第六話:冒険者と魔物
学校の一件を経て、一夜。
何も知らない雉崎は、いつも通りの生活を送る。
…が、いかんせん、雇用契約の期限は着々と迫ってきていて。
彼は言葉にできない不安を抱え、その場に立っていた。
─────これは、この世界の、魔物と冒険者についての話。
─────雉崎は元来、普通の人間である。
特異な技術や才能も、彼は持ち合わせていない。
故に彼は、冒険者には成り得ない。
卓越した異能を従えた超人でなければ、この業界は生きていけないのだから。
「魔物が出たぞー!!」
場所は首都から少し離れた、付近の農村。
近辺には森と湖が広がり、豊かな自然と食が人を呼びつける人気の村。
そんな村で今日。
ついに魔物が、出現したのだった。
ウォォオオーンン!!!!
その体形は狼に近いだろうか。
四足歩行の俊敏な獣であり、その足には鋭く尖った爪が付属している。
目は赤く、毛並みは異質な銀色を放っており、その形相は見る者に恐怖を与えさせていく。
そして森から出てきたその猛獣が、村の柵を飛び越えて敷地内に入ろうとした時。
昼過ぎまで寝ていた冒険者が、ようやく目を覚ましたのだった。
「ふわあ…。何だ?外が騒がしいな…。」
太陽はもう空の中央に昇っており、窓から照る日差しも強い。
そんな穏やかな昼下がりの中、彼はまだ眠い目を瞬いて外の景色を見ようと腰を上げる。
昨日からの酒の疲れを堪えつつ、荒れた髭や髪もそのままに宿屋の扉を開けた。
「…ん?何だ?あいつは?」
「グレンさん!!あれは魔物です!!この村にも、ついに魔物が!!」
「ああ。魔物か。どうりで見た事無え面してると。」
─────村の端、森に面した草原に囲われた柵のすぐ内側。
襲撃用の槍と剣を携えて、村の男どもが対峙する。
牙や爪が俊敏に怪力を伴って襲い掛かり、男達の膝や腕、背中に傷を作っていく。
案の定、狂乱した魔物に戦闘経験の乏しい彼らでは歯が立たないようで。
戦いは劣勢を極め、今にも死人が出そうな勢いであった。
「昨日あの人らにはお世話になったしな。
いっちょ人助けといきますか。」
無精髭をさすり、中年の男性冒険者は前に歩き出す。
そして歴戦の猛者、その風格を隠したまま。
彼はその魔法の、構築を開始する。
「魔法構造、成形開始。」
赤い、炎の魔力線は小さな空間を形どる。
だらんと下げた右腕から地面まで伸びる、小さな円柱。
構造は尖った先端と丸いグリップ。
掴む様に握るその魔法体形は、
”銃”であった。
「…装填完了。」
鉄弾を取り出し、燃え盛る炎の銃身に込める。
そしてライフル銃のような長い鉄筒を両手に抱え、彼は射撃体勢を整えた。
片方の膝を地面に降ろし、右腕はその魔法を抱きかかえるように。
引き金に伸びた人指し指が今、圧力を加える。
ボガァアアン!!
途端、銃口から噴き出る炎。
その衝撃は熱波となって自らをも焼き尽くす。
そして線を描くように伸びた銃弾は、真っすぐに魔物の眉間を貫いたのだ。
「…よし。終わりだな。」
瞬間、ブシュンと音を立てて倒れる魔獣。
火を纏った銃弾は流れる血さえ燃焼させてしまう。
毛皮は剥がれ落ち、倒れた四肢は灰となって滅していく。
村人たちが長期に渡って苦戦したはずの強敵は、彼により。
一瞬にして、地に伏したのだった。
─────循環が途切れる際のほんの数秒、その一瞬のラグを利用した燃える銃弾。
それが、グレン・ゴルベックの魔法である。
「え…何が、起きたんだ…?」
炎上する死体の横、軽症の村男が困惑を示す。
距離約200メートルの長距離射撃に気付くわけもなく、ただ茫然と立ち尽くすだけ。
張本人のすぐ横に居た旅人も、驚きを隠せないようだ。
「これが、例の…」
「いいだろ?これ。
お貴族様がこしらえた火縄銃でも有効射程はせいぜい100メートルだが、
魔法で作りゃあ火薬もなしに200メートル以上ぶっ飛ばせる。
属性が炎でよかったぜ。まったく。」
「いや、そういうわけじゃなくてですね…」
その銃を作る技術は、世界で貴方一人なのだと。
そう言いかけて止めた。
(どうせそんな事言っても意味ないか…。
この人、普段見かけても普通のおっさんだしな…。)
「何だ?もしかして飯か?
