↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
テザーニアの勇者譚/true  作者: 佐倉マス
第一章:残酷な世界
23/27

第十二話:待ち人のために

憎しみに呑まれ、闇に落ちたカイルは、アイリスを誘拐した。

だが一方で、雉崎はその事に気付かずに家で待っている。


─────今までの、幸せな生活を思い返して。



「…………………。」


雉崎が空を見上げて、数十分。

彼の頭の中に、様々な事が浮かんだ。


─────初めて、この世界に来た時の事。


(想像していた世界とは違って、色んな人の悲しみを見たな。

他人の強さを見て、自分自身の弱さにも気づいたっけ。)


─────この家に、雇われた時の事。


(やけに綺麗な人達だと思ったな。

最初は気が強くて、もっと無愛想な人だと思っていたよ。)


─────仕事の事。生活の事。


(ジェネラリーゼ様に言われた条件は、今になっても出来ていないのに。

それでも、期間が近づいても。

あの人は、変わらない態度で接してくれた。

それに俺は、どんなに救われたかな。)


─────元クラスメイトの事。元の世界の事。


(今でもたまに夢に見る。

あっちの世界でも僕は何とか暮らしていたと思うし、死んではいなかったと思う。

でも、他の人が歩むような道は、絶対無理だっただろうな。)


─────そして最後に思い出したのは。


アイリスの事だった。 


(あの人と関わって、一緒に生活をして。

自分が落ち着くきっかけを、彼女はくれた。

いつも側に彼女が居たから、何も無かった自分が、この世界で生きる理由を見つけられたな。)


初対面の、不愛想で他人行儀なやりとりも。

魔法の練習の時の、少し驚いた顔も。

買い物で見せた、えらく真面目な態度だって。


片時も、忘れた事は無い。

それほどまでに、大切な存在だ。



(…ああ。やっぱり。)



時間を過ぎても帰ってこない彼女に、心配になっている自分がいる。

もし何事も無くて単なる勘違いだったとしたら、自分はなんて恥ずかしい存在だろうと感じる。

なんとも心配性でおせっかいで、うざったい人間だと考える。


…だが。それでも。

あの人に会いたいという欲望は抑えきれない。


「すみません。ジェネラリーゼ様。

 少し外出します。」


「え…?別に構わないけれど、今夜はアイリスと何かするんじゃなかった…?」


「…急用が入ったので。」


「あら、そう…。」


彼女の返事も待たず、雉崎は執務室の扉をばたりと閉める。

そして階段を駆け下り、リビングを通り、玄関を開ける。

もう日の落ちた寒空の中を、上着も羽織らず彼は駆けていく。


─────遠くに見える街は賑やかで、灯りがぼんやりと空に滲んでいた。



「はぁ…!はぁ…!」


息を切らし、肺が痛んでも。

彼はひたすらに街を駆けていく。

流れる明るい喧噪も、暗闇に落ちた静寂の中も駆けていく。


「はぁ…!はぁ…!ぁああ!!」


痛みを耐えきれずに雄叫びをあげ、それでも足を踏み出して。

笑ったアイリスの幻影を追いかけ、雉崎は進んでいく。


─────流れていく街角。いつもの路地裏。

ぽつんと明かりの灯った、酒屋と幾つかの宿屋。


そして閉店した肉屋と、仕事現場を通り過ぎ。

道の途中、その真ん中で。

ついに、彼は立ち止まる。



「……………………。」


吐いた息を再び吸い込み、酸素を循環させて。

雉崎はただ下を向き、佇んでいる。

言葉を発さず、その呼吸音だけを耳で捉え、

手をだらんと下げている。


…そして。

─────幸運か。それとも不幸か。

佇む彼の瞳には、白(・)い(・)包(・)帯(・)が映っていたのだった。



「これは…。」


道端に落ちている、結び目の緩い包帯。

指に小さく巻かれただけの、軽く小さい包帯。

雉崎の頭に、見覚えのある昨夜の記憶が蘇る。


”ありがとうございます。キジサキさん。”


