時とは違い、脈拍を感じる。生きている、その証。
「ああ、生きているよ。一応ね」
愛おしそうに見上げてくる、漆黒の切れ長の瞳。
「一応って」
詳しく聞きたかったが、涙がぽたぽたと零れ落ちてきた。
「どうして」
その涙を拭うよりも、今はこのぬくもりを感じていたくて。
「なんでっ」
命を感じていたくて。
「どうしてっ」
ディーンの顔から両手を離す事が出来ない。
その涙をそのまま胸で受け止めながら、スティールの背にそっと添えられていた両手を下ろし彼女の両手にそれぞれ重ねた。
「うん。ごめんね、哀しい思いをさせて」
スティールが少し落ち着くのを待ち、二人は斜面に並んで腰を下ろした。
地面に横たわる青年に馬乗りになって号泣している少女、通りがかりに誰かが見ていたらさぞかし奇異な光景に見えたことだろう。少なくとも、あれドールさんちのお嬢さんじゃない?と訝るようなご近所さんには見咎められずに済んだようだ。何人かジョギング中の人が土手の上を駆けていったが、視界に入らなかったかそのまま足を止めずに走り去ったのは幸いだった。
「綺麗な世界だね」
もう随分と青く晴れてきた川向こうを眺めながら、ディーンが感嘆の声を上げた。
「そうだね。一番綺麗な時間だよ」
涙の後を拭いながら、スティールもあけぼのの空を見やった。
「でも、銀の界だって綺麗だよ」
「うん。ありがとう」
しみじみと、隣の青年を見つめる。
先ほどまでは取り乱していて気付かなかったが、多少の違和感があった。
何だろう……。
あ!
「ディーン、ちょっと立って」
言われて素直に腰を上げた青年を見上げて、それからもう一度その胸に腕を回してみた。
「え、と……スティール??」
どぎまぎとされるがままのディーンの鼓動は早鐘のよう。傍目には、少女の方が一方的に抱きついているようにしか見えない。
「んー……やっぱおかしい……」
むむむと唸りながら、スティールは体を離した。
「ディーン、以前と体格違うような気がするんだけど」
「なんだ、それが気になっていたのか」
合点がいき、ほっと息をついたディーンだったが、抱きついてそれに気が付くって年頃の女の子としてどうなのとここでは誰も突っ込んではくれない。
「前はもっと背が高かったよねぇ? 私そんなに伸びていないはずなんだけど」
銀の界でいつも見上げていたし、最後はその遺体をずっと抱きしめていたので、体格を感覚で認識してしまっていたらしい。
「ああ、うん、まぁね」
ディーンは曖昧に頷いた。
「実は、私が君と一緒に過ごせるのは、日没までなんだ」
「え? 今日だけってこと? また来月も会えるんじゃないの??」
死んだはずのディーンが、雰囲気は違えど生きていることには頓着せず、スティールは驚きの声を上げた。
「本当に最後の一日なんだよ」
噛み締めるように伝えながら、ディーンは微笑んだ。
その後はもう目まぐるしい一日だった。
とにかく少しでも街での暮らしを味わってもらおうと、商店街でのショッピングに体感型ゲームセンターにテーマパークと、銀の界になさそうなところばかり連れ回したのはスティールの方だ。
何しろディーンときたら、「君がいるところなら何処でも」なーんて人なので。
実際問題、最初の土手にずーっと座って黙ったまま一日経ったとしても、ディーンは満足だったに違いない。
少しくらい身長が低くなっているとはいえ、彼の容貌の素晴らしさは欠片ほどにも損なわれること無く、すれ違う女性陣の羨望と嫉妬の混じった視線はかなりのものだった。但し、生憎とそれに気付くほどの心のゆとりも無く、あったとしてもやはりちらりとも感じなかったかもしれない天然ボケなカップルだったのではあるが。
商店街といっても、実際に衣類などの物品はそんなに店頭に並んではいない。布地等を確認するための見本は置いてあるが、モニターに映った姿に希望の服を試着させることが出来、実物を着なくても自分にぴったりのサイズを注文することが可能だ。
それがおもしろくていろいろ試着して遊んだ。ディーンが着ていた服は一応こちらの世界でも通用する程度の無難なシャツとスラックスだったが、スティールの小遣いで買える程度のアンサンブルに着替えてもらった。
流行の関係ない質素なデザインではあるが、本人も気に入ったらしくとても喜んでいた。
そして、冒頭の映画館の状況にいたったわけである。
「本当に、きみと再会できて嬉しいよ。このまま時が止まっても悔いはない」
ソファで隣に腰掛けた美麗な青年にそう言われたら、あなたならどうしますか?