おごってくれんなら付き合うぜ?」
「ええ…。分かりましたよ…。
村も救ってくれた事ですし、今日は僕の奢りで。」
「よっしゃあ!たらふく食うか!
飯屋はここな!いっちゃん美味いとこ!」
「結構高い所じゃないですか…。」
何も言わず去っていく二人。
村人から与えられるであろう恩賞も、名誉も受け取らずに敷地を後にする。
本来であれば資金も困らないはずの二人だが、今日も食事の経費の競り合いで忙しい。
酒屋で偶然意気投合しただけの関係であるが、不思議なもので。
ひょんなことから始まった関係の方が意外と長く続くものなのであった。
─────そして舞台は戻って、ジェネラリーゼ邸。
「…はぁ…!!はぁ…!!」
中庭の元、雉崎は地面に倒れこむ。
毎日の習慣と努力、その積み重ねが、まだ見ぬ成果へ繋がると信じ。
彼はまずは肉体からと、体を鍛えていた。
「…よし。これで終わり…!!」
魔法の鍛錬の瞑想に加え、毎日腕立て200回、ランニング10㎞。
だが建設現場の仕事には、それでも持久力が足りない。
たとえ魔力が使えても、無属性の彼では底が知れているのだ。
「自分の魔法も。ノアも。
全く掴めないままだ…。」
養子として暮らし始めてまだ一週間も経っていないが、それでも将来の不安は頭から離れる事は無い。
どうやってこの生活を維持できるか。
どうやって自身の能力を高めるか。
その事だけを思案し、熟考しても、結果は得られないままであった。
(そういえばこの世界には魔物がいるんだっけか…。)
近いうちに来ると言われている大厄災。
魔物の大群が押し寄せ、国家は危機に瀕す。
それを防ぐのが勇者らしいの、だが。
「そもそも魔物がどういうものかを、俺はまだ知らないんだよな…。」
魔力や魔法の概念も予想とは大きく違っていた。
もしかしたら魔物というのも想像とは違う生物なのかもしれないと考える。
城に現れた牛型の化け物、あれが魔物だというのなら話は早いのだが。
未だにあれが何だったのか、彼を含めた勇者全員は実態を知り得ないままであった。
「よし。ギルドに行こう…。」
今日は仕事も休日。
出かけるには絶好の日であり、この世界を知るうえでも知っておかねばならない。
あの日オークションで落とされた末、自分が辿るかもしれなかった道を。
─────国一番の情報網、民間武力を誇る、ガリベルデ冒険者ギルドへ。
「ここが…。」
通りの交差する中央には噴水と見知らぬ銅像が立っている。
それを囲うように建物がずらりと並んでおり、大きさもまちまち。
そしてその中でひときわ荒々しい雰囲気を放つのが、冒険者ギルドであった。
「お邪魔します…。」
大きな扉を開けると、上部に付けられた鈴が鳴って来店を知らせる。
屋内の様子は張り紙の並ぶ壁面と、カウンターが一つ。
カウンターは窓口のようになっていて、感じはたまり場というより旅行代理店のよう。
静かな店内と大柄な男達のギャップが光る、なんとも不思議な空間であった。
「証明カードの発行でしたらこちらで伺っておりますよ。」
入るとすぐに女性の店員が声をかけてくる。
恐らく見知らぬ顔だったのだろう。
冒険者に就職しにきた初心者と見受けられたようだ。
「いえ、見に来ただけで…ごめんなさい…。」
入ってはいけない場所に来てしまったようで、彼は少し気まずくなる。
冒険者ギルドは全員に開かれているもの、というよりもむしろローカルな、限られた人間しか入れない民間の紹介所に近い。
入店する者も関係者のみのため少なく、無礼で怒りっぽいチンピラなども居ないようだ。
(やっぱり想像していたのとはちょっと違う…。
もっと騒がしくて賑わいのあるもんだと思ってた…。)
壁には魔物を含めた討伐対象の抽象画が描かれていた。
熊や狼、狐に羊、以前見たミノタウロスのような化け物の姿まで。
書かれている賞金もまちまちであり、難易度の区分けもなされている。
「魔物の種類は様々ですが、基本は通常の動物に少し変わった点があるくらいです。
例えば角が生えていたり、二足歩行であったりなど。」
「なるほど…。」