─────穏やかな微笑を見せた彼女。

その当たり前の笑顔に心を揺さぶられ、惹かれた。


「…もしかしたら…!!違うかもしれないけど…!!」


雉崎は再び動き出し、道を進んでいく。

そして目指すその先は、暗闇に溶けた地下通路へと続く空洞。

辺りのレンガはツタに覆われ、地面はぬかるんで。

その入り口は、酷く汚染されている。


「…どこですか…!!アイリスさん…!!」


構わず暗闇に足を突っ込む。

暗視に適応しない眼球は雉崎の視界を黒く染め、実質的な視力を奪う。

だが。それでも彼は、何も見えない闇の中を走り続けていく。


「……………っ!!」


石でつまずいても関係なし。

真っすぐに伸びた直線路を朧げに捉えながら駆けていく。

時には生温い空気が肌に触れ、悪寒を示し、何処からか視線をも感じて。

一心不乱に、彼は跡を辿っていく。


「…はぁ…!!ぁあ!!」


そしてその終点、行き止まりまで来た所で。

…ついに。


─────雉崎はアイリスと共にいた、その。

小さな”彼”と、邂逅した。



「何で…?何で来るんだよ…?

 しかも、よりにもよってお前が…!!」


「…キジサキ…さん…?」


カイルの隣には意識の維持ももままならず、倒れこんでいるアイリスが見える。

とうに雉崎の目は暗闇に慣れており、その姿ははっきりと彼の瞳に映っていく。


「何だよ…。これ…。」


白く染まった右肩。

血液が途切れ、患部は壊死しかけている。

そして徐々に体温が奪われ、冷え切っていく感覚に耐えながら、アイリスは青ざめた顔で雉崎を見つめた。


              

                「助け…て…。」


途切れ途切れの篭り声。

吐ききった息は白く、周囲と自分自身の寒さを表している。


「お前は誰だよ…。

 其処で、何してんだよ…?」


「誰って…。いいでしょそんなの…。

 幸せな君には関係無い事だよ…。」


カイルは不貞腐れた心を取り繕いながら答えた。

彼の眼球は下方向に向いたままで、睨みつける雉崎の方を見ようともしない。


「どういう事だ…!?説明してくれ…!!」


「…うるさいよ…。アイリスさんの身体に障るじゃないか…。」


「……だから、何を…!!」


跪いてアイリスを見ていたカイル。

彼は我慢できかねる雉崎の怒声が響き渡るその前に、ため息をついて言う。


「…君が悪いんだよ。

 君さえいなければ、僕はアイリスさんともっと一緒に過ごせたのに…。」


「は…?」


「アイリスさんと一番仲がいいのは僕だったのに…。

 勇者なんていう分際で横取りして…。」


彼の顔には、溢れかえるような嫉妬が顔に浮かんでいる。

黒く濁ったクマと荒れた肌が皺を寄せ、引きつったような眉間を作り出している。


「もしかして…お前はアイリスさんの事を…」


「そうだよ…。

 僕と一緒に居た方が楽しいに決まってるんだから…。

 間違ってる事なんかさせられないよ…。」


「そんな…、そんな事で…!!」


紳士とはかけ離れた醜悪さを思い知らされる。

雉崎はカイルの思考を半ば理解できてしまうために、より彼の崩壊を感じ取れてしまった。


「大切な人と一緒に居たい事の、何が悪いの?