なんて呑気に自問している場合じゃないし。
一人で突っ込みを入れてみたりするほど、心乱れているスティール。
砂時計の砂は、とっくに全て落ちてしまっている。
取り敢えず、もっと平静になろうと、紅茶を二つのカップに注ぎ、片方の茶器をディーンに渡した。
もう二人とも映画を鑑賞するどころの心境ではないので、BGM程度にボリュームを絞り静かにカップを口元に運んだ。
「じきに日が落ちるね……」
一杯飲み干してから、スティールはぼそりと漏らした。
本当に大事なことはまだ何一つ話してもらっていない。別れなんて来なくていい。事実を認めたくなくて、ただがむしゃらに楽しい時間だけを求めてしまった。
けれどももう、タイムリミットは近い。
「うん。まずは今の私の状態だけれど」
ディーンの方も、飲み干して茶器をテーブルに戻してから口を開いた。
「この体は、シャールのものを借りているに過ぎない。私の体は、事実あの時生命活動が止まってしまった」
体ごとスティールの方に向き、切なげに目を細めて囁くように説明を続ける。
「魂といい意識体という……憑依していると言えばいいのかな? 但し、現在のシャールの意識はあちらの界にあるけれど。そしてその体に過去の私の容姿を見せる様に力を借りているんだ。だから実際の体格はシャールのもので、きみが感じた違和感はその通りなんだ」
どうりで、感じは違えども安心できる胸だったはずだと、スティールは納得した。
「あの時、シャールが金の界のものたちの導きで力を発揮したとき……実はあの水面下でもいろいろとあってね」
「あの毒の水の中で??」
ディーンが中和させた時点で毒ではなくなったけれど、スティールはそう表現した。王が吐き出し続けた水が世界を覆い、飲み込み、無かった事として世界をやり直そうとしていたあの時。一旦蘇らされたシャールの母親リーディアにより王は永久の眠りに着き、ディーンを含む王族は皆水に溶けてしまったのだ。中和の力を持つディーンのお陰で、水自体はその時無害なものになり、雨となって銀の界を潤すことによって力は分散されていった。
頷き、状況説明は続く。
「父王は、銀の界で最高の力の持ち主だ。だから、本当はシャールの母君に刺されたくらいで命を落とすはずはない。あの時二人で沈んだのは、あくまで二人が一緒にいること……つまり母君が望む《あってはならないこと》の清算である〈死〉を受け入れたからに過ぎない。
だから、本当の死が訪れるまでの時間に、いろいろとやってくれちゃってね……元々そうするつもりだったのかもしれないし、最後だけ正気を取り戻して罪悪感が湧いたのかもしれない」
そう。シャールの母親であるリーディアは、一度死んだ自分の蘇りを拒んだ。シャールと穏やかな生活を営むという幸せな未来も毅然と突っぱねて、愛した人の過ちを正すために〈死〉という選択をしたのだ。それは少なからず、狂気に苛まれたフレデリック王にも影響を及ぼしたのである。
「いろいろと?」
今回のこともそのいろいろの内ならば、そのことに関してだけはちょっぴり感謝しても良いかもしれない。
「うん……まぁ……〈世界の理〉にギリギリ引っ掛からないように何だかいろいろな理屈をこねてね。
あれだけ身勝手なことをした割には、最後はそれなりに筋を通した風だったよ」
困った人だよ、と息をつき、ディーンは少女の髪に手を触れた。
初めて会ったときも驚いたけれど、今度は恥ずかしいだけでなく、ぞくりと首筋が痺れるような感覚に襲われてスティールはもじもじと膝をこすり合わせた。
「私が今日此処に来られたのは、シャールのお陰だ。今まで色々と迷ったけれど、ようやく決心が付いたよ」
どんな決心なんだろう。
二人はお互いの瞳を覗き込み、瞬きすら惜しむように見つめ合っていた。
「父が、私たちの転生を願ったんだ」
呟かれた言葉が意味を伴ってスティールの体に浸透するまでしばしの時間が掛かった。
転生って、転生って確か蘇るってこととはちょっと違うよね?
「〈世界の理〉に突っぱねられない程度に、父が条件を提示したよ。
記憶を持ったままゼロから転生する。但し、人以外の寿命の短い生き物になる。
記憶を失い人として転生する。姿は生前のままに成長できるけれど、これから生まれる命になる。
どちらも、きみに出逢える確率は低い。だから私は今までずっと迷っていた・・・・・・」
すんなりと伸びた指が、脇まで伸ばしている紅茶色の髪を絡めてはすくう。
「きみに逢えないならば、記憶など残る意味はない。けれど、出逢ったらまた私は必ずきみを好きになるだろう。ならばその可能性に賭けてみてもいい。何よりも同じ時間を過ごしたいよ」
きっとこれ以降にもこれ以上の殺し文句を言われることはないだろう。
心臓を鷲掴みにされたような気がして、両手をぎゅっと握り胸を押さえた。
「今までに我侭を言った記憶はないんだけど、一生分の我侭を通すことにした。
私は、赤子からこの時間軸をやり直さない。狭間の界の時間軸を遡り、きみと同じときを私と判る姿で過ごしてみせる。出逢うまで記憶を失っていても、取り戻すように努力する。きっと魂に刻み付けたまま転生してみせる。だから」
髪を弄んでいた左手でそのまま肩を引き寄せ、ディーンはスティールの左耳に唇を寄せた。
「私を探して欲しい」
くらりと、目眩に似た感覚。
息を呑み、スティールは一度ギュッと目をつぶってからゆっくりと瞬いた。
「私を、見つけて欲しい……」
シャールより少しだけ低いテノールが、噛み締めるように耳元で願いを紡ぐ。
「……どうやって」
この世界の何処かも判らなくても?
