第八話:学校②
舞台は変わって、学校に移る。
繰り広げられるのは、アイリスとその仲間たちの日常、普遍の生活。
が。今日。
其処に、少しの変遷が現れた。
…それは、一人の勇者と、立ち込める暗澹。
──────朝。一時限前。魔法学院校舎での事。
「アイリスも散々だよなー。また養子縁組の申し出なんて。
今週で四件目だぜー?」
「あれ、あわよくば結婚も、って魂胆よ!
絶対乗っかっちゃダメだからね…!!」
「分かっていますよ。
そもそも主様の方ではなく私の方にしてくるのは礼儀知らずというものですし。
それに、私は今の生活が気に入っていますから。」
「そうですよね…!良かった良かった…!」
陽の当たる廊下を歩く四人組。
前二人と後ろ二人で道を塞がないよう礼儀正しく進んでいく様子は、彼らの生真面目さと優しさがよく表れているようだ。
そして四人は一歩一歩と、自分たちの教室へ近づいていく。
彼らのクラスは二年二組。
担任は大柄の男で、生徒は約二十人。
魔法使い、並びに殆どが貴族とあって、一クラス当たりの人数はこちらの世界より少ない。
椅子と椅子の間には大きな感覚が空いていて、あの子と隣の席に…なんていう青春ストーリーも起こることはなさそうであった。
「はいじゃあ朝礼ー。始めるぞー。」
担任はその体格に見合わない細い教鞭と出席表を携えて教壇に登場した。
鍛え上げられた上腕二頭筋と大胸筋が膨れ上がっていて、目の粗い短髪も良く似合う、いかにも体育教師といった風貌。
彼は室内を見渡すや否や、早速名前を点呼し、全員の出席を確認していく。
「……カイル・トグロ。いるかー?」
「はい。います…!」
「…よし。全員いる、と。…オッケー。」
通常通りの、何の変哲もない朝礼の様子。
細々と会話をする生徒たちとそれを聞き流す教師の姿がくっきりと浮かび、反対に貼り出された紙と時計は静寂を保っている。
後は担任が合図を告げて騒ぐ生徒たちを横目に退室するだけなのだが、今日に限ってはどうやら違うようだ。
「…じゃあそんな偉いお前らに知らせだ!
良いやつと悪いやつ、どっちを先に聞きたい?」
突然、担任からそんな偏屈な質問が飛んできた。
気持ちの悪いにやけ顔は告知を聞いた彼らの喜ぶ顔を想像してのものか。
彼は教卓に両手を付け、体を前に押し出して一番前の女生徒の反応を待っている。
「…え?私、ですか…?」
教卓の前、最前列のど真ん中。
その椅子には不運にも、成績優秀なアイリスが座っていたのだった。
「そうだ。アンタが決めるんだ。」
「えっと…。じゃあ悪い方からで…」
「よし。悪い知らせは…だな。
お前らの中の誰かがまた備品を壊したんだそうだ。
校長先生も五回目はさすがにお怒りで、減点も免れないとよ。
…頑張れ。暴れん坊の誰かさん。」
そう言いながら、視線は一人の生徒に向いている。
いつも走り回って、拍子に学内の物品に触れるうっかり者。
そんな人物など、このクラスには一人しかいない。
────入学前まで野山の村で暮らしてきた野生児の下民上がり。
アイリスの友人、フォルテだけだ。
「あはは…。これもしかしてヤバいやつ…?」
「んなもん、ヤバいに決まってんだろ。
…全く。これで怒られるの、俺もなんだからな…。」
「そっか…!そうじゃん…!!ごめんよー。ウェイド…。」
「いいって。慣れてるしさ。お前はいつも通りシャキッとしてりゃいいんだから。」
「…じゃあいっか!そのままで!」
「…よくねえよ。」
少し離れた席から不貞腐れた様に話す、フォルテとウェイドの二人。
この掛け合いの扱いにも慣れたもので、他の生徒も特に関与はしないよう。
…何しろ二人は同じ家、責任は二人でとるべきなのだから。
誰しも、余計な厄介事には関わりたくないだろう。
「…じゃあ次は良い知らせだな。
本当は先に話したかったんだが…
いや、ほんと、すまんね…。」
突然横に目を向け、廊下に続く扉を手にかける。
血の通った太い腕で勢いよくそれを開けると、なんと。
其処にはもう一人の生徒がいたのだ。
「今日からもう一人、お前らのクラスに入る事になったぞー!!
