第十三話:覚醒
カイルと雉崎の戦いは、雉崎の敗北で幕を閉じた。
そして生きたいと願ったアイリスは、消えゆくカイルの死を見届けた。
…だが。
アイリスは内に秘めていた力の代償を受ける事になる。
止まる事のない殺人衝動という、最大最悪の、代償を。
「嫌…!!嫌…!!嫌…!!
もう…!!もう殺したくない…!!!」
湧き上がる欲望に耐えきれずに、アイリスは街の地上へ姿を現した。
体の中を流れる海水には所々に金色の稲妻が光っており、神の御業を象徴している。
(止めて…!!止めて…!!
もう、抑えが効かないの…!!)
アイリスの肉体と精神は別離していた。
一方は止むことのない殺人衝動に苛まれて細かに震え、もう一方は未だに優しい彼女の姿を残したまま。
逆行する意思が、体を巡る拒否反応を必死に食い止めていたのだった。
「何で…。体が…。
勝手に…動いて…。」
頭痛が激化する。
唇は、言う筈の無い言葉を紡いでいく。
錯乱する視界は徐々にその輪郭を消し、やがて風景の判別がつかなくなり。
そしてとうに”神性”に呑まれた彼女は、ゆらゆらと空中に浮かんでいる。
「誰か…!!誰か…!!
殺したい…!!殺したい…!!」
憂鬱とする心情。
思考はもう衝動で埋め尽くされ、他の考慮の余地は無い。
その間も体は欲望のままに殺すための人影を探しており、気づけば彼女は、遠くに灯る酒屋の光源を目指して進むだけ。
「死にたくない…!!
でも殺したい…!!殺したくない…!?
何で…!?何で…!?」
アイリスは海水となった透明な肉体を揺らし、宙を泳いで向かっていく。
回転し、逆さになり、その挙動はまるで水中を滑るイルカのように。
水流に身を任せ、魔法の行くままに進んでいった。
「明かり…?あそこに人が…?
…嫌っ!!行っちゃ、行っちゃだめなのに…!!!」
殺したい。殺したい。殺したい。
血を浴びて、吸収して、跡形も無く消し去りたい。
…そんな光景を、彼女はひたすらに夢に見ていく。
(また…なのかな…。
ごめんなさい…。ごめんなさい…。)
そしてついに。
彼女は、酒屋の扉に辿り着く。
俯き、目を伏せ、その涙を零しながらドアノブを叩いた。
ドンドン。
賑わう酒屋。
旅人や商人たちが酒を交わし合い、談笑する、その最中。
忙しく働いていた店員は、その音を聞きつける。
「はい!いらっしゃいませ!
何名様で─────」
─────ドボン。
店員は、彼女の足元に落ちていく。
真っ逆さまに、底へ誘う手が伸びる深海へと足を突っ込んだ。
「ぁ………。」
必死に立てた叫び声は、届くわけもなく。
水中に反響するだけで、地上には及ばない。
そうしてひっそりと。けれど素早く。
一人の店員は、その姿を消した。
「よう!嬢ちゃん!
一見さんかい?」
そして、他の客は気づかずに、そのアイリスに声をかける。
一瞬にして行われた殺人行為は、誰にも目撃されることなく。
暖かい空間は、そのまま続いていた。
「…あ!
えらく別嬪だと思ったら!
ジェネラリーゼ様んとこの養子じゃないか!」
「…………………。」
そんな陽気な挨拶にも、彼女は返答を行わない。
そして俯いたまま、彼女は涙をぽろぽろと床に零す。
「大丈夫かい…?
何か悲しい事でも─────」
─────ドボン。
また一人。
犠牲者が追加される。
「ありゃ?あのオッサンどこ行ったんだ?
さっきまで此処に居たはずじゃあ─────」
─────ドボン。
もう一人。
「おーい!店員さーん!!
