第一話:クラス転移(中)
教室の隅で空を眺めていた主人公、雉崎は突如として異世界へ転移する。
突然の事態に戸惑う中、雉崎はたどたどしくも的確な口述で王の信頼を勝ち取り、無事に勇者と認められる事になった。
…これはその、翌日の話。
そして、翌朝。
「なあ、雉崎。居る…?」
その声で、目が覚めた。
──────教室に、戻ってなんかいない。
雉崎の想像した異世界は、そのまま此処にあった。
少し硬くて寝心地の悪いベッドも、木材の薫るフローリングも、全てそのまま。
ベッドから起き上がると、彼はその驚きを感ぜずにはいられない。
「本当に現実なのか…。」
ドアの向こうから聞こえる声が少し大きくなる。
ノック音が、部屋の中に鳴り響く。
「日比野…?」
それは、友人の声であった。
彼の親友であり、唯一の盟友。
何もかもダメだった彼に唯一いる、話せる友達。
…そうして、そんな声を聴いて。
彼はもう一度、現実を明確に認識する。
─────異世界は、現実になった。
彼のたった一回、想像しただけの世界。
ストレスの解消として消費するために考えた異世界は、今も視界の此処に存在している。
「これからずっとこの世界で生きる覚悟を…決めなくては。」
一通り思い返した後、雉崎はふと我に返る。
思考がクリアになり、やるべき事、為さねば成らぬことが明確に理解できた。
(そうだ。日比野が呼んでたんだった。行かなくちゃ。)
雉崎は日比野を出迎えるため、ドアに手をかける。
もう後には引けない。
この世界で生きていく方法を見つけなくてはならない。
例え他人を傷つけることになっても、以前歩めなかった幸せな道を切り開くのだ。
「…………おはよう。」
「「「「おはよー!!!雉崎ー!!!」」」」
「…………え?」
ドアを開けた瞬間、大勢の声が飛び込んでくる。
雉崎は突然の圧力に屈して、思わず数歩後ろに後退した。
…見ると、クラスの奴らが何やら集まっているよう。
部屋の前、雉崎を呼んだはずの日比野は、押しつぶされそうになりながら両手を広げて挨拶しようと試みていた。
「お…おはよう…!…て、うわっ!!」
「雉崎おはよう!!大丈夫だったか?」
「昨日ずっと部屋にこもってたから、心配で!」
「何かあったらすぐ言ってね!いつでも行くから!」
孤独な暗闇から出た先は眩しすぎる程明るい廊下。
大勢の人が、彼の部屋の前に集まっていた。
「どうして、俺なんかのところに…」
「もちろんお礼を言うためだよ…!!
あの時、私たちを助けてくれたでしょ…!?」
聞けば、彼らは雉崎に感謝しているようであった。
昨日自分たちが助かったのは雉崎のおかげだと、しきりに全員が口にしている。
「雉崎お腹空いたでしょ!ご飯食べに行こ!」
話したこともない女子に勢いよく左手を掴まれ、彼は前に歩き出す。
──────廊下は朝日を浴びて輝き、鮮やかな模様や絵画を描く。
窓枠の奥には花々の咲く庭園。鳥を愛でる少女の声が聞こえた。
チュンチュン。
愛された小鳥は丁寧羽を広げ、お礼をするように空に飛び立っていく。
それを名残惜しそうに、大地から少女は見上げている。
「行ってしまわれましたね…。」
────雉崎には数々の称賛が浴びせられ、寝起きの冷え切った皮膚に突撃した。
今まで陰で疎まれていた人たちにも褒められ、認められ。
それに案外悪くないと思ってしまっていることが、悔しくもあった。
(…俺は、こんな事で嬉しくなってしまう人間だったんだな。もう二度と関わりたくないと思っていた人もいるんだが…。)
「ほら、着いた!」
部屋を進んで着いた先には、長方形の、縦長の巨大なテーブルが見えた。
テーブルの上は真っ白なクロスで覆われ、燭台とグラスが主役を引き立てている。
そしてクロスの更に上に乗るのは、鮮やかな盛り付けと風変わりな香り。
五感を刺激する奇天烈な料理の数々であった。
「美味しい…!!美味しい…!!」
雉崎たちは無心で、それらを食べ続けていく。
昨日、食事が喉を通らなかったのは彼だけではない。
苦痛と渇望、たとえ見たことのない、安全かもわからない料理だったとしても、今はひたすらにお腹が空いて食べることしか考えることができずにいる。
久しぶりの、しかもたっぷりの食事に、彼らは思いっきり舌鼓を打った。
────気づけば、目前の皿は空になっている。
「これ、私たちだけのために用意してくれたんだって!すごいよね!」
奥には調理場が見えていた。
そして生徒たちは次々と給仕人が料理を運搬し、廊下に姿を消していくのを眺めていく。