 教えてよ…。ねえ…?」


「…分かった。教えよう。

 それで、早くアイリスさんを助けられるなら。」


根拠のない自信。

彼はカイルに、勝てるはずもないと分かっている。

かつて天才と呼ばれた彼の過去を知らなかったとしても、目の前の蛇と化した右腕が物語っていたのだから。


魔法も体術もない彼は、どうしたって敵わない。

そんな十二分の自覚と覚悟を持って。


─────雉崎は、それでも態度を崩さなかった。



「君…。僕に勝てると、本気でそう思ってるの…?」


「…思ってるさ。

 こんな酷い事してる奴に、負けるはずがない。」


故意に煽り文句を並び立てる。

似たもの同士の口喧嘩はまるで兄弟のようで。

少し背の高い雉崎の方が、大人びて見える。


「じゃあさっさと死んでくれないかな…?

 今、いいところなんだから。」


「どうでもいい。早く終わらせよう。

 今は、胸糞悪いんだ。」


冷徹な雉崎の言葉にカイルは著しく反応し、大蛇をくねらせる。

その顔は少し笑っていて、憎き恋敵(ライバル)の殲滅に喜び、震えているようだった。


「いい?

 …じゃあ、始めようね…。」


「…ああ。」


雉崎は足を一歩、前に踏み出す。

そして拳を握りしめ、未経験の戦闘へと繰り出していく。

その一歩は戦いの合図。終末を知らせるゴング。

途方もない格差をそれでも彼が受け入れたのは、男としてのプライドだけ。


────戦いは、今。

始まりを告げた。



「…っ!!」


右に左に、蛇の胴体はうねる。

雉崎の喉元を掻き切ろうと追いかけ、地面に激突してはまた這い上がる。

蛇の主導者であるカイルはただ茫然と立ったまま、右腕を動かすだけ。

対して雉崎は避けては逃げ、必死にその攻撃を躱すだけで精一杯であった。


「クソっ…!!」


掠っただけで致命傷。

牙と突進の破壊力は凄まじく、泥とレンガの地面を粉々に砕いてしまう。

そしてそれを避けるため、雉崎は足を懸命に踏み進めていく。


「どうしたの…?

 はやくおいでよ。」


雉崎の魔力は、動かない。

悲鳴をあげて擦り切れていく筋肉と荒い呼吸が身体を締め付ける。

柔らかいままの皮膚では地面との衝突には耐えられないようで、膝と肘、そして胴体のあちこちに擦り傷と打撲を負っていく。


「はぁ…!!ぁあ…!!

 今行くから待ってろ…!!」


それはカイルに向けたものか。

雉崎は震える唇で静かに吠える。

距離は依然として縮まることはなく、身に刻まれた傷は増えていくばかりだ。


「…っ!!何で…!!近づけない…!!」


足を踏み出し、全力で走っても追いつかない。

────直進すれば死。迂回しても逃げるので精一杯。

興奮で無自覚な傷も、体をさらに疲弊させていってしまう。


「…君、属性が無いだけじゃなくて、魔法まで使えないの…?

 そんなんじゃ戦いにすらならないよ…?」


そしてついに足を止めた雉崎に対して、耳を刺すカイルの言葉。

雉崎にはもう、聞き飽きた侮蔑と失望の声色が響く。

皆が当たり前に出来る事が出来ない苦しみを嫌というほど知り、報われない現実と戦って、そしてこんな肝心な時になっても、彼には開花する予兆も見られない。


────その間も大蛇は縦横無尽に空中を滑り、そしてマスターであるカイルの命令で動きを止めた。


「うるせえ…。」


戦いの際、雉崎の口調は変化している。

普段の大人しい敬語は形を無くし、無礼な傲語へと変貌している。

────初日、城で魔物に襲われた以来の危機であろうか。

それほどまでに雉崎は余裕のない、死に体となっていて。

もう勝負は、歴然であった。


「とっくにそんな事は分かってる…。

 分かってんだよ…!!

 勇者の癖に魔法の才能が無くて、見た目も実力も、伴ってないって…!!」


理不尽な怒りに呑まれそうになるのを必死にこらえ、雉崎はカイルを見る。

眉間に皺を寄せ、拳を握りしめて激情に駆られながら言葉を紡いでいく。


「だけどお前は…!!