「そして被害が出ると、このように依頼書として貼り出されます。
討伐するのは至難の業ですが、優秀ぞろいの冒険者にかかれば、最低でも追い返すくらいは出来るかと。稀に、村民の間で解決して取り下げられる事もございますが。」
壁に貼り付けられた紙の中には魔物討伐の他にも、護衛や運送、現在働いているような建築作業の仕事があった。
だがそれらは緊急ではないのか、端にぽつぽつと取り残されてしまっている。
「ん?あんた新入りか?」
「え?」
突然、雉崎の元に若々しい声が響いた。
「新入りか、っての。
アンタに聞いてんだぜ?」
大柄の男の中に混じる青年。
細い造形は雉崎と瓜二つであるが、着ている服や目、そして何よりオーラが違う。
裸眼の長髪、黒く澄んだ目は東洋人のようで、西洋的な人種の多いこの街では雉崎と同じ様に目に留まる存在に見える。
「いえ。見学にいらっしゃっただけのようです。
見たところ先日の勇者の一人とお見受けしますが…」
「あぁ…。どうりで。」
何故か青年は納得した表情を見せた。
が、それと同時に警戒心も露わにする。
眉間に皺を寄せ、少しの威圧感を放ち、戸惑う雉崎に眼光を突きつけていく。
「お前、勇者って事は貴族の養子になったんだな?
聞こう。主人はどこのどいつだ?」
気付けば、黙っていた他の冒険者たちからも敵意を感じる。
取り囲む大柄の男たちの中に、雉崎は閉じ込められてしまっていたのだ。
「え…?なんで…?」
何かを間違えたのかと思案して見ても、もう遅い。
迫りくる威圧は体を震わせ、心臓を高鳴らせる。
見知らぬ巨漢に怯える様は、まるで狼の群れと小鹿のようであった。
「ジェ、ジェネラリーゼ様です…。」
雉崎は途切れながらに主人の名を述べる。
誰が引き取ったか、誰の養子かなどとという事は本来あまり公言するものではないのだが。
そうとも言えない状況に、彼は置かれてしまっていたのだった。
「……………。」
少しばかりの静寂。
巨漢たちは動きを止め、リーダーの返事を待つ。
そのリーダーは驚いたように口を開け、その目を見開くだけ。
「…………まじか!!
お前、ジェネラリーゼの養子か!!」
オオオオーーーー!!
野太い男たちが感嘆の声を上げる。
緊張の高まる静寂から一転、ギルド内は賑やかな雑談会場へと姿を変えた。
各々が話し合い、口ずさみ、自らの主人の賛美を交わす。
─────リーダー共々、ギルドにとってジェネラリーゼはいたく尊敬されているようだ。
「いやー、そうか!!
なら全然ウェルカムだ!!好きなだけ見て行ってくれ!!」
にこやかに青年は両手を上げる。
広げた腕の裏からは鍛え上げられた筋肉が見え、自分とは違う体つきに驚く雉崎であった。
「ちなみに、何でそんな事を…?」
「ん?いやだって、クソみたいな野郎どもの手下をホイホイ招き入れるわけにはいかないだろ?」
聞けば、貴族のほとんどは傲慢で卑劣なのだそう。
何か不都合があれば流通を操作して物資の出回りを滞らせたり、価格を理不尽に上げたりするらしい。
「あいつら、戦闘で俺たちに勝ち目が無いからって回りくどい事ばっかり。
魔物の襲撃の時、商品がちょっとダメになっただけだってのによ。こっちは雇い主を守るのに必死だったっての。」
「へえ…。」
「…まあ、いい貴族もいるんだ。
金があって、それを俺たち民間のために使ってくれる。
病院を立て直してくれたジェネラリーゼみたいにな。」
彼がジェネラリーゼ、と呼び捨てなのには彼女が元平民である事が関係している。
昔から村長同士の付き合いで、幼少期からの顔馴染み。
互いの立ち位置や経験も深く理解しあっている仲であった。
「だから、もし悪い貴族の養子だったら追い出してやらないといけなかったんだ。
こいつらのやる気にも関わるしな。」
目を向けると男たちはにこやかに笑っている。
どうやら先ほどまでの静寂は自分に対する警戒の表れであったらしい。
そういえば入店の際も少し視線を強く感じたのだと思い返す。
彼らにとって雉崎は未知の人間であり、不用意に触れてはいけない危険物として認識されていたのだ。
「…何か困りごとがあるなら聞くぜ?