どうだ!これは嬉しいだろ!!」
おずおずと入室する少女。
日本ながらのお辞儀を一礼、からのテンプレのような自己紹介。
アイリスにも負けない端正な顔立ちと細身の四肢が際立つ、天使のような人がこの二年二組に舞い降りたのだった。
「私の名前は、橋倉すみれ、と言います。
どうぞ、よろしくお願いします。」
取り繕った笑顔でもない、無愛想な真顔を見せる。
だがそのパーツひとつひとつが美形のため、悪意や不満は微塵も感じられない。
むしろ見る人を捕らえて虜にさせるかのような魅力を、彼女は放っていく。
(うわあ…。すっげえ美人…。)
(綺麗…。あんな風になれたらいいな…。)
(あれ、あの顔もしかして…)
彼女は颯爽と、一つだけ空いた自分の席に座る。
見る者の視線を集め、騒然とする教室の中、必死に緊張をこらえていた。
(どうしよう…。私、あれでよかったのかな…?)
見知らぬ世界と人間のため。
同じような学校という形であっても、今のような自己紹介が正解かどうかは分からないものだ。
むしろ違う方法がスタンダードであったらと思うと、胸が締め付けられてしまう。
(事前にカベさんに聞いておくべきだった…。
そしたらもっと上手くできたのに…。)
表面上の冷徹な姿とは裏腹に、内面はカオスに溢れている。
冷や汗が滲み、沈黙に耐えかねるように両手を震わせていた。
「…お前らも見ただろう?
この前来た勇者の一員、マックルーム家の養子になったハシクラさんだ。
どうぞよろしくやってくれ。」
そう。勇者はこの国内では、立派な犯罪者。
死刑囚が突然クラスに転向してきたらどうなるか、それを想像しない橋倉ではない。
既に何人も問題なく入学を果たしている事など露知らず、恐怖に包まれながら今日彼女は登校したのだった。
「なるほどー!先生、それでさっきまでニヤけてたのか!気持ち悪!w」
「うっせーな!w俺だってようやく勇者の受け入れが出来て嬉しいんだよ!w
2年は他のクラス全員、もう勇者が出揃っちまってたんだから!!」
「もーw先生そんなの気にしてたのー?wださーw」
緊張で震える橋倉とは反対に軽口で賑わう教室。
彼女の耳に入るのはそれとない暴言の断片と音声の高低だけ。
「気持ち悪い」、「ニヤけてる」、「うるさい」、「ダサい」。
向けられた対象も、意味の善悪も違う。
なのに自分に向けられたものだと錯覚してしまいそうになる。
それは何よりも自分が、自分は悪者だと認識してしまっているから。
強い力を持つ勇者という存在を、自分は誰よりも恨めしく思っているからだ。
「…はじめまして…!!僕はカイル・トグロと言います…!!
どうぞよろしく…。」
「あ…?へ…?」
恐怖に怯えた彼女の元へ一人の生徒がやってくる。
初対面に相応しい、丁寧な挨拶と共に。
だが突然の来訪は彼女にとって想定外だったようで、漏れたのは気の抜けた単音だけであった。
「もう!!驚かせてんじゃないの!!
ハシクラさんだっけ?よろしくね!!」
「お前もな。初対面の声量じゃないぞ。それ。
…よろしく。ハシクラさん。」
先ほどの中心、フォルテとウェイドも近づいてくる。
彼らは庶民らしく、貧乏くさく、長い前置きも無しで橋倉に話しかけた。
「よ、よろしくお願いします…。」
遠慮げに首を曲げる橋倉。
気付けば集団の輪に入っており、自分の心配は何だったのかと思いなおさざるを得ない。
そして目まぐるしく続く彼らの会話を必死に追っていくうちに、震えていた両手はいつの間にか止まっていた。
「…ハシクラさん、よろしくお願いします。」
その会話の最中、突き抜けるように響く一言。
座ったままの席から驚いて見上げると、其処には長く下ろされた髪と可憐な少女の顔がある。
「はじめまして…。あの、お名前は…?」
「アイリス・ジェネラリーゼと申します。
気軽に、アイリスで大丈夫ですよ。」
「はい…。アイリスさん…。」
確かめるように、脳の記憶に焼き付けていく。
新たな名前、それも西洋風の少し長たらしいものを幾つも出されてはさすがの彼女も困惑してしまいそうになり、必死に目線を上げて顔と名前を一致させようと試みる。
「私、勇者様と話すの初めてなの!