お勘定ー!!…あれ─────」
─────ドボン。
もう一人。
「おい…。君…。何して─────」
─────ドボン。
最後には、周囲に、見せつけるように。
ゆっくりと、人間を沈めた。
「…せめて…。痛まないように…。」
酒場の中央、大きな円形テーブルの側で佇むアイリス。
足元には黒く、青い、深い海が横たわっている。
「…うわあああ!?!?!?
誰だ…!?誰だお前…!?」
「アイリス…!?アイリスさんだよな…!?
どうして…!!!」
忽然と消えた団体客。
円形のテーブルに沿って座っていた四人の消失は、周囲の客を容易に怯えさせた。
その時の彼女の佇まいは意味不明さと不気味さが両立しており、普段の可憐な姿など、何処にもありはしない。
─────最も、苦しい死に方は何だろうか。
一般には、焼死だと言われている。
肌が焼け、呼吸が熱く、悶え苦しむ衝動が幾重にも重なる。
それは、どんなに辛いだろうか。
─────では二番目に、苦しい死に方は?
運が良ければ一瞬で絶命する落下死。
炎症や呼吸困難を抱え、長期間に渡る疾患・中毒死。
主に苦しさは所要の時間によって変化するが、どれもが個人の境遇、感情、体質によって変化するために、どれがとは一概に言えない。
…だが。
ただ、一つ。
”溺死”だけは、そのリミットが必ず定められているのだ。
「…!!…!!…!!…!!」
彼女の海に落とされ、藻掻く人間。
酩酊した意識は上下左右を混同させ、深淵へと突き落としていく。
─────時間にして、およそ一分。
肺に残る酸素は、少しずつその枯渇を進めていた。
「助けてくれ…!!俺だけはっ…!!
ぁ…。─────」
「アンタ!!何でそんな事に─────」
店中の騒ぎを鎮圧し、吞み込み、アイリスは店主もろとも消し去っていく。
突き動かす衝動に、精神体の彼女は抵抗を弱めていく。
…彼女は人々を吞み込み、食らい、溶かし。
閉じ込められた彼らが助けを乞う様を、体内で感じて満たされた。
勿論それ以外に、衝動を抑える方法は無く。
肉体は血を、肉を、臓器を、浴びて。
より活性を増していったのだった。
(次が欲しいな…。
もう、次が欲しくなってる…。)
嬉しい。楽しい。もっと続けたい。もっと満たされたい。
殺人で体が軽くなり、悶え苦しむ様で更に気分が上がる。
そんな残虐な心情を、体現するように。
彼女は、次々と人を呑み込んでいく。
─────ドボン。ボチャン。バシャン。
店員、客、居合わせた子供。
彼らの足元に漂う影に合わせて、アイリスは地面を海水に変える。
そして彼らは瞬間に、順に水中へ落下していったのだった。
「ごめんなさい…。皆さん…。
とても仲良く…してくれたのに…。」
明かりの消えた暗い店内の中、一人で佇むアイリス。
側にはテーブルから転げ落ちた皿と、食材。
最も奥のキッチンだけが、焼ける竈の明かりでぼんやりと照っている。
…そんな、終末の絵画。
人が消え、沈黙だけが流れる飲食店と、たった一人の淑女。
昼間の雑踏も無く、静かな秋夜の月の下で。
─────彼女を救えるのは、もう。
あの、”彼”しかいない。
「アイリスさん。」
開けたままの扉が、其処から差し込む月光が。
一人の影に遮られ、形を失った。
そしてその人影は、若い一人の青年の声で。
放心したアイリスに、彼は端的な言葉を投げかける。
「人を、殺したんですか。」
青年は中背か、少し高めの身長。
体形は痩せ型で、服装はみすぼらしい格好。
アイリスにとって、幾度も見慣れた、その姿を。
彼は、纏っていた。
「キジサキさん…。」
アイリスは奥のキッチンから、背後の扉へ振り向く。
そして、顔に、諦めたような笑顔を浮かべて。
彼女は静かに、その言葉を伝えた。
「私を、殺してください。」
いつもと変わらない、穏やかな雰囲気。
けれど、その笑顔は。目線は。
─────どうしても報われない諦念を、表していた。
「…そんな事。するわけないでしょう。」
「何で…?私は…。」
「人殺し、ですか?」
「………………。」
目には目を。歯には歯を。
死には、自らの死を。
罰を受けるべきは誰か、もう決まっているにも関わらず。
泣きながら見つめるアイリスに、雉崎は一歩ずつ近寄っていく。
「その力は俺を、助けるためだったんですよね。」
水中に取り込まれる前、微かに響いた彼女の声を、彼は聞き取っていた。
自分の助けになりたいと、そのために生きたいと。
そう叫んだ彼女の覚悟を、雉崎は知っている。
「でも、私は…。」
「……俺が、全部背負いますから。
俺が負けたのが、全部悪いんです。」
首に残る噛み痕は、もう完治していた。
そしてぼやけていた視界も、彼女のひどい泣き顔をしっかりと捉えている。
「近づかないで…。
私は…!キジサキ君まで殺したくない…!」
「大丈夫です。
…俺が、絶対、抑えますから。」
雉崎はそう静かに、なだめるように囁いて。
狂乱を抑えられないアイリスの、正面に立つ。
「無理です…!!