用もなしにただ見に来たってわけじゃなさそうだしな。」
「え。」
見抜かれている。洞察力が凄まじい。
見てくれや雰囲気、言動を全て察知されていた。
「…自分の、魔法に関してなのですが…」
一瞬、雉崎は契約内容を言っていいものかと思い悩む。
秘密厳守はそうなのだが、このチャンスを逃すわけにもいかないと思い、
彼は少し誤魔化しながら話す事にした。
「ジェネラリーゼ様が認めるような能力って、何でしょうか…?
それこそ冒険者のように魔物を倒したり、人々を救ったりなど…」
「ほう…。あいつの評価を上げるような才能ってことか。
それは結構難しいぜ。なんせあいつは意識が高いからな。
滅多な事じゃないと話すらしない。」
青年は昔の少女を思い返す。
泥棒を捕まえることが出来ても、暴漢を倒しても、特に誇らしくも思っていない様子であった。
そのくせ料理と商売に関しては大変な興味を持ち、その類稀なる才能を以って成り上がり、今では雲の上の存在となって会うことも無い。
「……………。」
その返答を受け、雉崎は黙ってしまった。
自分の才能がもし無駄なものだったとしても、努力次第では雇い続けてくれるのではないかと期待したからである。
だがそれはくだらない幻想で、ジェネラリーゼはこと魔法使いにおいては徹底した合理主義を貫く女性であった。
「まあ、才能なんてどうしようもねえからな。
あいつの役に立ちたいっていう思いより、周りを思いやれる存在になる事だ。
何てったってお前は勇者だろ?
世界を救う奴が、こんなところで悩むなって。」
溢れ出る兄貴肌。
気持ちのいい笑顔は建設仕事のリーダーを思い出させる。
「良かったら少し能力を見ようか?
お前、ジェネラリーゼのって事は噂の無属性だろ?」
「え…?どうやって…?」
「ちょいとばかし、”魔法”ってやつを使ってみるのさ。」
手招きをしながら青年は店の奥へと進んでいく。
連れられて追って行くと、其処には少し開けた空き地があった。
塀際には武具や布が巻きつけられた杭が立ち並び、道場のようになっている。
「勇者には武力が必要だしな。
伝説じゃあ結局魔物と戦わなくちゃいけねえみたいだし。
ほら、お前の魔法を見せてみろ。」
空地の真ん中、最も開けた場所で雉崎は魔法の使用を試みる。
だが現実は非情そのもので、伸ばした手の先から魔力の線が伸びる事は無い。
「…………?
もしかしてお前…」
「はい…。まだ魔法そのものも使えないままで…。」
「まじかよ…。
んな事あるのか…?」
青年はジェネラリーゼと同じ様に絶句する。
…が、その後の行動は彼女とは違って。
この青年は魔法を展開し始めたのだ。
「……魔力線、解放。」
そう口にした後、彼は無言を貫いたまま。
右手を右瞼に当て、体内の魔力を操作する。
全身を均等に流れていた魔力は右眼球に収束し、渦巻きの如く円状に回りだす。
そして、その数秒後。
彼の魔法は、すぐに完成した。
─────彼の片方の眼球は黒目も白目も無い、エメラルド色と化していく。
「…うん。無理だな。打つ手がない。」
「え…?」
まだ彼を見て数十秒。
早々に諦めた青年に雉崎は言葉を失う。
「…というか、”何かしらによって抑制されてる”みたいだ。」
「抑制…?」
「ああ。心臓から溢れ出す魔力の流れをせき止める別の流れがある。
ただ、それが何なのかは分からない。」
本来の形とは違う魔力構造。
普通ならば全身に通っているはずの魔力が心臓の周囲に集中している。
身体強化の応用、”魔力視”による視界を用いてもその原因は解明できないようだ。
「それは…もしかしてノアでは…?」
「ああ、そうか。そういえば勇者ってノア持ってたな。
オークションで言ってた。」
ノアと呼ばれる少年によってもたらされる最大級の祝福。
雉崎の右腕にある巨大な刺青はその証である。
魔力とは別の流れがあるとすればそれは刻みつけられたノアであろうと、彼は考えるに至ったのだ。
「まあ他の可能性も無くはないが…。