巷で噂になってた、勇者が違う世界から来たっていうのは本当!?」
変わらず、落ち着いた人々の中をフォルテは大声で捲し立てる。
彼女の活発ぶりには飽き飽きしているが、聞くのを躊躇うような質問を代わりにきっぱりと申し立ててくれる所は素晴らしいものがあると認めざるを得ない。
一緒にいて会話がスムーズに、快適になるオーラを、彼女は放っていた。
「本当、だよ…。言っていいのか分からないけど、私たちがいた世界には魔法も無いし、戦いもそんな身近には無くって…」
彼女が話したのは、通信の事、歴史の事、食事の事、学校の事など。
オタク知識を中心に披露した雉崎とは違う、一般的な世界の常識の話であった。
そしてそれを聞いている生徒たちは驚き、慄き、時に感心する。
アイリスを中心としたグループだけではなく、遠くの座っている生徒や担任さえもひっそりと耳を傾けていた。
「…じゃあお前ら、ハシクラに色々学校の事を教えてやってくれ。
今日の朝礼はこれで終わり。また放課後な。」
もう時間だとばかりに男は早歩きで退室していく。
担任ではあるが、今日は彼の専門である格闘技の授業は無い。
あるのは、専門的で退屈な座学だけ。
それは彼も分かっているため、勇者の実力を見られない事を半ば残念がりながら次の授業の準備にとりかかるのだった。
「あーあ。もう一人くらい勇者来ねえかなぁー。」
─────その後は、何事も無く順調を貫いていく。
橋倉は全ての成績で良好であり、大貴族であるマックルーム家の名に恥じない活躍をする。
同時に程なくして学年のアイドルとなり、男子からの欲望と女子からの羨望を一心に受ける存在となった。
だが、変わらず友達として関わるのはアイリスを中心とした元下民組と前の世界の同級生のみ。
人見知りで平穏を望む彼女にとって、これ以上交友関係を広げる気は無かったようだ。
─────数日後。
「…………チッ。」
賑やかな教室の中、集団の中の男は静かに舌打ちを決める。
アイリスの魔法に惨敗し、屈してもカイルへの憎悪は消える事は無い。
むしろ橋倉という褒美までもらってしまった彼に、その悪意は増していくばかりだ。
(…大丈夫。もう僕はそんなの気にしない。
だってアイリスさんが、側にいてくれるんだから…!)
遠くから聞こえる舌打ちを耳にして、カイルはグループの中で話している。
救われた事実と彼女の実力を目にして、とっくにアイリスは彼の希望となっていた。
「そうだ!今度の試験前、皆でお店の屋台に行きませんか?
僕、いいお店知ってるんですよ!」
「屋台って一番通りの?
そんな美味いのあるのか?」
「ありますよ!
肉串に異国の果実、海から運ばれてきた魚介類とか!」
「へえ。いいじゃん。行くか。」
「そうそう!せっかくあのコロシアムでやるんだしね!
貴重な昼休みを有効に使わないと!」
「コロシアム…。」
陽気な言葉が交差する中、橋倉はその言葉に思考を貫かれる。
自らが貴族の養子となる事が決まったあのオークションを、思い出したのだ。
(そうだ…。私は勇者だから…。
皆を助けて…。成績も良くないといけないんだ…。)
彼女はそんな記憶を噛みしめ、盛り上がる生徒たちの中で黙り続けていく。
以前は何も考えずとも級友が話題を振ってくれていたが、今はそんな事は無い。
自分から話さなければ、個性の強い彼らの中に埋もれてしまう。
「…わた、私も行きたいかも…」
「是非行きましょう!大人数で行った方が楽しいですから!」
「はい…!」
カイルはあの一件から、少し明るくなった。
依然臆病な事には変わりないが、それでも少しは自分というものを割り切れるように変わったのだ。
そして居場所がある事を知り、仲間がいる事に気付かせてくれたアイリスだけを。
彼は特別視するようになっていった。
…よって男たちが思っているような下心は、カイルには無い。
橋倉の事は友達になりたい人物としてしか認識しておらず、アイリス一筋。
今まで埋もれていた純真無垢たる少年の面影が、彼は復活しつつあるためだ。
「アイリスさんも行きましょうよ!