だってキジサキ君には…!!魔力が…!!」
使えないはず。
そう、言いたかったのだろう。
…が、それはもう。
遠い過去の雉崎だ。
「やっと、分かったんです。
自分の”神性”を、能力を。
だから本来の魔力も、ノアも、全部操作できるようになりましたから。」
声色が違う。迫力が違う。
雉崎の身体もまた、アイリスと同じように。
ある神の性質が、混ざり合っていたのだ。
…そして、その事を自覚した今。
以前どれだけ努力しても出力されなかった彼の魔力は周りを駆け巡り、右腕の刺青も今までにない輝きを見せている。
「無属性でも。…いや、無属性だから。
神が、俺の中に宿ったから。
俺は、無属性になったんです。」
─────神の意志は、時折。
生を受けた人間に入り込む。
そして体の中で潜み、幼少期のアイリスと雉崎の魔力使用を阻害し続けた”それ”こそ。
紛れもない、”神性”。
絶大な、神の力である。
「全力で戦いましょう。
体が疲れて、神性の力が弱まるまで。
どんな力でも、俺が絶対受け止めてみせますよ。」
雉崎はその右手を、真横に掲げる。
手を開き、そしてもう一度固く握りしめて。
全身に流れる魔力循環を、更に活性化させた。
「………………っ。」
アイリスは言葉に詰まってしまう。
彼女の精神には感謝と心苦しさが同居し、覚悟の決まりきった雉崎を認めていた。
そして、もし間違って殺してしまったとしても、せめて心残りの無いようにと。
…めぐる痛みを、衝動を、開放して。
─────彼女は、その”神性”に、身を任せたのだった。
”Geh unter.”
とうに別人となった、アイリスの言葉によって。
途端、雉崎の足元が液状化した。
…バシャン。
底の見えない海面が突如として現れ、下から伸びる水流が呑み込もうと動く。
普通の人間であれば即落下。致死の水中が、その身体を掴むはず。
…が。もう既に。
雉崎は、其処には居ない。
「此処だ。」
瞬間。
雉崎はアイリスの背後に現れる。
彼は眼球には捉えられない程の高速移動で、神と化した彼女の不意を突く。
そして素早く、的確に、開かれた掌を押し当てた。
「─────身体極致、 ”黄河掌” 。」
ドンッッ!!
響き渡る波紋。
周囲の空気が振動する。
虚空が、揺らいでいく。
雉崎によって背後から掌底で打たれたその絶大な打撃は、店内に居たアイリスをドアの向こう、二番通りの道まで突き飛ばしていった。
バゴンッッ!!!!
「………………ぁああっ!!!!」
ガシャンッッ!!!
