第七話:日々の生活②
ひと時の、幸せな生活。
何も知らない、自由な、ごく当たり前の生活。
暗闇に入る前に、一度。
この世界の明るさも知っておいてほしい。
「これ、一個ください。」
露店の前に立つ二人。
雉崎は一番通りの出店の一つに、今日も顔を出している。
…が。
通常とは違い、校舎点検での臨時休校のため。
追加で隣に一人、同行者が増えていた。
「あと2マグナ下げてください。ほら、ここに傷が入っています。」
果敢に挑戦の姿勢を崩さないアイリス。
普段の静かな様子とは打って変わって、値切り交渉の際は圧のある姿を見せている。
そして旗が揺らめき、砂で汚れたシーツの下。
日陰から現れる店主の顔つきは、辟易としていた。
「分かったよ!いつも贔屓にしてもらってるからね…。今回は特別!!」
結果、破格の低価格での競り落としに成功。
店を離れてしばらくした後、アイリスは雉崎に向かって小さなグッドマークを見せる。
はにかんだような笑顔が特徴的で、雉崎はしばらくそれが脳裏から離れずにいた。
「にしても慣れてますね…。すっかり溶け込んでるって感じで。」
「最初の方は怖がって下手に出てましたが、それじゃ損をするばかりだと気づいてからは堂々とするようになりました。私たちはジェネラリーゼ様のお金を借り受けているわけですから、経費を抑えてなるべくお役に立ちたいんです。」
「そうですよね。俺も負けてられないな…。」
雉崎は元々の生活もあって値切り交渉には慣れていた。
押し引きと態度、離したくないと思わせる技術がいたく巧妙であり、店主側としてもつい下げてしまうような引力を持っている。
だが今日はアイリスの高圧的な交渉術に押されたようで、その真価を発揮することは無かった。
─────日差しの強い正午。
馬車や冒険者が通り過ぎるのを横目に見ながら、二人は戦利品の詰まった麻袋を下げ、足並みを揃えて歩いていく。
「次は、肉ですかね。
確か昨日、ジェネラリーゼ様はクルトバードが食べたいって言ってましたっけ。」
「はい。なので今日はあまり行かない肉屋さんに行ってみようと思います。
噂では南方の希少な物も揃っていると評判ですし。」
「なるほど…。だからこっちに来てるんですね。」
二人は通りの先を曲がって二番通りに入る。
いつものルートでは一番通りの最後尾の肉屋で済ませるのだが、今回は既にそこを通り過ぎていた。
「…着きました。」
「おお…ここが…。」
二番通りは一番通りと比べて閑散としているものの、その分スペースがある。
そのため店の規模が大きく、中には真っ当な一軒家を構えて営業する老舗もあった。
「いらっしゃいませー!!」
店の前に立ち止まった瞬間、酒場を作り替えたような室内から分厚いドアを開け、看板娘が顔を出す。
店舗の雰囲気に沿った素朴な装いではあるものの、アイリスに勝るとも劣らない、端正な顔つきをしていた。
「ささ。店内へどうぞー!!」
彼女は飲食店さながらの勢いで入店を薦める。
恐らく、此処は入ったら何かを買うまで逃れられない。
すぐさま女性店員は勢いよく雉崎の手を掴み、笑顔で堕としにかかった。
「…待ってください。あの、此処にクルトバードはありますでしょうか?」
が、そうはいくまいと、アイリスも雉崎のもう片方の手を掴んで止め、真剣な口調で尋ねていく。
そして両方から手を引かれる彼は両脇の引力に敗北して引き裂かれそうになり、思わず助けを求める。
「ちょっと…ちょっと離して!!」
「あらすみません。少し手荒だったみたいですわ。」
ついつい、と照れながら、彼女は困り笑顔で手を離す。
愛想はいいがどこかズレている、そんな印象を受ける女性だった。
「…ありますよ。クルトバード。
ちょうど先程来た所です。」
店の横には荷下ろしされたであろう空になった馬車があり、もう昼時だというのに店前の花壇は水を浴びたてのよう。
どうやら此処はつい先程開店したばかりらしい。
そしてアイリスはそんな状況に多少の違和感を覚えながらも、あるのなら見ようと言って店内へと突き進む。
つられて雉崎も後を追うように足を踏み出した。
「げ、30マグナ…。」
店内に並べられた値札には ”クルトバード1羽 30マグナ” の文字。