あ、もし準備とかで忙しいようでしたら全然…」
「はい。予定も空いていますし、大丈夫ですよ。
皆で一緒に行きましょう。試験前の休息も兼ねて。」
「やったー!!皆で行こー!!」
彼よりも街並みを知り尽くしている事を、アイリスは言わない。
それは彼の威厳を保たせるためか、それとも別の要因か。
騒ぐフォルテとウェイドの横で、彼女はただ穏やかな笑顔を浮かべるだけであった。
「ではそれまでに筆記の対策を完璧にしておけなければいけませんね。
今回は事前に内容が示されていますから、その通りに。」
そう言って、カイルは落ち込むフォルテとウェイドを見る。
そして少し微笑んで、慰みの言葉をかけた。
「大丈夫です!僕が教えますから!
テスト範囲だけはもう完璧に終えてありますし!」
「ありがとうー!!カイルー!!」
「まじで助かるわ!!ありがとう!!」
クラスの中で、カイルは許されつつある。
というか、黙認されつつある。
貴族の矜持を傷つける許されない事をしているというのに、アイリスの威厳が他の攻撃を寄せ付けない。
─────が。仕方なく。
それでも、彼女にも守れない時間があった。
それは下校時の、道中。
自宅への帰路。
カイルが帰るその瞬間を、虎視眈々と狙っている者たちがいたのだ。
「…ちょっと面貸せや。」
通りを歩いているところを、突如として路地に引き摺りこまれ、暴行を受ける。
顔も見えない程に執拗な顔面への拳と蹴りを受け、頭は常に揺さぶられていく。
それでも声は知った者たちで、ああまたか、と。
彼は受け入れるだけなのであった。
「…行こうぜ。つまんねえ。」
「おう。」
男たちが去った後。
彼は立ち上がり、路地を出て、ひしゃげた顔面を晒して通りを歩く。
幾度も自分で縫い直した制服を身に纏い、賑わい溢れる屋台道を進んでいく。
それでも、誰も助けてはくれない。
民間さえも忌み嫌う家系の、その末子など。
救う価値も無いのだから。
金も名誉も無い青年を避けるように、人々はその歩みを逸らしていく。
そして雑踏の中で大きく空いた空間を、彼は歩いていくのだ。
(気持ち悪い。何であんな子が学院に通えるのかしら。)
(顔も見たくねえ。あいつの家に何度恨みを抱いたか。
さっさと消えてくんねえかな。)
(ほんと。死んでしまえばいいのに。
私たち平民の事、何とも思ってないんだろうね。)
─────忌避と憎悪の視線を一心に受けても、カイルは動じることも無い。
なぜならそれは、彼の日常であるから。
貴族も平民も、誰も助けてはくれない。
資本の中間層にいながら、生まれながらに彼は最も孤独であった。
(いいんだ。僕には今、友達がいるんだし。)
それでも、そんな彼を助けようとする者たちがいる。
それを彼は、いたく大切にしたいと願う。
そしてそう願えば願うほど、彼らは離れていってしまう。
以前の苦悶の経験は積み重なって、彼の人生を作り出し。
今のような環境が、それを取り巻いていた。
(明日は何をしようかな…。
皆で食堂に行って、ご飯を食べようかな…。
それとも休み時間に、試験に向けた勉強会とか…。)
想像すると、幸せな光景が目に浮かぶ。
現実はどんなに汚れていても、妄想だけは美しいままであるから。
彼は瞳を閉じて、見える世界を遮断する。
(よし。今日も帰ったら魔法の開発に取り掛かろう。
もし出来たら皆に見せて、喜んで貰おう。
アイリスさんに迷惑ばかりかけないように、オリジナルの魔法を作るんだ…!)
魔法の鍛錬、その目的は、オリジナルの創出。
ガリベルデ魔法学院の卒業要件に含まれるそれを、彼はもう幾つも生み出していた。
─────彼の能力はそれこそ冒険者に匹敵する程であり、いたく特異で美しい。
…けれど。
貴族連中は決して認めない。評価しない。
駄作だと罵って、魔法の行使すら禁止する。
その度に彼はまた違った魔法を生み出す。
これで今までの彼の学院生活が、少しは理解できただろうか。