 俺はお前だけは、許せないんだよ…!!」


勇者として。

現実に見放された、不幸な人間として。

言わなければならない事を、彼は口にする。


「誰だって、嫌な目に遭えば悲しくなるんだ…!!

 頭が痛くて、泣いて、何もする気が起きなくなって…。

 長い時間落ち込んだって、後悔したって、治りやしねえ…!」


言葉を受けたカイルの脳裏に幾つもの苦い記憶が浮かぶ。

あの時に感じた痛み、苦しみ、悲しみが感情の雪崩となって思考を埋め尽くしていく。


「でも、それでも…!!

 助けてくれる人さえいるなら、ちゃんと立て直せるんだよ!!

 心が落ち着いて、穏やかになって、安心できるんだよ!!」


知っている。助けられた時の嬉しさを。

人生が救われた気になって。

この先の事態が全部好転したように思えて。

それで、裏切られたときの悲しみも、より一層知っている。


「…うるさい。黙れ…。」


「…それで!!よりにもよってお前は!!

 自分を助けてくれた、たった一人の好きな人を…!!」


「うるさい…!!うるさい…!!うるさい!!!

 やめろ…!!!」


              

              ”────何で、殺せるんだよ!?”



「ああああああああああああ!!!!!」


以前のカイルは、常に冷静だったのだ。

どんな状況下でも適切な解答を選ぶことが出来、事をなるべく穏便に済まそうと努めていた。

…けれど。

今の彼はもう、理性など全て吹き飛んでいるから。

抑えきれない衝動と怒りは、その魔力を突き動かしてしまった。



「─────蛇姦傷、”白夜《びゃくや》”…!!!」



たった一言。それだけで。

現実は残酷に、能力差を如実に示す。

ほんの一撃で、勝敗は決してしまう。


………グサッ。


「…ぁっ…!?

 ぁあ…。刺された、のか…。」


避けきれなかった雉崎の首元に刺さるのは、二つの牙。

紫色の液体が体内まで染み込み、侵食する。

そして彼の神経を麻痺させ、視界を奪い、彼を白くぼやけた世界へと誘っていった。


(痛い…。痛い…。痛い…。

…あれ…?何も、見えない…。)


あの、最初の犠牲者と同じ様に。

雉崎は力が抜け、膝立ちになる。

そして数秒後には重力に耐えきれず、うつ伏せとなって倒れこむ。


─────彼の神経と感覚は、とっくに麻痺してしまったのだ。


「…は。あはは。

 無属性のお前なんかに、対処出来る訳が無いのに…。

 まったく、惨めだなあ…。」


目は見えない。

触感も分からない。

心臓の鼓動が、遅くなっていくのを感じる。

まだ辛うじて残った聴覚だけが、カイルの言葉を脳に響かせていく。


「ぁ…ぁ…。」


…それでも。

地面に着いた拳をもう一度、握りしめた。

湿った土を掴み、砂利を爪の間に練りこんで。

もう無い感覚で、必死に立ち上がろうと藻掻く。


「もう無理だよ。あと一分くらいで君は死ぬんだから。

 本当、こんな奴のどこがいいんだろ?」


冷静を装って、カイルは述べ立てる。

地面に這いつくばったまま、死にかけの虫の様に動く雉崎を眺め、蔑んで。

真っすぐに地に足をつけて見下ろしている。


「やめ……ろ……。」


「アイリスさん。

 僕と一緒に逝こうね…?」


そして、ついに動きを止めた雉崎を背後に。

彼は後ろを振り返って、限界の近づく彼女を見た。

わざわざ遅効性の毒に魔法を置き換え、殺しもせず放っておいたわけは。


────永遠の愛を押し付けて、心中するためだった。


「嫌……。」


アイリスが口を開く。

もう避けられない運命と知りながら、面と向かって反抗する姿勢は変わらない。

それでも彼女は最後まで諦めずに、水の魔法で毒を必死に押し戻していた。


「何でそんな事言うの…?