数分前に購入した野菜たちが全て合わせても15マグナ程な事を考えると、大変な値段である。
平日の、しかも週半ばの夕食には少し贅沢な代物だ。
「ごめんな…。
何でもこの前、コイツを運んでいた馬車が魔物に襲われたらしいんだよ…」
ただでさえあまり手に入らない食材ではあるのだが、ここまで高騰しているとなると流石に躊躇われる。
二人はどうするのが正解か、店員にまじまじと見られながら壁際に寄り、真剣に協議し合っていた。
「どうしましょうか…。」
「やっぱり後日にした方が…」
「ですがそれではジェネラリーゼ様をがっかりさせてしまいます…」
「値段、厳しいですよ…?」
「機嫌を損ねてしまったら元も子もありません…!」
ひそひそと内緒話。
他に客もいないのに、彼らなりの配慮なのか声のボリュームを最低レベルまで下げている。
「…………………。」
店主は困ったような顔つきをしてドア前の女性店員に目線を送るが、気づかない。
むしろこの状況を楽しんでいる様子で、にんまりと微笑みを見せていた。
(あー。こりゃいつものが始まったな…。)
店主は何かを察したのか店奥に引っ込んでいく。
また長くなりそうだとため息をつき、手慣れた様子で肉切りの鉈を取った。
──────トン。トン。
脂肪に包まれた柔らかい肉肌に冷たい刃が通っていく。
運搬の段階でとうに塩漬けにされてはいるが、その鮮やかな色身はまるで新品のよう。
その肉には、血の通った赤い筋と白色のサシが際立っていた。
「よし。これで終わりかな。」
店主は猪と思わしき巨大なブロック肉を片付け、布にくるんで箱に詰めていく。
貼った札には近隣の飲食店の名前が書かれており、夜の分を今のうちに出荷するらしい。
──────そんな感じで店主が作業を行っている間、厨房の外といえば。
「あのー!いつまでもイチャイチャしてないでもらえますかー?」
「「してません!!!」」
同時、二人は顔を突き出して反論する。
いたく真剣な議論だったため、恥ずかしさよりも先に、邪魔された怒りが来ていた。
だが当方の店員はそんな猛抗議に全く我関せずといった様子で、むしろはやくしてくれと不満げな様子。
勿論最初の方は楽しんで揶揄っていたものの、あまりにも相談が長いのでそのうち飽きてしまったようだ。
「…分かりました。買いましょう。商品、まだ新しいものなんですよね?」
「ええ。そうです。塩漬けが終わってまだ三日も経っていないと聞いておりますよ。」
「そうですか。じゃあこれ、30マグナぴったりです。」
熟練の腕を持つ雉崎をもってしても、ここにきて値下げを始める事は論外。
何せこれは品質や鮮度も最良の希少品であるのだから。
悪い所など微塵もないため、値下げするのは商品と店に失礼というもの。
当然値段のこともあってアイリスは不満そうであったが、貴族の格というものも理解してるので黙っている。
養子として来ている以上滅多なことはできないのだ。
「店長ー!!お買い上げだそうですー!!」
「はーい。今行くよー。」
やっと終わったか、と店主は厨房内から姿を現す。
「…これがクルトバード一羽。解体とかはしなくていいのかい?」
羽のついた丸ごと一羽。
部位ごとくらいには分けてくれた方が鳥は調理しやすい。
が、アイリスには雉崎に調理を教えるという義務があった。
「いえ、大丈夫です。そのままで。」
「了解。じゃあまた来てな!お二人さん!!」
店主は年を取った中年。
粗い顎髭と、癖の強い頭髪が目を引くダンディな男。
彼は手を振り、お辞儀をしながら去っていく二人を見送るとまた業務に戻る。
この店主の律義な性格や行動も、この店が陰ながら愛される秘訣なのだろう。
「でもあの二人。ホントに恋仲じゃないんですかー?」
二人が去ってしばらくした後。
店員の女性はカウンターに寄りかかり、彼に疑問を投げかける。
彼女は自分の想像と現実のギャップに不満を漏らしており、まるで愚痴を吐くよう。
年齢差はありながらもこのフラットな関係が、この二人には心地良いようだ。
「そうは見えなかったがなあ。
お前はどこを見て、二人が恋人同士だと思ったんだ?」
「うーん…。なんていうか、初々しいみたいな、そんな感じ?