何十億人も居る中からたった一人だけを?
「どうやってでも」
くすりと唇が微笑んだ。微かに耳朶をかすった感触に、つい身じろぎしてしまう。
それに気付いたディーンが、そのまま軽く耳朶を噛んだ。
「はぅっ」
勿論まだ誰にもそんな行為はされたことが無くて、でも知識だけはしっかり持っているあたりが年頃の女の子。肩を抱かれていなかったら、ソファから飛び上がっていたかもしれないが、生憎まだ青年は腕を緩めるつもりはないらしく、更に右腕を腰に回してきた。
抗う気持ちは湧いて来なかったが、どうしたら良いのかも判らない。
相手が第二王子のエリックだったならば「おいおいお嬢ちゃん色気ねぇなぁ」くらいは言われたかもしれないが、いくら普段のお付き合いが森の仲間たちだったとしても、二十歳過ぎのしかも元王子ですこぶる付きの美青年が男女の色事を未経験という筈も無く。
しかも片思いでも躊躇なし、いろんな意味でマイペースを貫いている放蕩元王子。少女が戸惑いつつも自分に好感を抱いていることはしっかりと認識していて。
所在無げに二人の体の間で拳のままの両手は、青年の体を押しのける様子もその背に回される様子もなく、ただ青年の鼓動はしっかりとその両手から伝わっていた。
「スティール」
スクリーンにエンドロールとNG画像が流れ始め、スピーカーからは終わりを感じさせる雰囲気の曲が流れてきた。
ディーンは名残惜しそうにゆっくりと体を離し、再び正面からしっかりと目を合わせた。
「愛している」
プライバシー硝子で遮られていなかったら、席を立ちかけた誰もが動きを止めたであろうに違いない心からの告白。黒檀のような長めの前髪の奥からまっすぐに自分に向けられている真摯な眼差しと言葉。
「全身全霊を掛けて、今度は自分の体できみを抱きしめるよ。だから」
必ず、また逢おう。
カップル席の一畳強のブースの中で、空間が歪み始めた。
「ディーン!」
ゆるりとほどかれていく腕。その手に自分の指を絡ませ、スティールは思わず叫んでいた。
「あたし、絶対に探し出してみせるからっ。必ず、見つけるから! それで、その時までにもっともっと素敵な女性になっとくから。ディーンがあたしにくれる想い、返せるかどうかはまだわかんないけど、でも」
既に体の裏半分は時空の狭間にある青年に、今伝えられる言葉を懸命に探す。
「あたしだって、ディーンのこと、ちゃんと好きだからね」
その「好き」がシャールに向けられる「好き」と同じなのか違うのか。
大切なものに順番も優劣もつけられない幼さのまま精一杯伝えたい想いは。
「ありがとう」
果たしてどう受け止められたのか判らないまま、ディーンは幸せそうに微笑んで。
最後に指先がふっと歪みに飲み込まれて、界渡りの名残として空気をわずかに震えさせたまま、ブースの中にはスティール一人だけが残された。
館内に明かりがともり、ブースの硝子が自動的に解除されてようやく我に返る。どうやら最後の一人らしく、入れ替えのため退出を促すアナウンスに背中を押されるようにして、スティールは映画館を後にした。
真っ白な意識のままどうやって辿り着いたのか判らないが、自分の部屋に入った途端に金色と海の青の鳥が、何故か部屋の対角線上に設置された止まり木からそれぞれに『おかえり』と声を掛けてきた。
そのすぐ後に、
『何があったの!? まさか痴漢でも出たとか! ああだから私も行くってあれほど言ったのにーっ』
と金色の鳥が喚く。
「え? あれ?」
頬を伝う涙は、カーディガンのインのシャツをしとどに濡らしていた。
泣きながら歩いてきたことに気付いていなかったのだ。
リルフィはさかんにスティールを案じる言葉を掛けながらその肩に舞い降り、ジルファは首を傾げて見守っている。
「大丈夫だよ、リル。あのね、今日ね、とっても楽しかったよ」
ごしごしと袖でぬぐって、二人に向けて微笑むと、ひとまず安心してくれたらしく、リルフィも口を噤み次の言葉を待った。
いまこうしている間にも、この世界の何処かで彼は生きている。
そんな幸せな結末、いえ、未来? 現在? 想像もしたことがなかったけれど。
いつかきっと、出逢うよ。
待っていてね。
「あのね、ちょっと手伝って欲しいんだけど」
この後の二人の驚いた顔もちょっと楽しみだけど、もっともっと楽しみな出来事が待っている。
この世界の何処かで。
必ず出逢う。
たったひとりに逢うために、転生を選んだあなたと。
2012/11/26 改稿