今はそう考えるのが妥当か…?」
「…はい…。」
深く考え込んでいる青年を雉崎は見つめる。
依然として青年の右目は緑がかって輝いており、いたく不思議な人相を作り出していた。
「…よし。お前、名前は?」
「…雉崎。雉崎一彦です。」
「OK。キジサキ。
じゃあ、俺から一つ、最後に忠告だ。」
「はい…?」
青年は腕を腰に当て、少し前かがみになる。
そして雉崎の瞳をしかと見つめて、こう言った。
「周りを見ろ。偉ぶらず、優しくあれ。
そして空気なんか気にせずに、自分の正しいと思った事をしていけ。
それで、全部うまくいく。
今の自分の実力で、出来る限りの力を引き出すんだ。」
「………………。」
年は二三も離れていない。
ただ、経験が違うだけ。
それでもそのオーラは、貫録は。
ギルドマスターとしての矜持を示していた。
「…ありがとうございます…!」
「おう。また来いよ。
今より逞しく、強くなってな。」
「はい…!」
手を振り、雉崎は帰っていく。
眼鏡と長髪、その裏には不器用な笑顔がある。
─────救われたような、そっと肩を押されたような。
不安がすっと胸の内から引いていく。
この将来への不安を誰かに話せた事に、彼は心底安心していたのだ。
(よし。大丈夫。俺は、この世界で生きていける。)
─────頑張ろうという意気込みと信念が、雉崎の体を取り囲んでいた。
数時間後。ジェネラリーゼ邸。
「…どうしたんです?キジサキさん?」
「え?」
「いえ、何だか思いつめているようでしたので…」
食卓から少し離れた場所、長い腰掛のソファーに二人は座っている。
「いや、少し考え事を…」
照れ笑いを浮かべる雉崎。
内に抱える心情までもが見抜かれたように感じ、気恥ずかしさを覚えた。
「アイリスさん。」
「はい。」
「今って、幸せですか?」
「……?」
脈絡の無い問いにアイリスは疑問の表情を表す。
その顔を横目に見ながら、雉崎はぽつりぽつりと話し始める。
「俺、今までは少し不安だったんです。
全く違う世界に来て、知らない人や文化に触れて。」
「…………。」
「でも、今日ふと気づきました。
今の生活が、一番幸せだってことに。」
「でもそれは…」
「はい。この生活は今だけのものです。
ジェネラリーゼ様に与えられた課題を達成してもしなくても、日常は絶対に変わっていきますし。」
苛烈な環境に生まれ、努力し、心が折れて無気力だった雉崎。
彼は異世界という幻想に報われぬ思いを馳せ、ひたすらに願い、そして成就した。
けれどその世界は思っていたよりも残酷で、現実的で。
そんな環境に適用しようと必死になって、もがいて。
こんな今になって、ようやく落ち着くことが出来た。
自分が望んでいた夢に生きている事を、自覚できたのだ。
「最初、実は勇者っていう役割も嫌いだったんです。
そんな事していたら絶対に死ぬからって。」
ノアと呼ばれた幻想の少年と、遠くで笑う王と老人。
召喚時の状況は今思い出しても胸が痛い。
「…でも、ただの人になったら俺はこの生活を続けられない。
俺が勇者だから、ジェネラリーゼ様は雇ってくれてるんですから。」
「……………。」
アイリスは黙ったままで、真剣な眼差しを向けている。
雉崎もそれに呼応するように、笑った顔から、真剣な表情に変化していく。
「俺は、この生活を手放したくないんです。
だから、勇者を続けます。
ジェネラリーゼ様と貴方と一緒に、これからも幸せな人生を歩んでいくために。」
「それは………。」
雉崎のその言動には、一切の恋愛感情が含まれていない。
そう、分かっていても意識してしまう。
そんな言葉を真剣に言える事が、彼女には眩しく見える。
「絶対に、能力を示してみせます。
仕事以外にも、出来る限りの力を尽くして。」
肘を両膝に置いて、前傾姿勢のまま彼は答える。
覚悟の決まった目。
もう何も無かった以前とは違って、守るべきものが彼にはある。
─────勇者としての志を得た、雉崎の姿が其処にはあった。