見てて安心するっていうか、口角が上がっちゃうていうかさ。」
「へー。そんなもんかねえ。」
「そーですよ!もー分かってないなぁ!!」
確かに雉崎とアイリスの会話は見ていて微笑ましいものがある。
互いに養子同士という関係性ではあるものの、生活面では同じ家庭の一員。
けれど、どこか他人行儀で大人しい。
互いに距離感を探り合っているようで、でも親しみがある男女二人。
そんな二人にあらぬ想像をしてしまうのは確かに、仕方のないことでもある。
…が。
「そういうのはなあ。直接言うのが一番よくないんだぞ。ソルファーゼ。」
「え?なんでですか?」
「関係ない奴にそういう事を直接言われると、意識を通り越して覚めちまう。
恋仲っていうのは周りに言われてなるもんじゃねえからな。
だからそういう雰囲気の二人を成就させるには、そのまま放っておくのが一番効果的なんだ。」
「へえ。なんか詳しいですね。
…なんですか?そういう経験あるんですか?」
「……さあ品出しの時間だ!なんと今日は五軒!
さっさと回りに行こうか!」
「ちょ、ちょっとー!?返事はー!?」
木箱を持って勢いよくドアを開ける店主。
それを追うように店員も布袋を抱え、飛び出した。
まだ日も落ちていない時間ではあるが、酒場は既に夜の準備に入っている。
そして今日一のメインディッシュを、今か今かと待ち侘びている。
二人は親子のように。
若々しく、元気よく。
通りを駆け抜けていった。
──────夜。ジェネラリーゼ邸。
「これこれ!!これが食べたかったのよ!!」
御馳走に舌鼓を打つジェネラリーゼ。
口に手を当て、照る頬からはピンクの花のエフェクトが出ていそう。
彼女は激務の疲れを癒すように、味わって二人の力作を食していた。
「最近はなんだか質素だったものね。
やっぱりこういう贅沢もたまにはしなくちゃ!」
貴族の割には言う事がやけに庶民的である。
そしてそれに共感したのか、両隣の二人も大きく相槌を打つ。
「塩漬けにしては味がまろやかだけれど、何か工夫があるのかしら…?」
「それは私ではなくてキジサキさんに。私は彼の言う通りにしただけですので。」
待っていたかのように手を雉崎の方へ向ける。
にこやかだけれど少し圧がある、いつものアイリスであった。
「いや別に変な事は…。単に少し牛乳に浸しただけで…」
そう。肉を塩味を取る、その手段に彼は牛乳を使った。
直ぐに従来通りの塩抜きを行おうとしたアイリスを止め、道中で多めに買ってきた乳を少しばかり拝借する。
やった事といえばそれだけで、彼にとっては別に褒められた事ではない。
前の世界でもやっていた事を、こっちでも行っただけ。
───だが、彼女らにとってはそうでもなかったようで。
「まろやかな上に柔らかいなんて革命ね…。それに色んな使い道がありそう…。」
「そうですよ。凄いんです。キジサキさんは。」
「……………………。」
「上質な肉を手に入れる方法なんて氷の魔法使いを運搬に雇うくらいしかなかったけれど、これなら十分イケるわね。今度の食事会でも仕込んでみようかしら。
…どう?キジサキ君?」
「…はい…。いいと思います…。」
曖昧な返答。
褒められている状況でまったく正反対の衝動を持つ。
心の底に常にモヤモヤとした感情が渦巻いていて、どうしても素直に受け取れない。
…いや、むしろこれは褒められているからこそだろうか。
前の世界の知識を使って功績を上げる事なんて以前の漫画で嫌という程見てきたはずなのに、いざその状況になってみると罪悪感の方が高まってしまう。
現在において自分という存在は何も成し遂げていないのに、誰かが発明したモノを横取りしている気分になる。
そうして褒められれば褒められるほど、彼は罪悪感と自責の念で何となく気分が悪くなっていった。
以前、漫画は自分が生きるため、別世界を夢見るために消費していたものに過ぎなかった。
だが今になって実際に転移してみると、その気持ち悪さになんとなく気づいて来てしまう。
────自分はどこまで行っても、異世界人なのだと。