王の迷宮も大変なもので、広い通路の順番を覚えるには長い月日がかかりそうであり、少しばかりではあるが家来たちに同情したようだ。
…そして冷静になって昨日と一転、穏やかな食卓に来てようやく、彼は本来の目的を思い出す。
「…結局、俺たちはどうなった?」
「ああ、それなんだけど…。」
返答のため、日比野が口を開く。
いつも大人しい様ではあるが、今日はいつにも増してそれが際立っているよう。
「昨日王様が言ってたでしょ…?お前たちは勇者だ、って。」
「………そうだな。」
忘れるはずはない。
それは、彼自身が死に物狂いで掴み取った答えなのだから。
「あの後夕食で王様が話したんだよ…。
こっちの世界のこと、今の情勢、僕たちに求められること、僕たちが聞いたこと全部に王様は答えてくれたんだ…。」
────王は言った。
最上の褒美を約束する。だからどうか、この国を救済してくれ、と。
一晩過ぎた後には跡形も残っていないが、確かに昨日、王はそう発言したのだ。
「それは、救う方法っていうのはつまり…」
「武力だよ…。俺たちは魔物と戦うんだ…。」
(本当に、俺たちは勇者になるのか…。漫画で見た事しかないあんな存在に…)
「………………………。」
望んでいないといえば嘘になるが、彼は別に勇者になりたかったわけではない。
どこか別の世界に行って幸せな生活を送りたいと、雉崎が望んでいたのはそれだけ。
むしろ魔物と戦って命を落とすなんてまっぴらごめんだと、そう思ってすらもいたのに。
……国の文献と、供述によれば。
この世界には魔法があって、魔物がいる。
勇者は迫りくる魔物から人を守る天の使いで、人々が窮地に陥った時に現れる。
勇者は魔法を使い、魔物の脅威を沈め、世に安寧をもたらす。
─────此処は、そんな絵に描いたような、ファンタジー世界であったのだ。
「てことは俺たちに魔法が………」
「使えるよ…。僕たち、全員魔法の適性があるんだって…。」
「やっぱり…じゃあ俺たちが国を救うってのは本当なのか…。」
雉崎は王の発言を思い返す。
この世界で自分たちは勇者なのだと、それを果たさなければと思い出す。
…が。
日比野から返ってきた返事は、意外なものだった。
「え…?無理…!!無理だよ…!!
僕、人が死ぬのなんて初めて見たんだ…。
怖くて、恐ろしくてたまらない…。
こんな僕に、勇者なんか無理だ…。」
依然、勇者と異世界について語り合い、実現を願ったはずの彼は。
頭を、抱えていた。
彼は机で視界を覆い、死にたくないと呟く。
うずくまるその体は、細かく小刻みに震えている。
絶望に砕け散った信念と淡い願望は、逆に呪いとなって彼を蝕んでいるようだ。
──────魔法。勇者。ファンタジー。
それはフィクションの中だからこそ楽しむことができる。
もしそんなものが本当に現実になって、実現してしまったら。
前の世界でいくらそう望んでいたとしても多くの人はきっと、酷く後悔するだろう。
彼の友人、日比野もそう。
誰しも同じ、一人の人間なのだ。
「…分かった。俺一人でも、何とかやってみせるよ。」
「ああ…。ごめん…。僕には無理だ…。」
怯える友の背に、ゆっくりと手の平を置く。
雉崎は体格こそ細くて頼りないものの、精神的には群を抜いて強い。
辛かった中学時代の賜物なのか。
ストレスや加虐といったことを、彼は人よりも多く経験しているためだろう。
────勇者という存在がいる。
その敵となる、魔物という脅威がいる。
そしてこれらがいる限り、世界には残虐さが生まれる。
弱肉強食の、紛れもない殺し合いが存在する。
そんな状況で死に怯え、恐怖に支配されるのは人として当然の反応である。
…むしろ、それを感じていない雉崎のほうが異常。
普通の人間ならば、此処でとっくに思いつめ、言葉を失っているはずなのだ。
「それで、この後俺たちはどうすればいいんだ…?
城を出て冒険者にでもなるのか…?」
「わからない…。
どっちにしろ、僕たちは王様に従うしかないんだよ…。 王様の反感を買った時点で、そこで僕たちの人生は終了なんだから…。」
ここにいるクラスメイト全員、その事は理解している。
昨日の様に、王に逆らえば即座に殺されると、そう、分かっている。
クラスメイトらも雉崎の前では明るく振る舞って見せたが、手は硬く強張っていて。
彼への優しさも、自らに感じる恐怖も、全部本物。
人として生きるために。
皆”勇者”になるまいと、体がそれを拒絶していたのだった。