 僕は…、一緒がいいよ…。」


「嫌…。やめて…。」


掠れた声が響いている。

触れようとするカイルの手足を払いのけようとし、痛みでまたアイリスは悶えた。


「私…は…。」


ジクジクと迫る猛毒は心臓を高鳴らせ、呼吸を奪う。

そして彼女は死に迫る実感を身に覚え、遠のく意識の中で。

─────幾度もの、走馬灯を見たのだ。


(アイリス。君は、これからどうやって生きていくんだい?)


(アイリス。僕は行くよ。妹が、待ってるんだ。)


(アイリス。この村から、出て行ってくれないか…?)


(アイリス。アイリス。アイリス……。)


故郷の村、故人となった義姉弟、裏切った両親…。

その全てが彼女の、苦い思い出。

そんな時に側で支えてくれたジェネラリーゼの顔は、どんなに暖かっただろうか。


「私は…生きる理由なんて…。今までは無かったけれど…。」


受け入れてくれた彼女に恩義を尽くす、事務的な、

それだけの人生だったはずなのに。

…あの時彼が、来てしまったから。



「今は、死にたくないの…!!」



雉崎の顔が脳裏によぎる。

そして目の前で倒れている、生死を彷徨う本人が見える。


(…彼は、はっきり言って頼りないけれど。

そんな彼を、誰よりも支えたいのは自分だから…。)


もしかしたら雉崎はもう、独り立ちできるかもしれない。

異世界でも一人で生きていけるかもしれない。

だが、それでも支えたい自分がいる。

彼を支える事が、自分の生きる意味だったのだと実感する。


「もう二度と…!!

 私も…!!大切な人を、失いたくないから…!!!」



…彼女は誰よりも生きたいと、そう、願ったのだ。



「魔力線…!!構築…!!」


瞬間、血潮がぐるりと躍動する。

白く染まった右腕の色が溶け、深青に沈んでいく。

裂傷が癒え、滑らかな肌が露出していく。


「どうして…。アイリス…さん…?」


目を見開くカイルの前で、アイリスは魔力線を展開する。

そして、その現実により。

力を取り戻した彼女は、本来の姿へと戻っていく。


「そんな…!?

 いくら遅効性とはいえ、致死毒なのに…!!」


傷は全快し、毒は消え失せていく。

みるみるうちに魔力は膨れ上がり、限界値を突破した輝きを見せていく。


「カイル君…。

 私は…、彼のために生きたいから…!!!」


アイリスはそう、呟いて。

隠していた力を、開放していく。

遥か昔に禁忌とされ、村を追い出され、孤独を貫いた力。

その、神髄を。

今、顕現させていく。



           「─────魔力よ。青に沈め。」



未だかつてない、低音と共に。

循環する魔力は未知の物質と衝突する。

身体は青に。

心は透明に。

深淵のように遠い幽玄の現身へと、その姿を変えていく。


「流動。刮目。

 母なる生命の泉へ、頭を垂れて。」


魔力の侵食は止まらない。

周囲に広がり、カイルの足元さえも液体に変える。

─────波打つ地面はあの時と同じ、”海”の魔法であった。


「信じ、崇め、語って。

 衝動に駆られて私の救いを受け入れて。

 …そして。」



            ”─────私の海に、飛び込んで─────。”