「…良かったら今度他のも教えますよ。
料理の小細工なら、ある程度は知識がありますから。」
「本当!?助かるわ…。異世界人っていいものね…。」
「はい…。お役に立てて良かったです…。」
ほら。また胸が苦しむ。
だけれど、それを見せてはいけない。
彼女らの本物の熱意を、裏切ってはいけないから。
「じゃあ今度は私たちの番ですね。
今まで培ってきたものを、キジサキさんにも教えないと。
そうですよね?ジェネラリーゼ様?」
「ええ…。そうね…。」
アイリスは何となく察したのだろう。
彼女はそれとなく主人の方に話しかけた後、こっそりと雉崎の方に目をやってお淑やかな笑みを浮かべた。
「………ふふ。」
─────ふっくらと浮き出た涙袋が妙な色気を醸し出し、すぐに雉崎は目を逸らしてしまう。
そんな彼の様子を、アイリス自身は不思議そうに眺めていた。
「……………?」
─────時は過ぎて、翌朝。
「アイリスさん…今日は学校は…?」
「昨日に続いて休みです。今日は学校の創設記念日ですので。」
「なるほど…。」
変わらず庭での鍛錬を始めようとした雉崎の元にアイリスがやってくる。
朝食から約20分後の午前9時に、早速二人は会話を始めた。
「そういえば髪は切らなくていいんですか…?
あの、ほら…、少し邪魔そうですし…」
お洒落で行っていることも鑑み、アイリスは恐る恐る聞いてみる。
勿論当の本人からすればそんなことは無く、ただ単に前の世界では切るお金が勿体なかっただけなのだけれど。
「いえいえ!!自分もどうすればいいか悩んでいたもので…
纏めることも考えたんですが如何せん、やり方が分からないものですから…」
苦笑しながら肩まで伸びた髪を触る。
男らしくないといえばそれはそう。
長髪は顔面と服装が伴って完成する代物であるから。
決まった時の格好良さは一流だが、そのままではだらしがないだけだ。
「では、私が切りましょうか。」
「え?」
「昔はよく親の散髪もしていましたから。
腕は確かですよ。」
アイリスは真顔で尋ねる。
そして驚く雉崎を見ては、彼女は不思議そうな顔をした。
「何か不都合でも…?」
「いや、そうではなくてですね…」
自分の髪を触ろうとする者など、彼は今まで一人も見たことが無い。
しかも知人に髪を切られるという経験は未知のものであり、同時に少し気恥ずかしくもある。
だがそんな事はお構いなしとばかりにアイリスは魔法でハサミを作り出し、素早く彼の背後に回り、そしてこう問いかけた。
「短めがいいですか?長めがいいですか?」
後ろから囁かれるアイリスの声。
耳がそばだって、思わず体を震わせる。
「…じゃあ、少し長めでお願いします…!」
思い浮かべるのはギルドマスターの青年。
あの元気な彼のように、異世界に馴染めたらと考えた。
気弱な自分にそれは到底出来ない事であると、十分に理解してはいるのだが。
(それでも馴染む努力ぐらいは、してみたいから…。)
チョキチョキ。
綺麗な地毛の黒髪が切られていく。
毛量が多く、かさばっていた横側は狭く。
すっきりとした縦はそのままで。
美容師顔負けのカット技術で彼女は頭髪を切っていった。
「…はい。完成です。」
「…おお…!!」
重たかった前髪が軽くなっているのを感じる。
以前よりも視界が開けて見え、世界がより鮮やかに感じられた。
「ありがとうございます…!」
そう言って雉崎は立ち上がり、後方を向く。
彼は正面から見たアイリスに対し、行儀よく礼をした。
「…これからも、長くなったら切りますから。」
少しの沈黙の後、アイリスはそう答える。
それは雉崎が解雇されない事を前提としたものであり、その信頼は彼の心に改めて深く響いたようだ。
(アイリスさんは俺が解雇されないと、信じてくれているんだ…。
この信頼を裏切る事だけは、絶対にしたくない…。)
─────地上に落ちた髪を片付け、二人は庭から家に帰っていく。
家へ向かって歩いていく彼らの距離はもう一段、狭くなっていた。




