第十・五話:暗躍との邂逅
アイリスには既に、男がいた。
その事を知ったカイルは狂乱し、宵闇の中に姿を消した。
─────これは、その夜の記憶。
偶然にして起こった暗躍する”首領”との対面は、一体彼に何をもたらすだろうか。
何故、人々は快楽を貪るのだろう。
その行く果てには、何も無いというのに。
虚無に向かって突き進む行為は、苦しい事ではないのだろうか。
己を滅する恥辱を、人々が愉しむ理由が私には分からない。
─────時は午前二時。隠された地下道、枯れ果てた水道の跡地での事。
「何だ、お前…?」
傷だらけの青年が、そっと横たわっている。
子供らしい背丈と眼鏡をかけた風貌には見覚えがあり、
着汚れてボロボロになった学院の制服もその事実を示すようだ。
…そして左右には、ビリビリに破かれた布切れを纏った女が二人と、髭を生やした男が五人。
女は痣と血傷を抱えて泣きながら気絶し、男は惨たらしく手足が離れて死んでいた。
「……………。」
彼の前には、マント姿の大男が立っている。
顔は暗がりのためよく認識できず、低いしゃがれ声だけが響いていた。
「其処で、何をしている?」
大男は、思わず首元に刃を突きつける。
過剰な卑下や諂媚のにやけ面が癪に障る、見ていて気持ちの悪い青年の態度。
高貴さの滲む白髪も相まって、人間の醜さを象徴したかのような様相であった。
「…これは何だ…?」
「あ…?」
「…其処の、横に在る奴らは誰だ?」
目線の先は少し左へ。
其処には涎を垂らし、粗末な布切れの間からは裸体が垣間見える、
使われ、回され、自分たちの道具だった、彼女らの姿があった。
「…あはは。
もう、もういいんですよ。
僕はどうなったって構わないから…!」
「……………。」
大男は一切の表情の変化も無く、視線を彼から外さない。
だが青年はその迫力を前にして睨み返し、静かに答えていく。
「…欲しいものは奪えばいいと、父に習いました…。
だから好みの女が妊娠してしまう前に、さっさと手籠めにしてしまえばいい。
そんな、簡単な事…。
今までそうしなかった自分が、馬鹿だったんです…。」
彼は不器用に笑い、聞くにも堪えない雑言を発した。
幼い頃から身の丈に合わない資産を持ち、非道極まる親たちに感化され続けた結果。
純粋無垢な子供はすっかり汚染されてしまったのだった。
「…その結果が、それか。」
青年の右側には、傷跡の残る肢体が在る。
大粒の涙と塞がらない口。
開かれたままの股は、恐らく行為を続けるための物で。
強引に押さえつけられ、倒され、為す術も無く尊厳を失った彼女らの姿は醜く。
かつて少年に笑顔を向けた従者と町娘の面影はもう、何処にも無かった。
─────偶然男が通りかかったのは、もう”それ”が終わった後であったから。
「何で?
何で睨むんですか?
僕は何か、オカシイですか?」
対して青年の左を見れば、其処には死体が在った。
趣味の悪い装飾と剣が携えられた、盗賊と思しきモノ。
手足は引きちぎられ、腸は露出し、目の玉は形が無く。
出来る限りの報復を施された人肉が、のっぺりと五つ分、其処に横たわっていた。
「…お前は。まだ自らが許されると、そう思っているのか?」
「…あ?」
「身分に限らず人の命は平等であると、そう習わなかったか?」
「…嫌だ。嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ。
気持ち悪い。気持ち悪い。
何で、そんな事言うんですか…!?」
血走った両眼。荒れ狂う両腕。
髪を掻き、頬を削り、突き立てられた剣を必死に除け払う。
「皆が悪いんだ!!僕を除け者にする!!僕を馬鹿にする!!
”僕の大切な人”を、全部奪っていく!!!!!」
残された希望も、願いも、生きる意味も、その全てが奪われた。
肉親か、兄弟か、それともどこの誰とも知らぬ他人か。
…彼は悪くない、悪くないのだが。
もうとっくに、彼は悪に染まってしまっていた。
「勇者も地方の奴らも、全部嫌いだ…!!
自分は恵まれた才能を天に与えてもらった癖に、育ってきた環境から不幸面をする!!
それでいて僕みたいな貴族の事は、才能があって当たり前だと!?
何故!?僕の家庭の事を何も知らないで、努力を見ないで、どうして僕の存在を決めつけられる!?!?」
カイルは叫ぶ。
鼓膜が破れる程の叫び声で、男に向かって唾を飛ばし続ける。
が、男はそれを受けても、冷静沈着そのものだった。
「………貴族の子孫は、元々不遇なのだよ。」
「…あ?」
予想だにしない返答。
カイルの言葉に詰まりが見えた。
フードの間から見える眼光は真っすぐにこちらを向き、微動だにしない。
滞る静寂の中、地上から漏れ出た雨音だけが小気味よく響いていく。
「魔力とは、代を重ねる毎に衰えていくものであるからだ。
初代、一代目だけが、その恩恵を最も強く受けられる。
そして子を産み、子孫を残しても、その子供の魔力は一段薄くなる。
他の人間の血が、混ざってしまうためにな。」
「そんな…。僕は天才のはず…。その前提で、育てられたんだから…。」
「…どんなに努力をしても、鍛錬を積み重ねても。
技術だけは向上して、元の密度は変わらぬどころか薄れていく。
の癖、周囲の期待だけは高まっていくのだから。
これを不遇と言わずして何と言うのだろうな。」
「……………。」
男は沈黙を貫く。
そして、水溜まりを踏んで歩いていく。
地下水道の湿度の高さを肌に感じながら、むせかえるような死臭を後にして。
宵闇の中に姿を消していってしまう。
「貴方は!!もしかして元は…!!」
貴族に仇なす民衆の悪意。
圧政から漏れ出た不満と怒気を抱え、反逆を企てる者。
そんな組織の首領が、まさかそのような者であるはずなど。
あってはならないのだ。
──────苔むした石壁。
散らばる肉塊と、静かに息をする肢体。
満十七歳を迎えたカイルは、誰にも祝われる事無く。
たった一人で、その日付を跨いでしまった。
「…ああ。もう…。」
そう言って、横の肢体に上着をかける。
二人分の恥辱を覆い隠すにはどうしても面積が足らないようで、とうに固まってしまった彼女らの股を戻そうとする。
矛盾した行動原理に我ながらに呆れ、気づけば彼は涙を流していた。
「…そんなはずじゃ、無かったのに…」
真顔のまま涙を流し、黙々と作業を続ける様。
それは彼の精神性とその崩壊を、的確に示していただろう。
「ずっと僕は、寂しかっただけなんだ…。」
子供の頃に絵本を語り聞かせてくれた明るい従者も、街中で出会った隣家の看板娘も、学院で同級生になったお淑やかな貴族の養子も。
全員がその時の自分を助けて、支えになってくれていたから。
きっと、好きになってしまったんだろう。
…なんて、軟弱な男だろう。
…なんて、情けない男だろう。
ならばそう。
こんな事をしてしまった贖罪を。
地獄までついてまわろうとも。
今まで触れてきた元凶に、終止符を打とう。
「…何で、今までやってこなかったんだろう…。」
少し笑って。
彼女たちを壁に寄りかからせて。
そのままの死体は魔法で彼方に吹き飛ばして。
依然湿っぽい地下道を、彼は静かに後にする。
”全部が終わったら、今度は僕の番だ。”