その、預言と共に。

海は、誕生した。


─────地下水道だったはずの暗闇は潮の匂いで満ちている。

引いては返すさざ波の音が反響し、砂浜に面した近海を思わせる。


「魔力構造…成形完了…。」


支えも無しで、解放したアイリスは宙に浮かぶ。

ふわふわと揺れ、波に身を委ねるように。

極限まで脱力し、空中に寝ころんだ。


「アイリスさん…?なの…?」


とうに彼女の体は青い半透明となっており、血管も心臓も無い。

…そう。つまり。

彼女の全身は、海水になっている。



「どうしよう…。

 アイリスさんを助けないと…。」


カイルは咄嗟に闇の魔法で烏を作り、彼女の深海から逃れていた。

だがパニック状態の脳は変わり果てた彼女の姿を捉え、その混乱をさらに加速させてしまう。

彼は自分自身が引き起こした責任を受け止める事も出来ずに、ひたすらに目元を動かし続ける。


「どうすれば…。

 どうすれば…!!」


狂乱に呑まれ、カイルは要らない助けを模索する。

とっくに傷の癒えたアイリスを、助けが必要な危機的状態だと思い込んで。

必死に、彼は救助を試みた。


「待っててよ…!!

 僕が、今度こそ助けるから…!!」


決意に満ちたカイルは右手を広げる。

空中での魔力線解放。

右腕に烏を顕現させながらの同時魔法展開。

そして彼にしか出来ぬ神業で、二つ目の魔法は姿を現していく。


────シャアアア、と。奇天烈な鳴き声を立てて。


「────中級魔法、type:大蛇(おおへび)。type:妖烏(ようあ)。

 左右同時展開、完了…!!!」


カイルの左手は烏の足を掴み、右手は蛇に変貌している。

もはや人とも言えぬその風貌で、彼はアイリスを救おうと飛び込んでいくのだった。


「─────蛇姦傷、”雪花”…!!」


右腕の蛇はその牙で彼女の首元に噛みつく。

が、それには感覚が無い。

ダメージを与えた手応えも、毒を打ち込んだ喪失感も感じられない。


─────それはまるで、水を掴むような感触だった。


「大丈夫…。

 もう、大丈夫だから…。」


浮いたままの彼女は目を向ける。

悲しい表情を浮かべ、水の流れる体表に涙を流して。

もう助からないカイルを、ひたすらに慈しむ。


「助けるよ…!!だから…!!

 だから絶対、僕のモノに…!!」


「…もう、止めて…。お願い…。」


ぷるぷると震える身体は葛餅のようで、透明なスライムのようでもある。


「─────蛇姦傷、”雪花《せっか》”…!!」


「”白夜《びゃくや》”…!!」


「”夕刻《ゆうこく》”…!!」


「”黒死《こくし》”…!!」


毒の段階と、種類を変えても。

海となった彼女には通じない。

伸び縮みを繰り返すカイルの右腕は今にも千切れそうで、彼の魔力の限界が目に見えるようであった。


「…はぁ…!!…はぁ…!!」


カイルの呼吸は荒く、肌に入った亀裂もじくじくと痛みを増す。

汚染された魔力は不揃いに体内の循環回路を壊していき、やがて人としての形を失っていく。

魔力という、強大な力のオーバードーズは。

いつだってその体を、崩壊させてしまうのだ。


「痛い…!!痛い…!!痛い…!!

 嫌だ…!!嫌だ…!!僕は、アイリスさんと一緒に…!!」



─────鱗が、剥がれ落ちていく。

筋繊維が解け、魔力の残滓となって消えていく。

そうして彼は、空中で、腕と足をを放り投げ、為す術も無く落ちていく。


…ボチャン。

地面へと叩きつけられる音は、まるで水に沈み込むよう。

完全に崩壊しきり、あとは消えゆくのを待つだけとなったカイルは、その波打つ地面にプカプカと浮いた。


「………アイ…リス…さん……。」


彼の左右の瞳の焦点は、合っていない。

体からは微かに紫色の煙が立ち上っており、それは彼の肉体だったものである事を明示している。


「ごめん…なさい…。」


彼は黒味がかった血を口に含ませながら、愛する彼女に最後の言葉を伝えていく。

その様子は、海の藻屑となって消える、ある童話の人魚のようでもあった。


「やっぱり僕は…殺したくなんか…無かったんだ………。」


雉崎に化け、アイリスに蛇を咬ませたあの時。

アイリスが辛うじて避けられたのは、彼が少し躊躇ったから。

一瞬の震えが、拒否反応が。

正確だった狙いを狂わせたのだろう。


「もう……謝っても仕方ないけど……。」


贖罪も、自殺だって、生きていなければ出来やしない。

彼女にこんな感情を抱くのはとんだ不相応だと、より深く感じながら。

彼は最後に、ありのままの気持ちを伝えた。



              