元来、彼女の身体は、海水、もとい液体で構成されているために。
打撃によるダメージは、あらゆる場合において受けないはずである。
…が。
彼の攻撃は、打撃ではなく掌底突きによって発生する衝撃波であり。
そのために彼女の肉体は、例外として少なからずダメージを受けてしまったのだ。
「もっと広い場所がいいですか?”海神様”?」
「…………………。」
神の意識と同化したアイリスは、たまらず防御態勢を取る。
そして彼女は海水のベール、エイの形をした盾を正面に置き、重ねて攻撃の準備を整えていく。
「─────Wellenring.Wellenring.Wellenring.」
三つの呪言が放たれる。
そして雉崎の身体を食い破ろうと、空中から海水で構成された魚たちが飛び出した。
ザクッ。ザクッ。ザクッ。
獰猛な魚たちは雉崎に襲い掛かっていく。
…が。
バシャッ。
即座、彼の皮膚に歯が通ろうとする前に、彼は跡形も無く消し飛ばしてしまった。
「そんな事より早く、アイリスさんに明け渡してくださいよ。」
雉崎は素早く直進し、前から胸への正拳突き。
そして後ろへ回って背骨近くへの肘打ち。
前後ほぼ同時に行われた心臓打ちでよろけた彼女を、今度は腹部から手の甲で空中へ押し上げる。
ドン!!ドン!!
ズドンッ!!!
「……………ぁああっ!!!!」
神の意志があげる、痛みへの叫び。
だがその声は、やはり母体のアイリスに酷似しており。
殴打を繰り返す雉崎の心を、次々と痛め付けていった。
(ごめんなさいアイリスさん…!!でも…!!
もう少し…!!あと少しだから…!!)
雉崎は脚を脈動させ、地面を蹴る。
そして踏み出した一歩は、空へ。
天高く、舞い上がる。
「─────発勁。」
打撃によって押し出され、遥か上空に浮かんだアイリス。
その腹に、同じく空中で雉崎は掌を押し付けた。
極限まで研ぎ澄まされた、神性の身体強化。
無属性の神髄を、彼はその一点に叩き込む。
…ドン。
液体が、歪んだ。
家一棟を丸ごと壊滅させられる程の衝撃を、彼は彼女に食らわせたのだ。
…そして。
─────その距離、約二千五百メートル。
街から少し離れた草原へ、雉崎はアイリスを吹き飛ばす。
ドカアァァァンン!!
「ぁああああ!!!!」
空中を滑り、再度、彼女の神性は悲鳴をあげる。
そして急速に流れていく景色と突風を感じながら、街の内から外へ押し出されていく。
(くそっ!! これでも…!!無理なのか…!!)
郊外へと飛ばされるアイリスを追いかけ、空中を駆ける雉崎。
壁を蹴り、屋根を踏み台にして、狭く入り組んだ街を進んでいく。
─────上空、月夜に照らし出された彼の姿は、まるで。
闇を背にした、怪盗のようであった。
…ドサッ。
「………………っ…。」
しばらくの滑空の後、地面に突き落とされるアイリス。
後から来た雉崎は追うようにひっそりと着地し、痛がる彼女を眺めている。
「…此処が何処だか分かりますか?」
「………………。」
「…ああ。今は喋れないんでしたっけ。
此処は、草原ですよ。」
一面に広がるのは、草原であった。
街から少し離れれば、短い草が生え揃う野原に出る。
そんな都市の構造を、雉崎は理解していた。
「此処でなら、存分に暴れられます。
それで全部暴れて気が済んだら、さっさとアイリスさんに戻してください。」
「…………………!!」
その、煽るような言葉と共に。
雉崎の魔力は、増大する。
循環速度が速まり、ノアの刺青が輝きを増す。
そしてそれに呼応するように、彼女もその力を開放していく。
「魔力線、解放。」
「─────Wellenring.Wellenring.Wellenring.」
「魔法構造、成形開始。」
「Strudel. Meer….」
「身体強化、極致。
”玉虎”。成形完了。」
「─────Erscheine!!!!」
夜風、草を交えて。
地面は波打つ海洋の元、月の姿を投影していく。
そして透明で鏡のような地面に浮かぶ、二人の影。
静かな、秋の夜の下。
数々の濁った暗雲と共に、今。
─────終末へ向かう戦いが、やってきた。