       「せめて貴方だけは……幸せに…生きて…………。」



少し、笑って。

純粋だった、あの幼少期の姿を見せて。

─────彼は、アイリスの海の中に、静かに溶けていったのだった。


(ありがとう…。アイリスさん…。

 そして、さようなら…。)


「………………。」


カイルの死を見届けたアイリスは、ぼうっと突っ立ったまま。

下を向き、もういるはずの無い海中を見つめている。

その心臓に、いっぱいの、諦念を抱えて。



(ごめん…。私も…。もう限界なの……。)



─────その、言葉と共に。

彼女の衝動は、目を覚ましたのだ。



「……っ!!!ぁああああっ…!!!」


アイリスは懸命に心臓を抑える。

追い込まれ、発現しようとする”それ”を、必死に抑制する。

彼女は死地を脱却する唯一の方法を、出来るだけ安全に行おうとしたのだが。

長時間の魔法展開によってもう、体内の”それ”は発現しかけていた。


(お願い…!!止まって…!!)


もう一人の自分が主張を始めてしまう。

”それ”は強烈に、生きたいと願って今の自分を圧迫している。

世に受け入れられない、日陰者の自分を顕現させろとせがんでくる。


(ああ…。ああ…!!もう、抑えきれない…!!)


ここで折れたら終わりだと、分かってはいるのに。

その衝動は止まらない。壊れない。


─────万能な体を作り出していた”それ”にも、勿論代償はあった。

カイルのように崩壊する魔力の浸食を押しとどめ、上級魔法以上の具現を可能にする彼女特有の物質。

生まれながらにして魔力と共に体内に存在していた、清らかな源流。


”神性”と呼ばれた”それ”は、

使用した瞬間から、自身に途方もない殺人衝動を引き起こすものであったのだ。



「殺したい…!!殺したい…!!

 嫌…!!嫌…!!嫌…!!

 殺したくないの…!!」


アイリスは独り言を呟いている。

言葉遣いは本人には珍しく、粗さの残る口調。

必死に藻掻く動きは彼女の静けさとは正反対。

神の意志が紛れ込んだ彼女はもう、優しい村娘ではなくなっていた。


「痛い…!!悲しい…!!苦しい…!!

 痒い…!!もどかしい…!!ぁあああああ!!!!!!!!」


アイリスは水の上を歩いていく。

地下水道を抜け、地上に繰り出そうと目線を上に向ける。

このテザーニアの首都、ガリベルデ全人民の殺戮を目的として。


(何で…!!私は…!!!

 こんな事…!!望んでなんかいないのに…!!)


水の束を持ち上げ、それに乗って上昇する。

すぐ上はもう通常の道路。

民間の人々が利用する、ガリベルデ二番通りに。




─────時間は、もう三時を過ぎている。

しんと静まり返った二番通りに、どこからか水の滴る音が響く。

平民たちはその迫りくる大海に気付くことも無く、未だ寝静まったまま。


そして、煌々と月光が照らす街角のすぐ下。

暗い水の中で、飲み込まれたはずの青年がゆっくりと目を覚ます。


気絶し、蛇の毒に蝕まれ、生死の境をさまよっていたはずの青年。




─────勇者である雉崎一彦が、その瞳を、大きく見開いたのだった。


次回、クライマックスに突入します。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。